和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

短文の出だし。

2024-09-08 | 詩歌
安野光雅著「絵本 歌の旅」は、短文の連なりなのに、
私には、これがなかなか読み通せないのでした。

はい。こういうときは、どうするか。
とりあえずは、一通り読んだ気になりさえすればよいことに、
ここには、短文の出だしを、ちょっと気になる箇所から列挙。

「 NHK・FM『日曜喫茶室』の番組でのこと、
  小沢昭一が、唱歌をうたって泣くんだ、といいはじめた。 」(p4)

うん。そういえば、『日曜喫茶室』を楽しく聞いていた記憶があります。

「 留守番電話に声が残っていた。
 『 それでは一曲うたいます 』と言ったかと思うと、
 『 灯りをつけましょぼんぼりに・・ 』とうたうのである。
  そんなことをするのは〇〇以外にない。 」 (p8)

はい。留守電に声を吹き込むのはギコチなくなりますが、
でも、歌なら。一度試してみたくなるじゃありませんか。

「 文語文は、鴎外とか諭吉とか中江兆民など、
  大先輩の仕事で、われわれが使うものとは違うと思っていた。 」(p14)

ここは、 『春の小川』と題する短文なのですが、
文中に、『我は海の子』がまず登場しております。
うん。気になるので、それを引用。

「 文語文には、口語文にない音の響きがある。
  ときには、口語で言えば面はゆいばかりの真情も、
  文語のリズムにのせれば吐露することもできる。
  たとえば、『我は海の子』というところを、
  口語文で言えといわれたら、どのように訳すだろうか。
  わたしにはできない。 」(p14)

汽車と題する短文のはじまりは

「年寄りが、懐かしそうに話すのを何度も聞いたことがある。
 むかし鉄道が開通し、津和野にはじめて汽車が来たとき、
 ずいぶん遠くから、弁当をもって人が見に来た。
 煙草いっぷく、のむかのまぬうちに、汽車はもう見えなくなる。
 なんとも速い、その速さには驚いたなどと、
 こもごも言い合ったということだ。 」(p16)

う~ん。まだ最初の方しか引用していないのに
もう私は、この引用で満腹感。最後にこの箇所でおわります。

「 昔、デモシカ先生という言葉があった。
  終戦のころ、仕事がないし、一方、
  先生をやる人手もないというふしぎな時代に、
  わたしが田舎の加見村小学校の代用教員になったのは、
  昭和22年のことだった。石田勝美というその学校の校長に
  面接の機会を得、『 ピアノは弾けますか 』と言われ、
  ハイと言わなければ採用されないと思い、
  大嘘を言ってしまった。 」(p22)

はい。この本に収められた安野さんの短文の
出だしだけ並べていると、もうそれだけで満足満腹。
そして、安野光雅の絵をめくると歌が聞こえてくる。
まったくもって、こまった一冊です(笑)。



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