『御真影』という言葉が「安房震災誌」に出てきます。
はい。戦後生まれの私には、それがわからない。
分からないながらも、余話ということなら
これはもう、お気楽にとりあげて話せます。
まずは、その『御真影』の箇所からの引用。
「・・・不安といへば、実に不安極まる。そこで恐れ多くも
御真影を倒潰した庁舎から庭前の檜の老樹の上に御遷した。
――郡長は此の檜の木の下で、即ち御真影を護りながら
出来るだけ広く被害の状況を聞くことにした。
そして、能ふだけの深切な救護の途を立てることに腐心した。
県への報告も、青年団に対する求援の事も、
皆な此の樹下で計画したのであった。 ―― 」
( p232~233 「安房震災誌」 )
この箇所はまだ続くのですが、ついつい引用が長くなるのでここまでにして、
あとは、思い浮かぶあれこれを順にとりあげます。
鍵屋一氏の震災関連の講演で、気になった言葉がありました。
『 想定外のことがおこると小学生以下の判断力になる 』
うん。確かに私などそうなりやすいタイプなので合点します。
田尻久子さんは、熊本地震のことで、こう語っておりました。
「 地震のときは、ものすごく落ち込んで内側に閉じこもる人と、
動き回っていないと落ち着かなくて、休む間もなく動いているうちに
テンションが上がってしまう人がいた。
私は間違いなく後者で、動きを止めてしまうことが不安だった。
どちらであろうと、平常心でないことに変わりはない。・・ 」
( p234 田尻久子著「橙書店にて」ちくま文庫・2023年11月 )
うん。ここに何気に、『 平常心 』という言葉がでてきておりました。
東日本大震災についてで、曽野綾子さんはこう書いております。
「 泣きわめくような、付和雷同型の人は、被災地にはほとんどいなかった。
感情的になっても、ことは全く解決しないことを日本人の多くは知っている。
風評に走らされた人は、むしろ被災地から離れた大都市に見られた。」
( p30 曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社・2011年9月10日発行 )
このあとに、平常心という言葉が出て来ておりました。
「 私が地震の日以来たった一つ心がけていたのは、
普通の暮らしの空気、つまり退屈で忙しくて、
何ということもない平常心を失わないことだった。 」
( p97 同上 )
『 普通の暮らしの空気 』といえば、
防災士教本に、気になる箇所があります。
「ただ、組織を『防災』に特化したものと考えるのは適当ではない。
一生に一度あるかどうかの大災害のためだけの組織を、
そのために機能させるのはむずかしい。
日常的にたとえば、地域のお祭りや盆踊り、餅つきなどの
地域レクリエーション、清掃、子ども会活動などに生きるような
組織として位置づけられていなければ、いざというときに動けない。 」
( p32 「防災士教本」平成23年11月第3版 )
地域のお祭りといえば7月14日に、地域の神輿渡御があります。
神主が御霊を神社から神輿に遷し、そして地域を練り歩きます。
最後には、この句
『 仮設へと 道順を変え 神輿くる 』
( 当ブログ・2021年3月8日の「神輿来た」より )
コメントをありがとうございます。
大正の大震災よりも、
令和の大震災の方が、
より身近に感じます。
けど、いつくるかわからないなあ。
曽野綾子さんの語る
『普通の暮らしの空気、つまり退屈で忙しくて、
何ということもない平常心を失わないこと 』
うん。怠け者なので、すぐに忘れますが、
曽野綾子さんの心がけで日々暮らします。
コメントありがとうございました。
私も夫も
29年前の阪神大震災の時は
「地震ハイ」のような状態になっていたと思います。
40代と若かったせいもありますし
誰もケガもしなかったせいもありますが
毎日 水汲み 食料確保 に走り回り
ガスも水道もない暮らしに 順応できていました。
夫は 地震直後にバイクを購入し
初めてバイク出勤していました。
私は珍しく風邪を引き 高熱がありましたが
頑張って 水汲み行列に並びました。
今の年齢だったら 落ち込んでしまっていたかもしれません。
「がんばろうKOBE」というフレーズにも
励まされました。