平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店・2013年)の
第8章は竹山道雄著『ビルマの竪琴』をとりあげております。
うん。私が引用するのは手にあまるので、
違う箇所を、ここに引用してみます。
「1983(昭和58)年『竹山道雄著作集』が完結した年の秋、
竹山夫婦と私たち夫婦と四人で京都へ行った。
竹山としては見納めのつもりであったろう。
東寺からはじめて三十三間堂、養源院、清水寺、鳥辺野、六波羅蜜寺
などを丁寧に見てまわった。
あれから30年近く経ったいま妻に
『あの時どこがいちばん印象に残った?』とたずねたら
『六波羅蜜寺』と依子は答えた。私もそうだと思ったが、
よくきいてみると依子は鬘掛(かずらかけ)地蔵から、
私は空也上人像から感銘を受けたのだった。
人間は同じ六波羅蜜寺へ行き、同じ彫像を眺め、
同じ人の説明を聞いても、自己の主観にしたがって、
このように別箇の印象を記憶に留める。
いや同じ鬘掛地蔵を見ても、新潮社版『京都の一級品』の
正面から写した写真と『竹山道雄著作集』第8巻の地蔵の
斜め前から写した写真とでは印象が著しく異なる。」(p417)
このあとに、竹山道雄の『京都の一級品』からの空也上人への
記述の引用があるのでした。そこをカットして、そのあとでした。
「ビルマで頭を剃った水島上等兵は」と平川氏が書きこみながら、
そのあとに、竹山道雄氏の文を引用している箇所があります。
そこを引用してみることにします。
「ビルマで頭を剃った水島上等兵はこんな宗教的天才ではない。
それでもなにがしか通じる宗教心の持主だったといえよう。
竹山はそこで日本人の人生観にふれる。
空也作といわれる長い和讃があり、
今でもその初めと終りがうたわれるが、
その起句は次のようである。
『長夜の睡は独り覚め、五更の夢にぞ驚きて、
静かに浮世を観ずれば、僅刹那のほどぞかし』。
・・・・・
ふしぎな機縁によって人間に生れてきたということは、
それをするための千載一遇のチャンスである。
人生が夢幻のごとくであることを痛感することこそ、
積極的な活動のもとであるという考え方は、
さまざまなバリエーションをなしながら
日本人の精神の一つの基調となっていたように思われる。 」
(p419)
平川祐弘氏の本は、(註)の箇所を読んでも楽しめます。
第八章『ビルマの竪琴』の註には、こんな箇所がありました。
「昭和31年市川崑監督のモノクロの『ビルマの竪琴』は
ヴェネチア映画祭で喝采を浴び、サンジョルジョ賞を授けられた。
ちなみにこの映画は『特別に芸術的で宗教的な価値を有するフィルム』
としてヴァチカンによって認定された全世界の45の作品の中に選ばれた
唯一の日本映画である。・・・
市川は昭和60年にカラーで『ビルマの竪琴』を新しく製作した。
カラー版は国内的には興行的に大成功だったが、国際的な反響は
モノクロ版に及ばなかった。
なお文学作品としての『ビルマの竪琴』の売行きは
映画化される前からめざましかった。参考までに
『ビルマの竪琴』新潮文庫版は2008年の102刷で
240万部印刷されている。」(p204)
貴重な高校時代の証言を
ありがとうございます。