3冊ならべ。
① 大岡信編「五音と七音の詩学」(福武書店)
② 「新唐詩選続篇」(岩波新書)
③ 曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社)
① 大岡信さんは、お父さんの代から窪田空穂氏とつながりがあります。
岩波文庫の「窪田空穂随筆集」「窪田空穂歌集」「わが文学体験」の
この、3冊の、編と解説とが大岡信となっておりました。
「五音と七音の詩学」は、詩にまつわる随筆のアンソロジーなのですが、
そこに、窪田空穂も入っております。さて、何を大岡氏は選んだのかと、
そんな、興味でページをひらくと「ともし火」窪田空穂という4頁の文。
うん。明治10年に信濃の農村で生まれた窪田氏と、ともし火の記憶の
推移が簡潔にですが、綴られておりました。
② 桑原武夫氏の文で、杜甫の『贈衛八處士』の漢詩が語られています。
「 これは『唐詩選』にもおさめられておらず、
有名な作品とは云えないかも知れぬが、私には好きな詩だ。」(p192)
とあります。詩のなかに『燈燭光』という言葉があり、
それを桑原氏がとりあげている箇所があります。
「『燈燭光』は分けて読むことが語法上ゆるされうかどうかわからないが、
かりに分けて読めば、
『燈光』は燈心を油に浸して点ずる灯、
『燭光』は蝋燭。
私たちは夜になれば電燈がつくのが当然と思っているが、
それは最近のことで、私の子供のときはランプだった。 」(p198)
ちなみに、桑原武夫は明治37年生れ(1904~1988)でした。
つづけます。
「 あさ母親がランプのホヤをみがいていた姿は今も私の目にうかぶ。
8世紀にはランプなどという便利なものはない。
日本で蝋燭が一般に用いられるようになったのは戦国時代だが、
唐に蝋燭があったとしても、それはゼイタク品であったに違いない。
いつもは八畳の間に行燈(あんどん)を一つ、
だが今日はそれを二つにしよう、
いや一本だけ残っていた蝋燭をつけよう、
そういう気持、それが友情のささやかなリュックスなのである。
またもともと友情の償いとは
そのようなものでしかありえないのかもそれぬ。
その光を前にして旧友が対坐しているのである。
そのかすかに温い光に照らされている二人が、
お互の顔を見ると、『少壮よく幾時』、
友情は変らぬが肉体は時間の影響を免れえず、
ともに髪の毛はごま塩ではないか。
燈光に照らされるとき白髪がキラッと光り、
かえって昼間より強く印象づけられることがある。・・ 」
(p198~199)
ちなみに、桑原武夫は杜甫の略歴にもふれておりました。
「・・それによると一時賊軍に捕われた詩人はようやく脱出して
・・拾遺という役に任ぜられ、やがて宮廷とともに西安の都にもどった。
彼は直諫して罪をえかけたことがあるが、そのためか翌年には
華州(西安の東60マイル)の司空参軍という役に左遷された。
彼は759年はじめに用務をおびて洛陽に派遣されている。
この詩は、恐らくその年の春の作で、
場所は洛陽からさして遠い所ではあるまいといわれる。
官軍はこのときやや優勢とはいえ、戦争の悲惨はそれによって
減ずるものではなく・・悲惨は、なお4年もつづくのである。
そして詩人は、この夏には官を辞して、
奏州さらに四川省へと放浪の旅をつづける。
杜甫が饑餓のために子を死なせたことは周知のことであり、
この詩も人事すべて明日は計りがたいという
乱世を背景において読まなければならない。 」(p192~193)
③ これは副題に「東日本大震災の個人的記録」とあります。
うん。こちらは二か所引用することに
「 電気が消えた状態の中で最も求められるのは、平常心である。
明日は必ずくるのだ。それはほとんど個人の才能と気力に応じて出てくる。
電気がなくなると、私たちは俗に言うスケジュールというものが
ほとんど立たなくなる。未来について責任者に質問することも無意味に
なるだろう。事態は刻々と変化するだけで、
それを予測する根拠はほとんどなくなるからだ。だから
『明日どうなりますか?』とか
『このことはいつ解決しますか』などという質問もまた
まったく本質をはずれていることを、
冷静に自覚していたマスコミ人は、
あまり多くいなかったように見えたのである。 」(p165)
「 インドのシリコンバレーと言われるバンガロールの下町は
毎日のように停電していた。・・・・
アフリカでは毎日のように停電するから、
人々は食事の最中に電灯が消えることも、
冷たいビールが品切れになっていることも、さして驚かない。
しかしそうした瑣末なことではなく、
停電がもたらす最大の社会的変化は、
民主主義もまた一時的に停止するということである。
もはや正当な命令系統が迅速に正確に伝わるということが
不可能になるのだから、指揮系統も迂回路を取るか、
全く命令が伝わらない事態を予測しなければならない。
しかも事態は混乱の中にある。そうなった場合、
その場にいる者が、たとえ彼が本来ならその任になくても、
個人の判断で臨機応変にできることをする他はないのである。」
( p167~168 )
たまたま、私はこの3冊を思い浮べました。
あなたにどんな3冊が思い浮かぶのだろう。
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