さてっと、昨年の講座では、8月の夏休みに高校の教室を借りて
公民館便りで一般の方を募集し、10数人参加でおこないました。
ほとんどが、70代以上でした。実施日は水曜日なので
60歳代の方々は仕事をしています。そんなこんなで、
思い浮かんだのは、曽野綾子さんの言葉でした。
「今度の地震でも、比較的老年の人はほとんど動揺を示さなかった。
多くの人は、幸福も長続きはしないが、悲しいだけの時間も、
また確実に過ぎて行く、と知っている。
どん底の絶望の中にも、常に微かな光を見たからこそ、
人は生き延びてきたのだという事実を体験しているのである。」
( p20 曽野綾子著「揺れる大地にたって 東日本大震災の個人的記録」 )
そういえば、思い浮かぶ詩がありました。
希望 杉山平一
夕ぐれはしずかに
おそってくるのに
不幸や悲しみの
事件は
列車や電車の
トンネルのように
とつぜん不意に
自分たちを
闇のなかに放り込んでしまうが
我慢していればよいのだ
一点
小さな銀貨のような光が
みるみるぐんぐん
拡がって迎えにくる筈だ
負けるな
(p12~13 杉山平一著「詩集 希望」編集工房ノア・2011年11月2日発行)
ちなみに、曽野綾子氏は1931年生まれ。
そうして、杉山平一氏は1914年生まれ。
さらには、柴田トヨさん1911年生まれ。
柴田トヨ詩集「くじけないで」(飛鳥新社・2010年3月発行)から最後に引用
あなたに
出来ないからって
いじけていてはダメ
私だって 96年間
出来なかった事は
山ほどある
父母への孝行
子供の教育
数々の習いごと
でも 努力はしたのよ
精いっぱい
ねえ それが
大事じゃないかしら
さあ 立ちあがって
何かをつかむのよ
悔いを
残さないために
産経新聞の「朝の詩」の御常連さんだったので
いつも拝見していました。
ご高齢になってからの投稿でしたよね。
私も 高齢者となってみると
たしかに 知人や親せきの死も 何度も体験し
震災という大災害も経験し~
その他 様々なトラブルも。。。
これまで 激動の人生ではなかったけれど
それなりに 色々な経験をしてきて
若い時に比べると
少々のことでは 動じなくなってるかも。
そして
感動することも 少なくなってしまっているようなのは とても残念ですけれど。
昔は ちょっとお洒落なレストランなどに行くと
本当に感激したものですが~
今では あそこの方が良かった~とか
批判的に見たりもするようになり~
そういう自分を反省しています。
きさらさんは、産経新聞での柴田トヨさんの
詩を時系列で読んでいたのですね。すごいなあ。
あらためて、柴田トヨさんの詩集を身近にひらいて
みることにします。コメントありがとうございます。