和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

草は嫌でも繁りはびこる。

2023-06-10 | 正法眼蔵
平川祐弘氏は1931年7月11日生まれ。現在91歳。

産経新聞2023年6月6日正論欄に、その平川氏の文がありました。
そのオピニオンの最後の方を引用。

「 ・・・世界を広く見渡して、こう述べたとき、
  教室ですぐ反応した内モンゴル出身の留学生がいた。

  ・・・あれから30年、そのテレングト・アイトル氏が
  大著『 超越への親密性――もう一つの日本文学の読み方 』を
  北海道学園大学出版会から出した。比較文化を日本語で雄弁に論じる

  ・・・アイトル教授は敵味方の戦没者に対する
  日本人の『 怨親平等 』の心にふれる。

  ・・・仙台市にある善応寺の『 蒙古の碑 』の献句碑には、
  大陸にはおよそ見られない。こんな句もある。

    蒙古之碑囲み花咲き花が散る。

  もし今後、新しい『 江南軍 』が九州南西へ襲来したらどうするか。
  
  文学・俳句は現実・歴史を超え、より超越的なものを求めると教授はいう。
  戦士の散華をいとおしむ里言葉の句を読むうちに、
  有事の際は敵味方の差別なく平等に死者を葬りたい。
  私はそう感じた。  」


うん。ここでテレングト・アイトル氏の大著を読めばよいのでしょうが、
それはそれ、私はいつ読むのやら。

ここは、葉を繁らせるように、思いを馳せます。

献句碑の『 蒙古之碑囲み花咲き花が散る 』から
わたしに思い浮かんできたのはというと、

道元の現成公案にある言葉でした。

「 華は愛惜(あいじゃく)にちり、
  草は棄嫌(きけん)におふるのみなり。 」

はい。増谷文雄氏の現代語訳では

「  花は惜しんでも散りゆき、
   草は嫌でも繁りはびこるものと知る。 」

      ( p41 講談社学術文庫「正法眼蔵(一)2004年 」

『 超越への親密性――もう一つの日本文学の読み方 』を
きちんと根をはるようにして読み、当ブログで紹介できますように。
 

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