和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

書き抜き。

2010-02-23 | 短文紹介
関厚夫著「ひとすじの蛍火 吉田松陰 人とことば」(文春新書)を
見るともなしに、ひらいたら、こんな箇所。

「書を読む者は其の精力の半ばを筆記(書き抜き)に費すべし」
吉田松陰というひとには、見てくれにあまりこだわらなかったところがあるらしい。・・妹、千代もこんな内容のことばを残している。
兄は、着物などでも母が一枚こしらえますと、新しくつくりますまで、何時までも黙って着ております。その構わぬ風といったら、歩くときには何時でも書物を沢山懐中に入れているため、重さで真ん中にあるはずの背筋の縫い目が片一方の肩のところにずれているのでございます。・・・嘉永三年九月。初めての外遊の目的地である平戸に到着したのはよいが、松陰は宿屋でことごとく『宿泊拒否』にあい、立ち往生していた。・・・『葉山佐内』という名の藩士の門前で、松陰は歩みをとめた。・・・幸運なことに佐内は、松陰が予想した以上の人格者だった。『おなかがおすきでしょう』と麦飯を出す一方で、その場で宿を手配し、貴重な蔵書や著書を快く貸してくれた。・・・松陰は平戸に約五十日間滞在する。・・・・
松陰はこの期間に約八十冊の書物を借り、要所を抜き書き、佐内から教えを受けた。余談だが、この抜き書きという作業は、松陰にとって学問の基礎をなす。松下村塾の門人の一人は維新後、『松陰先生は常に【書を読む者は其の精力の半ばを筆記(抜き書き)に費すべし】とおっしゃられた。先生のお宅には詩文の抜き書きだけで数十冊あり、先生の指の筆にあたるところには石のようにかたいタコがあった』と述懐している。・・・」(p51~53)


そういえば、講談社学術文庫の「日本人の笑」を
最近ひらきました。その解説は、小出昌洋氏。そこに森銑三と柴田宵曲とのことが語られておりました。そこを引用。

「消極的な柴田さんも、しかし一度筆を執ると才を迸らせるように稿を成したという。その文章を読むとき、内容のなる、簡潔な文章で、他の人のよくするところではない。簡潔の文には、なお『趣味の存するものがあり、滋味の存するものがあり、強いて技巧を弄せずして、人を惹きつける魅力を有した』と、先生はいって居られるが、私等もまた柴田さんの文章を読むとき、その感を深くする。柴田さんは実に得難い文章家だったので、こうしたところからも、先生は柴田さんに、文章を書いて貰いたかったのだろう。
いま先生の反故の内に、間々柴田さんの筆跡の原稿が見つかるのであるが、それは大抵が先生の原稿の浄書であったり、雑誌に掲載された他の人の写しであり、また二人共通の人の原稿の写しであったりする。柴田さんは実にこうしたことに労を厭わなかったようであった。」


私事。
日々、こうしてブログに引用を重ねておりますが、
違和感がない、私は自分の言葉の稀薄さに懲りているための引用なのですが、何とも、抜き書きにも歴史がありそうで、面白い。
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