和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

坊様も神様も・・。

2021-12-21 | 道しるべ
平川祐弘の連載自伝の32回目「神道の行方」。
これが2021年5月号のHanadaに掲載されておりました。

元旦も近づくので、あらためて読みます。
『さわらぬ神』という箇所をとりあげてみます。

「神道は・・占領軍の『神道指令』が出てから、
ひどく悪者扱いされた。それに異議を唱えた

東京高等師範の性善良な教授が『皇道哲学者』
として教職を追放され、一家は気の毒な目に遭った。

さわらぬ神に祟りなし、とはまさにそのことで、
私も背を向けた。」(p349)

そう背を向けた平川祐弘氏が西洋と接し
神道的感性に目覚めた記憶がつづられているのでした。

「西洋側の日本観察をたどるうちに私が気づいた点も多い。
 ・・・・
 神道観で感銘を受けた人は西洋人の神道発見者
 ハーンとクローデルで・・・

 〈クローデルの日本観〉を『歴史と人物』1974年2月号に
 載せた時、編集長の粕谷一希が
 『君のように、天皇について肯定的に書くと、論壇からほされるぞ』
 と注意された。世渡り下手は自覚している。
 ・・・・・
 大学人として身分を保障されているのは、
 自己に忠実に書くためだ、と信じている。
 私はその立場を変えることはない。」(p354~355)

さて、1931年生まれの平川祐弘氏は、
ここでは、ご自分のことに触れておりました。



「私は若い頃は無神論者とは言わずとも理性主義者と思っていた。
神棚や仏壇にお参りする。そんな正月風俗だが、注連縄(しめなわ)
を飾っても誰も神道とはおもわない。
クリスマスに銀紙のチョコレートなど子供心に嬉しい贈り物だが、
それが平川家ではキリスト教の行事でなかったのと似ていた。

これがご先祖様のお墓参りをする、お盆やお彼岸なら、
仏教色が感じられよう。だが父は分家して東京暮らし、
盆暮に帰省しない。
戦前は、父の河内や母の淡路は地理的に遠いばかりか
子供には宗教的に縁遠かった。」(p347~348)

「父が亡くなった・・・
家の宗教は真宗と聞いていたから、電話帳で調べて
真宗の坊様に来てもらった。初対面である。
お寺さんとの関係はいかにも薄い。

だが無信心ではないらしい。
本を出すたびに私は仏壇にお供えして、
ちーんと鉦(かね)を叩いて手をあわせる。
親に見守られて私達が今日の幸福を得ている
ことは、家内もわかっている。

平川家には、行きつけの神社も寺もなく、
今までこの自伝におよそ宗教の話は出なかった。
坊様も神様も牧師も登場しない。しかしそこは
たいていの日本人と同様、本当は無信心ではない
のかもしれない。・・・」(p350~351)

ちなみに、連載32回の、この回のはじまりは

「子供のころ元旦は、暗いうちに起き、
 親がお燈明をあげると、畏(かしこ)まって
 まず神棚に柏手を打ってお参りした。
 それから仏壇に手をあわせた。
 神棚は茶の間の鴨居の上にあり、
 その下は布団をしまう押し入れで・・・・」(p346)

うん。最後にここも引用しておきましょう。

「神道は自然の時の流れとともに湧く感情が中心で、
 ほかの大宗教と違い創始者がない。
 教義も戒律も経典もない。
 
 神官は僧侶と違い説教はしない。
 言葉で習うよりも感じるのが神道で、
 季節の変化に従い祀りをする。

 その節(せつ)とは竹の節(ふし)のような
 区切りを指し、節分とは気候の変わり目をいう。
 元旦にはお節料理をいただく。

 自然の動きにあわせて天を祀り地を祀る。
 儀礼を行なうからには宗教だろう。」(p353)


はい。Hanada2022年2月号は出たばかり、
平川祐弘氏の連載の自伝も、40回目。
ちゃんと載っておりました。

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2 コメント

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Unknown (びこ)
2021-12-21 13:57:56
神道の元締めは天皇陛下ということになりますが、そういえば、天皇陛下は説教をなさいませんね。というより、してはいけないのでしょうか?
返信する
言葉で習うよりも (和田浦海岸)
2021-12-21 14:11:22
こんにちは、びこさん。

私に、わからないので、
こういう場合は、ノーコメント。
返信する

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