和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

それを読みたい。

2012-02-01 | 本棚並べ
司馬遼太郎・堀田善衛・宮崎駿「時代の風音」(UPU)という鼎談本。
その一部は、司馬遼太郎対話選集4「日本人とは何か」(文芸春秋)に入っておりました。その対話選集の解説にこうありました。

「この鼎談は1992年・・・・同書は、『エスクァイア日本版』のために行われた二回の座談をもとに、担当編集者だった植田紗加栄が再編集した。きっかけは、宮崎の知人の別荘が堀田の別荘と隣合わせにあり、そこで宮崎が堀田との知遇を得た折り、堀田にぜひ司馬と対談してほしい、それを読みたいと希望したことにある。その旨が堀田夫人から『エスクァイア』の植田に伝えられ、実行されることになった。植田は語る。『宮崎さんは、はじめ鼎談に参加されることを固辞されましたが、読者のためにぜひ、とお願いしたのです』・・」

ちなみに、対話集には鼎談「時代の風音」の第五章「宗教の幹」が掲載されておりました。

ここでは、単行本「時代の風音」のp197~198に出てくる
司馬さんの言葉から、引用。そこに梅棹忠夫が語られておりました。


「梅棹忠夫さんが二十数年まえに文化人類学者といっしょにヨーロッパ文化人類学調査をしたときに、ヨーロッパ人のプライドをいたく傷つけました。そもそも文化人類学というのは、ヨーロッパ人がアフリカなどでやる学問じゃないかというわけです。
それを大まじめに日本人たちがヨーロッパ人を対象にやりまして、梅棹忠夫さんはイタリアを受け持ちました。ローマから歩いて一日行程ぐらいの村で、彼はしばらく定住しました。そのときに、年をとった運搬業者のじいさんから聞いた話がおもしろかったそうです。
自分は最初に親方に奉公したのは十四歳のときで、そのときにローマに荷物を運んでいくについて、『おまえ、ローマに行って恥かかんようにな。ローマはな、ナイフとフォークというもので飯食っているんだ』といわれて木でそれを作って、稽古をさせられたもんだというのです。ということは、梅棹忠夫が二十年まえに調査したとして、そのおじいさんの五十年まえの話だとして勘定したら、いまからほんの七、八十年前は、ローマの郊外ではナイフとフォークは使われてなかった。」

このあとに、堀田善衛さんが薀蓄を、さりげなく披露しておりました。
そういえば、新刊に「梅棹忠夫の『人類の未来』」(勉誠出版)があったなあ(なんて、梅棹忠夫著作集さえ読んだことのない私が思い浮かべます)。

さてっと、司馬さんの言葉のなかに、
『おまえ、ローマに行って恥かかんようにな』というのがありました。

そこから、私が思い浮かべたのは、
天野忠の詩「修学旅行」でした。
ということで、その詩の引用。


    修学旅行

 東京へ行ったら恥かくな
 先生は言った。
 黒板に大きく洋式便器の絵を画いて
 『ええか
  この前に立って行儀ようやるんじゃ
  ここを押すと
  水がサーッと出てくる』
 水のサーッと出てくるところは
 白ボクを勢いよく擦するように画いた。
 古い牛乳みたいな水がサーッと出てきた。
 『ええか お前ら  
  しょんべんで恥かくなッ』
 黒板の水洗便器に向って
 平畑村の古田君がハイッと手を挙げた。
 『先生、しょんべんだけか』
 『阿呆ッ、大は別じゃ』
 それから大の方の絵と説明をしてから
 『以上である、わかったか』
 『ハイッ』
 と全員は答えた。

 次の日
 全員十一名は夜明けに村を出て
 駅まで歩いた。
 途中で
 古田君の病気のお母ぁが
 日の丸を振っていた。


この詩は、天野忠詩集「讃め歌抄」にあります。
そういえば、未読ですが気になるのが
天野忠著「我が感傷的アンソロジイ」(書肆山田)という本。
こちらは、知られずに消えてしまった詩人を
詩とともに、すくいあげてくれている詩人論となているようです。
最初の文だけ読んだことがありました。
消えてゆく詩たち。

さてっと、小長谷有紀編「梅棹忠夫の『人類の未来』」
という本は、じつは手元にあります。
その最初に、「『人類の未来』目次案」
という梅棹氏の手書きの草稿が掲載されておりました。
その最後のエピローグの目次案は、というと

「  エピローグ

 エネルギーのつぶし方 ―――
 理性 対 英知    ―――
 地球水洗便所説    ―――
 暗黒のかなたの光明           」

このなかの、地球水洗便所説というネーミング。
はたして、どう書かれる予定だったのかなあ。
ちなみに、地球規模という発想では
こんな箇所がありました。

【梅棹】なるほど。しかしね。民俗学の立場から言うと、
人間というのは本当に何をするか分からない生き物ですよ。
東海村での臨界事故にしても、ウラン溶液をバケツで入れた
訳でしょう。そういうことが起こるんです。
いろいろ手を尽くして安全に努めても、
それを裏切るようなことが起こる。
日本で起こることなら、海外でも必ず起きますよ。(p151)

【地球文明 2000年の座標】という題で、
1999年11月におこなわれた対談。



「それを読みたい」といった宮崎駿さん。
その希望を、つないだ堀田夫人。

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