和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『安房郡の関東大震災』余話②

2024-07-01 | 安房
『御真影』という言葉が「安房震災誌」に出てきます。
はい。戦後生まれの私には、それがわからない。

分からないながらも、余話ということなら
これはもう、お気楽にとりあげて話せます。
まずは、その『御真影』の箇所からの引用。

「・・・不安といへば、実に不安極まる。そこで恐れ多くも
  御真影を倒潰した庁舎から庭前の檜の老樹の上に御遷した。
 
 ――郡長は此の檜の木の下で、即ち御真影を護りながら
 出来るだけ広く被害の状況を聞くことにした。

 そして、能ふだけの深切な救護の途を立てることに腐心した。
 県への報告も、青年団に対する求援の事も、
 皆な此の樹下で計画したのであった。 ――     」
                ( p232~233 「安房震災誌」 )

この箇所はまだ続くのですが、ついつい引用が長くなるのでここまでにして、
あとは、思い浮かぶあれこれを順にとりあげます。

鍵屋一氏の震災関連の講演で、気になった言葉がありました。

『 想定外のことがおこると小学生以下の判断力になる 』

うん。確かに私などそうなりやすいタイプなので合点します。
田尻久子さんは、熊本地震のことで、こう語っておりました。

「 地震のときは、ものすごく落ち込んで内側に閉じこもる人と、
  動き回っていないと落ち着かなくて、休む間もなく動いているうちに
  テンションが上がってしまう人がいた。
  私は間違いなく後者で、動きを止めてしまうことが不安だった。
  どちらであろうと、平常心でないことに変わりはない。・・  」
         ( p234 田尻久子著「橙書店にて」ちくま文庫・2023年11月 )

うん。ここに何気に、『 平常心 』という言葉がでてきておりました。
東日本大震災についてで、曽野綾子さんはこう書いております。

「 泣きわめくような、付和雷同型の人は、被災地にはほとんどいなかった。
  感情的になっても、ことは全く解決しないことを日本人の多くは知っている。
  風評に走らされた人は、むしろ被災地から離れた大都市に見られた。」
      ( p30 曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社・2011年9月10日発行 )

 このあとに、平常心という言葉が出て来ておりました。

 「 私が地震の日以来たった一つ心がけていたのは、
   普通の暮らしの空気、つまり退屈で忙しくて、
   何ということもない平常心を失わないことだった。 」
                   ( p97 同上 )


『 普通の暮らしの空気 』といえば、
 防災士教本に、気になる箇所があります。

「ただ、組織を『防災』に特化したものと考えるのは適当ではない。
 一生に一度あるかどうかの大災害のためだけの組織を、
 そのために機能させるのはむずかしい。

 日常的にたとえば、地域のお祭りや盆踊り、餅つきなどの
 地域レクリエーション、清掃、子ども会活動などに生きるような
 組織として位置づけられていなければ、いざというときに動けない。 」

            ( p32 「防災士教本」平成23年11月第3版 )


地域のお祭りといえば7月14日に、地域の神輿渡御があります。
神主が御霊を神社から神輿に遷し、そして地域を練り歩きます。


最後には、この句 

     『  仮設へと 道順を変え 神輿くる  』

    ( 当ブログ・2021年3月8日の「神輿来た」より )
  




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2 コメント

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退屈で忙しくて (和田浦海岸)
2024-07-02 11:02:36
おはようございます。きさらさん。
コメントをありがとうございます。

大正の大震災よりも、
令和の大震災の方が、
より身近に感じます。
けど、いつくるかわからないなあ。

曽野綾子さんの語る
『普通の暮らしの空気、つまり退屈で忙しくて、
 何ということもない平常心を失わないこと  』

うん。怠け者なので、すぐに忘れますが、
曽野綾子さんの心がけで日々暮らします。

コメントありがとうございました。
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ハイになる (きさら)
2024-07-02 09:50:17
たしかに
私も夫も
29年前の阪神大震災の時は
「地震ハイ」のような状態になっていたと思います。
40代と若かったせいもありますし
誰もケガもしなかったせいもありますが
毎日 水汲み 食料確保 に走り回り
ガスも水道もない暮らしに 順応できていました。

夫は 地震直後にバイクを購入し
初めてバイク出勤していました。
私は珍しく風邪を引き 高熱がありましたが
頑張って 水汲み行列に並びました。
今の年齢だったら 落ち込んでしまっていたかもしれません。

「がんばろうKOBE」というフレーズにも
励まされました。
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