和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ダイジェスト版とアンソロジー。

2022-05-23 | 本棚並べ
長いのを読まない、読めないので、
いきおいダイジェストに頼ります。

ふりかえればハウツー本を選んで読んできたよな気がします。
読書のすすめ・文章のすすめ・整理のすすめ・思考のすすめ。
気楽にこういうのにはすぐ食いついていたような気がします。
身についてしまっているので、ここからでしか発想できない。

ここに心強い対談の言葉がありました。

丸谷】・・・芭蕉が誰に源氏を読んでもらったかが
   大事だとおもうんですけどね。・・・

大岡】 わからないですね。あの当時、源氏を全部きちんと
   読んだということは、あまりないと思うんです。

   『湖月抄』みたいなものを通じて、
   源氏のダイジェスト版みたいなものでわかっていた
   場合が多いんじゃないかという気もするし。

   だいたい、あの人の漢字の知識だって、
   きちんと漢学を修めたのではなくて、おそらく、
   江戸時代にたくさんあったであろう、たとえば
   『白紙文書』の簡約版みたいなものを読んでいたんじゃないかな。

   だいたい文人たちの古典文学の知識は、全部を読むんじゃなくて、
   触りをきちんと押さえてある選集からですよね。

   そういうもので、古典の知識を得ていたと思うんですね。
   そしてそのほうがよかったという気さえする。

丸谷】  本当はそうなんだよね。

大岡】 隅から隅まで『源氏物語』を読んじゃったら、
    逆に源氏のポイントがボケる可能性があるんですね。
    これは、そうとう大胆不敵な、無学者の言説ですけど。

    でも、それはひとつあると思うんですよ。
    明治の文人たちも、多くの場合、そういう簡約版で読んでいた。

    文学作品でも、いいところをきちんとセレクションしてあるような、
    つまり極端にいえばアンソロジーですね。

丸谷】 アンソロジーが大事だというのは、それなんですよ。

大岡】 アンソロジーを通じて、
    見事な古典理解ができるということがあるでしょう。

    日本の勅撰和歌集の最高のメリットはそれだったと思う。
    アンソロジーだった。アンソロジーとしての『古今集』とか、
    『新古今集』とか『玉葉集』とか『風雅集』を読んで、
    見事だなあと思うのは、

    編纂した連中の審美眼のたしかさですね。
    じつにいい編集をしている。

丸谷】 アンソロジーのなかに、傑作をところどころに置いて、
    傑作でないのをその前後に置いて、しかし駄作はおかない。

    僕は、芭蕉の歌仙は、『古今集』『新古今集』を
    読み抜いたことによってできたという感じがするんです。
    ・・・・・・・・
             ( p38~40 「とくとく歌仙」文芸春秋 )


うん。文を引用しようとすると、どうしても全文引用はムリ。
やむをえず、他の大事な箇所をカットして引用しちゃいます。
けれどそれでいいんだね。アンソロジーとはそうして始まる。


それはそうと、古本で小学館の「群像日本の作家」というシリーズ。
その一冊に、『丸谷才一』(1997年)というのがありました。
送料ともで280円。各評者が、本人をまな板にのせてのあれこれを
好き勝手に書いたのをまとめた一冊でした。その最初に写真が6枚。
そのなかに3人して笑っている写真がありました。それが気になる。
写真の右には説明が一行。
「 昭和63年10月、山中温泉かよう亭で歌仙を巻く。
  右より大岡信、井上ひさし、丸谷才一 撮影・文藝春秋 」

はい。真ん中の、井上ひさし氏だけは立っております。
どうやら、歌仙を巻いたあとのような雰囲気です。
まるで、運動会が終り、皆して笑いあっているような感じに見えます。

大岡氏は座卓に硯。筆を右手に歌仙を書き写しているみたいです。
丸谷氏は眼鏡をして、歌仙を一枚一枚整理しているふうにも見えます。

なごやかなうちに、悪戦苦闘の歌仙をお互いして、
終了したあとから、ほっとして笑いあっている姿。

「とくとく歌仙」(文芸春秋)に、その歌仙が載っておりました。
最初の『菊のやどの巻』が、1988年10月。於 山中温泉かよう亭。
丸谷才一(玩亭)・大岡信・井上ひさし。3人の写真の顔ぶれです。
その歌仙のはじまりを引用しておくのも、いいかも。


  翁よりみな年かさや菊のやど   玩亭
  
    また湧き出でし枝の椋鳥   信

  名月に道具の月を塗り足して   ひさし


ちなみに、『翁』とは芭蕉のこと。
注釈にと、『山中温泉』にまつわる3冊。

〇 尾形仂著「歌仙の世界」(講談社学術文庫)
     この「はじめに」から引用

 「これは、その詞書に『元禄二の秋、翁(芭蕉)をおくりて
  山中温泉に遊ぶ、三両吟』と北枝が記していますように、
  
  元禄二年(1689)の『おくのほそ道』の旅の途次、
  金沢に立ち寄った芭蕉・曽良の一行を、金沢の俳人北枝が
  見送りがてら山中温泉に案内し、陰暦の7月27日から
  8月4日まで滞在し・・5日に曽良が芭蕉と別れ一足先に出発・・」(p7)


〇 尾形仂・大岡信『芭蕉の時代』(朝日新聞社)
    この「あとがき」から引用。

 「この対談は、もとエッソ・スタンダード石油株式会社の
  広報誌『エナジー対話』第16号のために企画されたものである。

 ・・・企画者の高田宏さんは、前後二度にわたって、
 対談のための絶好の場を用意してくれた。・・・

 初度は、昭和54年8月21日から24日まで、
 翁ゆかりの山中温泉かよう亭にて、二度目は・・・・

 山中では4回7時間・・・実のところ、
 精神的にも肉体的にもけっして楽な作業ではなかった。

 現に山中での3日間の午後、速記者の大川佳敏さんを含めた
 当事者3人がダウンしてしまったことが、そのことを明白に実証している。
 にもかかわらず・・・・ 」(p246)


〇 「とくとく歌仙」(文芸春秋)

大岡】 丸谷さんの発句の前書にあるように、三百年前、
   『奥の細道』の旅を続けていた芭蕉が山中温泉に数日間滞在
    したことがあります。 

    そのときに『山中三吟』という有名な歌仙を、
    金沢の北枝と、芭蕉、曾良の三人で巻いた。

    そういうゆかりのある山中で、三百年記念の
    様々な行事が行われていて、

    『ついては山中へ来て歌仙を巻いてみないか』という
    呼びかけがあったのが、今回のこの
    『菊のやどの巻』の成立由来であります。

    もう一つ申し上げねばならないのは、
    丸谷さんと私は、歌仙というものを巻き始めてから
    すでに足掛け20年になります。
    この間数えて愕然としたわけでして(笑)      (p88)
 


 






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