たしか、大宅壮一氏の娘さんが、テレビの
コメンテイターで登場してたと思うのですが、
うん。最近も登場されているのでしょうか?
板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書・1973年)に
その大宅壮一氏のエピソードが登場してました。そこを引用。
「評論家の大宅壮一は、
何か事件があって新聞社が意見を電話できくと、
『賛成の意見が欲しいのかね、反対のが欲しいのかね』
と聞いてから、
紙面で大宅壮一氏談となる意見を述べたものだそうだ。
賛否どちらでも即座に意見が出てくる頭のはたらきは、
大したものだと思う。・・・・」(p42)
このエピソードを思い出したのは、
粕谷一希・平川祐弘の座談を読んでいてのことでした。
加藤周一(1919~2008)を二人して語った箇所があります。
平川】加藤さんは頭の切れる本当のスターで・・・(p158)
その頭の切れる加藤周一氏を、平川氏は語ります。
平川】 あまり言い過ぎてはいけませんが、
土着的な右翼論壇ほどではないにせよ、左翼論壇には
自家中毒症状があったと感じます。例えば、加藤周一などは、
『朝日新聞』の社説に合うような意見をずっと書いていたでしょう。
そのようにして『朝日』の評論家として絶大な力を発揮していたと思います。
それで論説委員たちは加藤さんや大江健三郎のようなえらい人も
自分たちと同意見だとたのもしく感じていたのかもしれませんが。
・・・・・
彼は、オーストラリアの方と結婚しましたが、当時、ドイツに行くと、
『この前は、イタリアと組んだから失敗したのであって、
だから今度はドイツと日本とだけで組もう』と言う酔っ払いが
実にたくさんいてからまれた。加藤氏も当然そういうことは
知っているはずなのに、
『そんなことは聞いたこともない』といった調子で
日本の平和主義や日本人のドイツ崇拝にあわせて日本の新聞雑誌に
記事をお書きになるんで、不思議に思っていた。
しかし加藤さんは頭の切れる人で、発言は鋭かった。・・・・」
(p157~158)
はい。私は読んだことがないのですが、作家の高橋和巳(1931~1971)
もこの対談の話題に登場しておりました。うん、せっかくですから、
この機会に引用しておきます。
大新聞の論調に合わせて人民中国礼賛を書いた方には
左翼なりの世渡り上手が実に多かった。(p160)
こうしたあとに、平川氏は続けます。
平川】中国文学者で作家の高橋和巳さんなどは、
ダンテ『神曲』の翻訳で1966年に河出賞をいただいた時に
氏も賞を取られて一緒になって、隣で
『いや、文革というのはひどいもんだ』とさんざん聞かされていたのに、
新聞にお書きになる時は、中国礼賛ばかりで、
『なんだ、この人は?』と正直思いましたね。
粕谷】高橋和巳というのは、ひどい男ですよ。
ただ、彼が書いた本を読むと、彼自体が全共闘みたいなものだから、
全共闘の精神状態というのはよく分かる。
他は、ゲバ棒振り回すだけで何を考えているかすらわからないから。
高橋和也を読むと、『なるほど、こういうことを考えているんだ』と
理解できる。そういう役目は果たしたが、やはりひどい男ですよ。
(p160)
つぎに、白川静さんのことになる。
平川】非常にしっかりした学者ですね。
粕谷】高橋和巳は、その白川静さんのところに行っていた。
平川】それで恩師である吉川幸次郎批判をやるでしょう。
粕谷】だから、その白川さんに
『高橋和巳はどういう人ですか』と聞くと、
『そうだな、女々しい男や』と、その一言で終わってしまった。
平川】それはそうかもしれない。
だからこそ敏感で、時代の流れもよくキャッチできた、
とも言える。 (~p161)
はい。この座談は2009年10月に掲載されたとあります。
さて、最初の板坂元著「考える技術・書く技術」にもどって、
大宅壮一氏のエピソードを引用したすぐあとに、
板坂氏は、こう書いておりました。
「それはさておいて、賛否どちらかの立場をとる場合に、
反対の立場についても十分に考えをめぐらすことは必要なことであって、
アマノジャクの練習は、そのためにも日頃からやっておくべきであろう。」
(p42)
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