篠田一士といえば、「三田の詩人たち」(講談社文芸文庫)。
わかりやすくて、講演の記録なので、スラスラ飲み込める。
あんまりスラスラ読めちゃうので、忘れるのもはやかった。
けれども、この一冊は紹介しときたい本です。
文庫の解説は池内紀。ここから引用してみます。
「語り口はやさしいが、しかし、この点でもやさしいだけではなさそうだ。
選ばれた五人にしても、ふだん『詩人たち』と呼ばれるタイプではないだろう。
久保田万太郎は俳人・劇作家、
折口信夫は歌人・国文学者、
佐藤春夫は小説家、
堀口大學はフランス文学の翻訳。
西脇順三郎にきて、はじめて詩人らしいが、
英文学者としても知られていた。
さらに六人目、永井荷風に詩作めいたものがなくもないが・・
作品紹介にしても、やさしいなんてものじゃない。
俳句なり短歌なり詩なりをとりあげるとき、
たいていの語り手は当の作品にまつわり必要と思われる
事情を合わせて話すものだが、そんな手続きはいっさいない。
『 ここに二十ばかりの俳句を選んでみました 』
それがそっくり掲げてあって、直ちに作品に入っていく。
堀口大學によるアポリネールの訳詩には・・・・・・
むしろべつのことがわかってくる。
これが可愛らしい本でも、やさしい詩の鑑賞でもないということ。
日本の近代詩にかかわり、とりわけ重要な事柄が語られ、
それをこのように語れるのは、篠田一士という人のほか、
二人といないということ。
なぜ俳人や歌人が入ったのか。
はじめにきちんと理由が述べてある。
詩を語るなかに、俳句や短歌がまじるのはおかしいと
言う人がいるかもしれないが、おかしいと思うほうがおかしい。
この三つを合わせて考えなくては『日本の詩的創造の全貌』はつかめない。
それぞれが別個の世界として閉ざされていることこそ、
異様であり、不幸な文学現象というものだろう。
言葉をかえながら、くり返し述べてある。 」(p199~p200)
はい。自慢じゃないですが、私など最初の久保田万太郎でもう満腹。
それから先へすすめなくなっちゃった(笑)。
ということで、読んださわりを引用しておわり。
「久保田万太郎の小説は読んで面白い。
特に大震災や戦争で壊れちゃった江戸の感受性のありか、
ありようを知りたければ、久保田万太郎の小説を読むのが
一番てっとり早いと思いますよ。」(p14)
はい。一番てっとり早いと言われても、小説を読んでないのでここでつまづく。
「 俳人、歌人は長生きです。長生きしなきゃできない。
八十までじゃダメ、土屋文明さんなんか確か九十代の半ばですよ。」(p15)
ここにある『 長生きしなきゃできない。 』なんてジーンと印象深い。
コメントありがとうございます。
ありがとうございます。
参考にしたく思います。
確かに歌人には長生きの人が多いような気がします。奥様を亡くされても頑張っていらっしゃる方をお見受けします。これは歌が生きがいになっているとともに執念が長生きをさせるのかもしれませんね。