ひさしく、開かなかった
詩集を本棚から取りだす。
「竹中郁全詩集」(角川書店)
その詩集のおわりには
竹中さんのこと 井上 靖
竹中郁の世界 杉山平一
解題 足立巻一
年譜 足立巻一
がありました。
そういえば、井上靖氏のこの文を
読んでいなかったなあ、と読みだす。
「・・私は(昭和)23年の暮れには居を
大阪から東京に移しているので、それまでの
僅か3、4年の間のことである。・・・
・・氏とのお付き合が、急速に一層頻繁になり、
親密の度を加えるようになったのは、
22年の秋から23年にかけてである。
童詩雑誌『きりん』編集のために
顔を合わせることが多くなったのである。
今考えると、あとにも先にもない
ふしぎに楽しい期間であった。」
(p707~708)
「私たちの仲間で一番暗くあって然るべきなのは
竹中さんであったかも知れない。
氏は戦火によって生家も、養家も、御自分の住居も、
そしてたくさんの蔵書もすっかり焼いてしまっているのである。
氏はそうしたことから受けられた筈の心の打撃の、
その片鱗をも見せなかった。
構えているわけではなく、それがごく自然であった。・・・
こうしたことは氏の第七詩集『動物磁気』をひもどくと
よく判る。この詩集は23年7月、尾崎書房から出版されたもので、
私が氏と漸く繁くお付合するようになったその時期の、
戦後の作品が一冊に収められている。・・・・
どの一篇をとっても、そこには戦後が顔を出しているが、
しかし暗さはみじんもない。焼跡から詩を拾っているが、
まるで宝石でも拾うような拾い方である。・・・」
(p710~p711)
うん。それならば、
『動物磁気』全篇をあらためて読みましょう。
さて、一篇の詩を引用するとしたら、
むずかしいけれど、私はこれにします。
開聞岳
このごろ
しきりに開聞岳が見たい
開聞岳 あの九州の南端の
海から生えたやうな傑作だ
夢にもくっきりと現はれる美しさ
しきりに死火山開聞岳が見たい
〇
昭和十五年二月十日早暁
海上から打ち眺めた
開聞岳の眉目
〇
もの悲しい焼野原の町のゆくて
ときどき 突然
開聞岳が見える
そして ぱったり消える
アイスクリームをたべたより
十倍も爽快だ
ちなみに、
本の最後に載る、年譜をめくると
「昭和22年(1947) 四十三歳
・・・・十一月、詩『開聞岳』を『詩学』に発表。」
「昭和23年(1948) 四十四歳
・・二月、児童詩誌『きりん』と命名し、
尾崎書房から創刊して監修及び児童詩の選評にあたる。」
という箇所があります。
詩集を本棚から取りだす。
「竹中郁全詩集」(角川書店)
その詩集のおわりには
竹中さんのこと 井上 靖
竹中郁の世界 杉山平一
解題 足立巻一
年譜 足立巻一
がありました。
そういえば、井上靖氏のこの文を
読んでいなかったなあ、と読みだす。
「・・私は(昭和)23年の暮れには居を
大阪から東京に移しているので、それまでの
僅か3、4年の間のことである。・・・
・・氏とのお付き合が、急速に一層頻繁になり、
親密の度を加えるようになったのは、
22年の秋から23年にかけてである。
童詩雑誌『きりん』編集のために
顔を合わせることが多くなったのである。
今考えると、あとにも先にもない
ふしぎに楽しい期間であった。」
(p707~708)
「私たちの仲間で一番暗くあって然るべきなのは
竹中さんであったかも知れない。
氏は戦火によって生家も、養家も、御自分の住居も、
そしてたくさんの蔵書もすっかり焼いてしまっているのである。
氏はそうしたことから受けられた筈の心の打撃の、
その片鱗をも見せなかった。
構えているわけではなく、それがごく自然であった。・・・
こうしたことは氏の第七詩集『動物磁気』をひもどくと
よく判る。この詩集は23年7月、尾崎書房から出版されたもので、
私が氏と漸く繁くお付合するようになったその時期の、
戦後の作品が一冊に収められている。・・・・
どの一篇をとっても、そこには戦後が顔を出しているが、
しかし暗さはみじんもない。焼跡から詩を拾っているが、
まるで宝石でも拾うような拾い方である。・・・」
(p710~p711)
うん。それならば、
『動物磁気』全篇をあらためて読みましょう。
さて、一篇の詩を引用するとしたら、
むずかしいけれど、私はこれにします。
開聞岳
このごろ
しきりに開聞岳が見たい
開聞岳 あの九州の南端の
海から生えたやうな傑作だ
夢にもくっきりと現はれる美しさ
しきりに死火山開聞岳が見たい
〇
昭和十五年二月十日早暁
海上から打ち眺めた
開聞岳の眉目
〇
もの悲しい焼野原の町のゆくて
ときどき 突然
開聞岳が見える
そして ぱったり消える
アイスクリームをたべたより
十倍も爽快だ
ちなみに、
本の最後に載る、年譜をめくると
「昭和22年(1947) 四十三歳
・・・・十一月、詩『開聞岳』を『詩学』に発表。」
「昭和23年(1948) 四十四歳
・・二月、児童詩誌『きりん』と命名し、
尾崎書房から創刊して監修及び児童詩の選評にあたる。」
という箇所があります。
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