和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

諸山雲にのり、天をあゆむ。

2021-02-28 | 正法眼蔵
「正法眼蔵」の山水経の巻をひらいたので、
山水経における、大宋国についての記述も言及しておきます。

はい。もちろん増谷文雄氏の現代語訳から

「・・・いまの宋土の諸方におおく、
わたしも目のあたりに見聞したことがある。かわいそうに
彼らは、思惟(しい)は言語であることを知らないのであり、
言語が思惟をつらぬいていることを知らないのである。

わたしはかつて宋にあったころ、・・・・
誰がそんなことを彼らにおしえたのか。
本物の師がなかったから、おのずからにして
外道(げどう)の見解におちたのであろう。」(p28~29)

「いまの大宋国には、一群の杜撰(ずさん)のやからどもが
はびこっていて、すこしばかり本当のことをいっても、
いっこうに打撃をあたえることができぬ有様である。

彼らは・・・・もろもろの思惟にかかわれる語話は、
仏祖の禅話というものではなく、理解のできない話こそ
仏祖の語話だというのである・・・・

そのようなことをいう輩(やから)どもは、
いまだかつて正師(しょうし)にまみえたこともなく、
仏法をまなぶ眼もなく、いうに足りない小さな愚か者である。

宋国では、この二、三百年このかた、
そのような不埒なにせものの仏教者がおおい。
こんなことでは仏祖の大道はすたれてしまうと思うと悲しくなる。

彼らの解するところは・・・・
俗にもあらず、僧にもあらず、人間でもなく・・・
仏道をまなぶ畜生よりも愚かである。

汝らがいうところの無理会話とは、
汝らにのみ理解できないのであって、
仏祖はけっしてそうではない。
汝らに理解できないからとて、
仏祖の理路(りろ)はまなばねばならないのである。

もしも畢竟(ひっきょう)するところ
理解できないものならば、汝がいうところの
『理会(りえ)』ということもありえないのである。」(p28)


この箇所について増谷文雄氏は、開題でこう指摘しておりました。

「この巻において特に注目していただきたいことがある。
それは、この巻の前半、雲門のことばの『東山水上行』なる句
を釈する条(くだり)において、

禅話の理会(りえ)・無理会(むりえ)について論じていることである。
理会とは、今日のことばをもってすれば、おおよそ理解というにあたる。

しかるところ、今日もなおしばしば聞き及ぶところであるが、
仏祖の禅話はもともと判らないものであるという。
それが禅家の常套語(じょうとうご)である。

それに対して、道元は、そのような言説は
『杜撰(ずさん)のやから』どものいうところであって、
『禿子(とくし)がいふ無理会話(むりえわ)、なんぢのみ無理会なり。
仏祖はしからず。なんぢに理会せられざればとて、
仏祖の理会路(りえろ)を参学せざるべからず』という。

そこには、世のつねの禅家とは、まったく異なれる
道元の立場があることが知られる。」(p15)

以上。講談社学術文庫「正法眼蔵(二)」(増谷文雄全訳注)
からの引用でした。

はい。道元が『かつて宋にあったころ』のことが、
その状況を、見聞とともに語られているのでした。
そして、このあとに
「『東山は水上を行く』とは、仏祖の心底だと知らねばならぬ」
として山水経へと踏みこんでゆくのでした。

ということで、次の箇所は原文から引用。

「しるべし、この東山水上行は、仏祖の骨髄(こつずい)なり。
諸水は東山の脚下に現成(げんじょう)せり。このゆゑに、
諸山くもにのり、天をあゆむ。・・・・・」(p26)



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