徳岡孝夫著「完本 紳士と淑女 1980~2009」(文春新書)。
この新書の最後は、「諸君!」最終号に載った文でした。
そのはじまり
「今年の雛祭の夜のことだった。
私の体を触診し、あちこちにマジックで×マークを付けてた教授が、
ふとマーカーを置いて質問した。『今から入院しますか?』
問いにほとんど釣り込まれるように、私は『はい』と答えていた。」
途中を端折って
「ガン宣告と前後して、『諸君!』の編集長から電話があった。
『やむを得ない事情により、『諸君!』が休刊に決まりました。・・』
そうですか、長らくお世話になりました、と言って、私は電話を切った。
『諸君!』巻頭の『紳士と淑女』は、できの悪い月もあったが、
私は過去三十年、その原稿によって『諸君!』と繋がってきた。・・・」
「長年の交情に結ばれた読者とは別れづらいが、
これもまた人の世のならいである。」
このあと、大木惇夫の詩『戦友別盃の歌』を引用。
そうして、この文の最後の2行は、
「なお、三十年にわたって、ご愛読いただいた
『紳士と淑女』の筆者は、徳岡孝夫という者であった。」
ここで、匿名の「紳士と淑女」が、はじめて名前を明かしたのでした。
以上が、2009年『諸君!』6月最終号の文でした。
ガンということで、これを読み直してから、
今日、本棚から取りだしたのは、
板坂元著「続考える技術・書く技術」(講談社現代新書)
そこに「尾崎紅葉の心意気」(p164~166)という
小見出しがついた箇所をひらく。
はじまりは
「尾崎紅葉がガンで重態だと新聞に報道されてしばらくして、
紅葉はその痩せほそった姿を丸善の店頭に現した。そのころ
丸善で働いていた内田魯庵は驚いて、紅葉を迎えた。・・・
魯庵が『何を買いに来た』と質問する。『「ブリタニカ」を
予約に来たんだが、品物が無いっていうから「センチュリー」
にした』という答え。」
はい。内容は、内田魯庵著「思ひ出す人々」でも読めるので、
ここはカット。
ここでは、板坂元氏の、この箇所の最後の言葉を引用。
「われわれ凡人には、なかなかできることではないが、
仕入のためには多かれ少なかれ執念といったものが必要だと思う。
なにごとも受身になりがちで、無気力化が問題になている
今の多情報社会では、とくにこのような挑戦型の生き方が、
人間らしく生きるためにも大切になってきている。また、
書いた文章を読んでくれる人に対するエチケットとしても、
情報収集に執念を燃やすことは、基本的な態度なのである。」
(p166)
え~と。
なぜ、こんな引用をするのかといいますと。
「新潮45」2018年9月号の徳岡孝夫氏の巻頭随筆を
読んでから、ぼ~としていたからなのだと思います。
9月号の徳岡氏の巻頭随筆の終りには、こうありました。
「語る言葉を選んで語り、読者にありのままを伝える。
ジャーナリズムが成すべき仕事を私は成した。
・・・・・・・
日本の記者が誰も取材しなかったベトナム戦争
最後の洋上ルポルタージュだった。」
この新書の最後は、「諸君!」最終号に載った文でした。
そのはじまり
「今年の雛祭の夜のことだった。
私の体を触診し、あちこちにマジックで×マークを付けてた教授が、
ふとマーカーを置いて質問した。『今から入院しますか?』
問いにほとんど釣り込まれるように、私は『はい』と答えていた。」
途中を端折って
「ガン宣告と前後して、『諸君!』の編集長から電話があった。
『やむを得ない事情により、『諸君!』が休刊に決まりました。・・』
そうですか、長らくお世話になりました、と言って、私は電話を切った。
『諸君!』巻頭の『紳士と淑女』は、できの悪い月もあったが、
私は過去三十年、その原稿によって『諸君!』と繋がってきた。・・・」
「長年の交情に結ばれた読者とは別れづらいが、
これもまた人の世のならいである。」
このあと、大木惇夫の詩『戦友別盃の歌』を引用。
そうして、この文の最後の2行は、
「なお、三十年にわたって、ご愛読いただいた
『紳士と淑女』の筆者は、徳岡孝夫という者であった。」
ここで、匿名の「紳士と淑女」が、はじめて名前を明かしたのでした。
以上が、2009年『諸君!』6月最終号の文でした。
ガンということで、これを読み直してから、
今日、本棚から取りだしたのは、
板坂元著「続考える技術・書く技術」(講談社現代新書)
そこに「尾崎紅葉の心意気」(p164~166)という
小見出しがついた箇所をひらく。
はじまりは
「尾崎紅葉がガンで重態だと新聞に報道されてしばらくして、
紅葉はその痩せほそった姿を丸善の店頭に現した。そのころ
丸善で働いていた内田魯庵は驚いて、紅葉を迎えた。・・・
魯庵が『何を買いに来た』と質問する。『「ブリタニカ」を
予約に来たんだが、品物が無いっていうから「センチュリー」
にした』という答え。」
はい。内容は、内田魯庵著「思ひ出す人々」でも読めるので、
ここはカット。
ここでは、板坂元氏の、この箇所の最後の言葉を引用。
「われわれ凡人には、なかなかできることではないが、
仕入のためには多かれ少なかれ執念といったものが必要だと思う。
なにごとも受身になりがちで、無気力化が問題になている
今の多情報社会では、とくにこのような挑戦型の生き方が、
人間らしく生きるためにも大切になってきている。また、
書いた文章を読んでくれる人に対するエチケットとしても、
情報収集に執念を燃やすことは、基本的な態度なのである。」
(p166)
え~と。
なぜ、こんな引用をするのかといいますと。
「新潮45」2018年9月号の徳岡孝夫氏の巻頭随筆を
読んでから、ぼ~としていたからなのだと思います。
9月号の徳岡氏の巻頭随筆の終りには、こうありました。
「語る言葉を選んで語り、読者にありのままを伝える。
ジャーナリズムが成すべき仕事を私は成した。
・・・・・・・
日本の記者が誰も取材しなかったベトナム戦争
最後の洋上ルポルタージュだった。」
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