もう20年より以前なのですが、御多分にもれず、
子どもが小学生の時にPTAの役員が回ってきました。
役員になると、学区より大きな地区の各小学校の集まりも
ありました。そんなこんな出事が多かったのですが、
印象に残っていることがありました。
PTA役員という通行手形で、隣の小学校などにも
行事を口実に、気楽におじゃましておりました。
開かれた学校ということで、嫌な顔はされませんでした。
「学級だより」とか「園だより」とか「学校だより」とか
週一回の便りがあったり、毎日出している「学級だより」も
見せていただきました。
隣の学校の校長先生からは、自分が担任していた頃の
最後の「学級だより」がまとめてあり、
僭越ながら借りて読ませてもらったことがあります。
う~ん。奥が深いものなんだなあ。
と読ませていただいて思っておりました。
自分が小学生の頃は、ボケっとしていたから、
知らずに過ごしていたのかもしれないし。
何よりも学校によって異なることも知りました。
うん。こんな話をしているのはなぜか?
「大村はまの国語教室」の読み始めに、
そのPTAの頃の印象が蘇ってきました。
あの頃、読ませてもらった学級だよりの内容にただ
驚いてばかりでしたが、それだけになっていました。
うん。もっと深いものを読んでみたかったけれども、
そこはそれ、腰かけのPTA役員でしたので、
その役を引き継げば、そこでもうおしまい。
今回、「大村はまの国語教室」を買ったは、
忘れていたPTAでの読みたかった記憶に結びつきそうです。
うん。根っこでつながったようなことを、
今日になって思い出しております。
「話・和・輪(ワワワ」なんてタイトルで。
もっと深いものを読んでみたかった・・・とのことですが、どんなことを求めていらしたのでしょうか。
ところで、和田浦海岸さんは子煩悩な親御さんだったのですね。
コメントありがとうございます。
ほとんど、思いついたままを
ブログ更新したもので、のりさんの指摘に、
私自身もはてな? と、考えこみます。
はい。思いもしなかったところからの
ツッコミで咄嗟に言葉をうしなうよう。
はたと考えます(自分のことなのにね)。
思いついたのは、中学というキーワードでした。
私は小学校の便りばかり読ませてもらっていた。
戦後、大村はまさんは、新制中学校の教師を
引き受けて活動してゆかれます。
戦後の大村はまさんの土俵は中学生が相手。
きっと、ここらあたりが求めていた、
「もっと深いもの」の正体かもしれません。
う~ん。とりあえずこんなところです。