和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

初めての坐禅。

2021-02-19 | 正法眼蔵
家で、とりあえず数分坐禅をしてみる。
お尻の方に座布団をおいて、坐りやすくする。
ときどき、思いついてするので、たよりない。

さてっと、そういえば、道元の正法眼蔵に、
坐禅についての箇所があるに違いないと、
まあ、そんなことを思うのでした。

講談社学術文庫の増谷文雄全訳注『正法眼蔵』の
目次をパラパラとひらいてゆくと、『正法眼蔵(三)』の
目次に『坐禅箴(ざぜんしん)』とある。
はい。そこだけを、それも現代語訳だけをめくってみる。
数分坐禅と、一部分のパラパラ読みと、
こういうのを、ちかごろ恥としないのは、
これはもう、年をくったということでしょうか。

さっそく、興味をひく箇所がありました。

「南嶽(なんがく)はまた示していった。

『なんじは坐禅を学んでいる。それは坐仏を学んでいるのだよ』

そんなことばをよくよく思いめぐらして、
仏祖の教えの機微を学びとるがよい。・・・・・・

正伝につながる仏者でなかったならば、とてもとても、
このような学坐禅は学坐仏なのだといい切ることはできまい。

まことにや、初心の坐禅は、初めての坐禅であり、
初めての坐仏であると知るがよろしい。」(p189)


はい。わたしは、これだけで満腹。
これ以上、読めなかったりします。

「坐禅箴」のすこし先の方には、こうもあります。

「仏の光明というのは、
 一つの句を聴いて忘れないのがそれであり、
 一つの教えを保ち守るのがそれであり、
 坐禅を直々に伝授するのがそれである。
 
 もしも仏の光明に照らされるのでなかったならば、
 それらを保ちつづけることも、信じ受けることも
 できないのである。

 そういうことで、古来からのことを尋ねてみても、
 坐禅の坐禅たるゆえんを知るものは少ない。・・・・」
 (p198)


うん。このくらいにして、さて、今日は、
我流の坐禅を、何分ぐらいできるかなあ。


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2 コメント

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悟りよりも健康では? (hara-tadashi)
2021-02-19 18:42:49
失礼ですが、記された文章からは悟りは十分と推察されます。
健康を考慮なさって、座禅よりも片脚立ちで瞑想の境地に挑戦されてみては如何ですか?
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弥勒菩薩半跏思惟像。 (和田浦海岸)
2021-02-20 09:04:12
はじめまして、haraさん。
コメントありがとうございます。

私は、これから道元の正法眼蔵を
読んでみようと思っている者です。

コメントいただいて、
ヨガとの関連を思い浮かべました。
つぎの、ブログにはそこのところを
書いてみたいと思います。

また、ベッドにはいったら、
弥勒菩薩半跏思惟像の姿を
思い浮かべておりました。

私自身なんとか、健康に留意して、
日々すごしてゆきたいと思います。

これからも、よろしくお願いします。
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