今日の産経新聞7月22日。
一面は「EU 米IT流に不信」という見出し。
「グールグに巨額制裁金」と続きます。
それはそうと、今日の産経新聞「新聞に喝!」は
正高信男氏で題は「ブロック塀倒壊と『高槻方式』」。
「・・・学生だった昭和50年ごろの数年間。
高槻市に近い吹田市の進学塾で、中学3年生を相手に
高校受験指導のアルバイトをした。
それなりに名の通った塾で大阪府北部の各地から
成績優秀な生徒も集まっていた。そこで
入学願書を出す時期になるときまって、
高槻市から来ている生徒の表情がさえないのだ。
聞くと、高槻市外の進学校を志願したくても
先生が認めてくれないのだという。
その時に『高槻方式』という言葉があることを知った。
高槻方式とは、市内の中学生には市内の公立高校に
進学することを強く推奨するという公立中学で
行われていた進路指導である。・・・」
このあとに『高槻方式』を掘り下げていますが、
それを飛ばして
「今回のブロック塀の倒壊に関し、
市教委は防災の専門家による危険性の指摘に対し
動きが鈍かったと報じられている。
進路指導の高槻方式に関しても、
外部からの批判に対して彼らは聞く耳を持たなかったようだ。
同じような体質が惨事の背景になった可能性もないとはいえない。
とすれば問題の根はかなり深いことになる。・・・」
正高氏の文の最後はというと
「時代のなかで埋もれそうになっている事実を
掘り起こすことも、メディアの役割であろう。
高槻方式とはいったい何だったのか。
もやもやを抱えたままでいるのは私だけではないと思う。
ローカルな事象とはいえ普遍的な意味もあるに違いない。
・・・」
はい。ここで取り出す「WILL」8月号。
そこに掲載されていたつるの剛士さんの
文を最後に引用。
「僕は、小学校時代を高槻市で過ごしました。
その小学校で受けた教育は、かなり偏っていたんです。
まず、国歌を歌ったことがありません。
同じ地域の小学校では、音楽の教科書の最後のページにある
君が代の歌詞と譜面の上にプリントが貼られたいたことも
あったそうです。
入学式や卒業式で、国旗が掲揚されることもない。
さらに、運動会の点数もなくなり、徒競走も
みんなで揃ってゴール。
朝鮮学校の子どもたちとも頻繁に交流がありました。
チマチョゴリを着て朝鮮の歌や遊びを教えてもらったり、
在日のクラスメートが、両親が受けてきた差別の話をする
機会もあった。在日の話を聞くのは良いことだと思うのですが、
在日の子どもと半強制的に遊ばされて、その報告書を
提出させる『班活動』と呼ばれるものがあったんです。
・・・・
高槻方式なんていう仕組みもありました。
中学校に上がる時、私立に行ったら格差が生まれる
ということで、成績が良い子も私立の中学校に
行けなかったんです。それでも私立に行きたいという
生徒のところには、先生が来て『そんなに私立に行きたいなら、
クラスの前で『友達を捨てる』と言いなさい!』
と言われたという話も聞きました。
・・・小学校の自分にはそれが当たり前だったんです。
何の疑問も抱かなかった。
ところが、大人になって同級生と飲みながら
『あれって少し偏っていたよね』という話になったんです。」
(p166~167)
一面は「EU 米IT流に不信」という見出し。
「グールグに巨額制裁金」と続きます。
それはそうと、今日の産経新聞「新聞に喝!」は
正高信男氏で題は「ブロック塀倒壊と『高槻方式』」。
「・・・学生だった昭和50年ごろの数年間。
高槻市に近い吹田市の進学塾で、中学3年生を相手に
高校受験指導のアルバイトをした。
それなりに名の通った塾で大阪府北部の各地から
成績優秀な生徒も集まっていた。そこで
入学願書を出す時期になるときまって、
高槻市から来ている生徒の表情がさえないのだ。
聞くと、高槻市外の進学校を志願したくても
先生が認めてくれないのだという。
その時に『高槻方式』という言葉があることを知った。
高槻方式とは、市内の中学生には市内の公立高校に
進学することを強く推奨するという公立中学で
行われていた進路指導である。・・・」
このあとに『高槻方式』を掘り下げていますが、
それを飛ばして
「今回のブロック塀の倒壊に関し、
市教委は防災の専門家による危険性の指摘に対し
動きが鈍かったと報じられている。
進路指導の高槻方式に関しても、
外部からの批判に対して彼らは聞く耳を持たなかったようだ。
同じような体質が惨事の背景になった可能性もないとはいえない。
とすれば問題の根はかなり深いことになる。・・・」
正高氏の文の最後はというと
「時代のなかで埋もれそうになっている事実を
掘り起こすことも、メディアの役割であろう。
高槻方式とはいったい何だったのか。
もやもやを抱えたままでいるのは私だけではないと思う。
ローカルな事象とはいえ普遍的な意味もあるに違いない。
・・・」
はい。ここで取り出す「WILL」8月号。
そこに掲載されていたつるの剛士さんの
文を最後に引用。
「僕は、小学校時代を高槻市で過ごしました。
その小学校で受けた教育は、かなり偏っていたんです。
まず、国歌を歌ったことがありません。
同じ地域の小学校では、音楽の教科書の最後のページにある
君が代の歌詞と譜面の上にプリントが貼られたいたことも
あったそうです。
入学式や卒業式で、国旗が掲揚されることもない。
さらに、運動会の点数もなくなり、徒競走も
みんなで揃ってゴール。
朝鮮学校の子どもたちとも頻繁に交流がありました。
チマチョゴリを着て朝鮮の歌や遊びを教えてもらったり、
在日のクラスメートが、両親が受けてきた差別の話をする
機会もあった。在日の話を聞くのは良いことだと思うのですが、
在日の子どもと半強制的に遊ばされて、その報告書を
提出させる『班活動』と呼ばれるものがあったんです。
・・・・
高槻方式なんていう仕組みもありました。
中学校に上がる時、私立に行ったら格差が生まれる
ということで、成績が良い子も私立の中学校に
行けなかったんです。それでも私立に行きたいという
生徒のところには、先生が来て『そんなに私立に行きたいなら、
クラスの前で『友達を捨てる』と言いなさい!』
と言われたという話も聞きました。
・・・小学校の自分にはそれが当たり前だったんです。
何の疑問も抱かなかった。
ところが、大人になって同級生と飲みながら
『あれって少し偏っていたよね』という話になったんです。」
(p166~167)
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