七十代で太田垣蓮月は、年下へ手紙を書くのでした。
① ひとりは、齋治(幼名・二郎)40歳(?)への手紙
② そうして、富岡鉄斎・32歳への手紙
杉本秀太郎著「太田垣蓮月」(小沢書店)から引用。
① 「 二郎様、御事、毎日ご様子は承り居り候・・・
私もよそながらうれしく悦び居り候ことに御座候。
・・・・
とかく人は長生きをせねば、
どふも思ふことなり申さず。
また三十にて運の開けるもあり、
六十七十にて開く人も御座候ゆへ、
御機嫌よく長壽され候ことのみ、
願ひ上げまゐらせ候。 」( p105 )
この手紙を引用したあとに、杉本秀太郎氏はこう書いておりました。
「ここに齋治に対する願いとして書きつらねられている
『長生きせよ』という考え方も、これを一つの思想と受け取るべきである。
長生きしなければ取りにがす思想がある ・・・・ 」
② 蓮月は78歳、鉄斎が32歳。
鉄斎の父、富岡維敍の十三回忌法要のときに書かれた手紙。
「富岡鉄斎である。われわれは『全集』「消息篇」に収められた
鉄斎あての一群の手紙に、齋治に向けられた同じ『長生き』の
切なるすすめが、それも再三くり返されるのを読むことが出来る。」
「 ・・何事も御自愛あそばし、
御機嫌よく御長壽あそばし、
世のため人のためになることを、
なるべきやうにして、心しづかに、
心長く御いであそばし候やう
ねがひ上参らせ候 」( p106 )
このあとは、こんな指摘も杉本氏はしておりました。
「蓮月が埴細工に手を染めてようやく四年ばかりの歳月がすぎた頃、
天保七年(1836)が鉄斎の生年になる。それは大飢餓の年であり・・・」
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