『袖すり合うも、他生の本の読み齧り』とか。
『井の中の蛙の、井の中の本棚』とか。
昨日は、自分なりの言葉遊びを思い浮かべました。
以下には、昭和25年頃の、大工さん。
そうして、思い浮かぶ2冊からの引用。
谷沢永一著「回想 開高健」の第一章のはじまりは、
「昭和25年、1月・・」でした。
廊下の椅子で本を読んでる谷沢さんの、その頭の上から
『タニザワさんですかっ、ぼくカイコウですっ』
と大音声が降ってくる場面からはじまっておりました。
こうして、開高健が谷沢永一の家にくるようになります。
その家について、数ページあとに書かれてありました。
「大阪市阿倍野区昭和町・・・・
八軒長屋のひとつ、二間小間中(にけんこまなか)、
大阪でもっとも標準的な庶民向きの借家を、
終戦ただちに探しだして、父がベニヤ板の小売商をはじめた。
当時は必ず長屋の裏、格好だけの堀の奥に、
幅半間(はんげん)の汲み取り道があり、堀の内側は、
朝顔でも植えるように、ほんの僅かながら空地となっている。
父は30歳すぎまで大工の若棟梁だったから、
設計普請はお手のもの、それに生来の工夫好きであるから、
このありがたい空間を見たら、もうじっとしてはおれない。
裏の堀の上の、まあ言うなら二階、幅はこの家のほぼ間口
いっぱい・・・約四畳分の小部屋を、自分ひとりでたちまち
作りあげた。ここへ長男の私を押しこむと、弟および妹の
勉強部屋にも、なんとかゆとりが生じるのである。・・・」
はい。谷沢永一氏の父親は、若い時に大工の若棟梁をしていた
ということがわかります。
ちなみに、昭和25年に、山本夏彦は工作社を立ち上げておりました。
山本夏彦著「『室内』40年」(文芸春秋)にあります。
こちらは、質問に答える形の一冊。
そのはじめの方に、
「・・工作社は昭和25年から『個人』としてあった。
市ヶ谷ビル二階にあった、そこで単行本と店舗や住宅の
設計図集を出していた。昭和25年はまだ焼けあとの時代です。
ヤミ屋が絶頂からくだりかけた時代です。」(p12)
はい。ここは長く引用してゆきます。
「昭和30年代までは、家は昔ながらの作り方で建てていました。
戦前からの大工の棟梁(かしら)がまだ健在で、
うなぎ屋はうなぎ屋、ソバ屋はソバ屋、銭湯は銭湯の形が
決まっていたからその通り建てた。工夫するといっても
便所を水洗にする程度で、ただ便所にタイルを貼ったりするから、
木に竹をつぐみたいでした。・・・・
雑誌を創刊する前は小住宅図集、家具の設計図集なんかを出していた。
まだテレビがない時代だから、もっぱら新聞広告をしてね。
それが大変、今のテレビと同じでたちまち反響がある。
新聞広告の反響のピークは一週間です。・・・・
千通を超す内容見本の請求がある。八割はその月のうちに買ってくれる。
だって小住宅・家具・建具の設計図集なんかひやかしたってしょうがない。
それが三、四年間に8万人になった。ただの8万人じゃない、
郵便局に行って、振替用紙で送金する労を惜しまない8万人です。
住所氏名職業が明記してある。
当時は家具や建築の職人は本屋へ行く習慣がなかった。
だから直接買いにくる。ちょっとした行列ができた。
遠い人は送金してくる。
昭和29年までにその名簿の清書が完備したから、
『木工界』の創刊を思いついた。
調べたらこの世界には雑誌がない、
あってもそれは『業界誌』だ。業界誌は自分は一つも
広告しないで、広告を奪うだけの存在です。・・・・」(p14~15)
最後にあと少し引用しておわります。
「・・家はどんどん建ちつつある。
建築費にくらべれば設計図集なんてタダみたいなものです。
買わなきゃソンです。そうして集まった読者が8万人、
それに向けて『木工界』を創刊したんです。」(p16)
うん。ここで終わるのは惜しいので、
さらに引用をつづけることに。
「昭和30年代から木工機械が出てきた。・・・・
その木工機械の広告が『木工界』に出た。
他に広告するところがないから全部出た。
全部出ると出てないメーカーはもぐりになる。
だから一流から末流まで出た。
・・・メーカーばかりじゃない販売店も大広告した。
・・・でもね木工機械は一度買った最後こわれない。
全国に普及したらたちまち売れなくなりました。
次に新建材が出てきた。
デコラ、ホモゲンホルツ、プラスチック、スチール、ブロック。
『木工界』というタイトルじゃつつみきれなくなって、『室内』に
改めた。76号、昭和36年4月号からでした。
話は前後するけれど創刊早々の昭和30年の12月号に
『仕入の手引』を別冊付録にしてつけました。
『木工界』のおまけです。タダです。
小は鋸や鉋、ノミ、大工道具全部。接着剤。大は木工機械。
それがズラリと勢ぞろいしている。広告料とればいいのに
一銭もとらない。タダで別冊付録にしたのです。」(p18)
はい。引用が長くなりました。今回はここまで。
はい。神道から神社へ
つぎ、五重塔から棟梁へ
佐伯彰一から幸田露伴
幸田文からサザエさん。
そして、
山本夏彦と谷沢永一。
つい。始まりを忘れてしまいます。
つぎ、大工さんをつづけてみます。