和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

月がわびしい。

2011-10-08 | 地域
今日は、宵祭り。
飲んだり、食べたり。
野外のカラオケで、子どもも大人も楽しみます。
青年館前の庭で午後4時から。

今夜も月が出るのだろうなあ。
三波春夫の「チャンチキおけさ」
昨日、飲み会のカラオケで練習。


 月がわびしい 路地裏の
 屋台の酒の ほろにがさ
 知らぬ同士が 小皿叩いて
 チャンチキおけさ
 おけさせつなや やるせなや

 ひとり残した あの娘
 達者でいてか おふくろは
 すまぬすまぬと わびて今夜も
 チャンチキおけさ
 おけさ おけさで 身をせめる

 故郷(くに)を出るとき 持ってきた
 大きな夢を 盃に
 そっと浮かべて もらすため息
 チャンチキおけさ
 おけさ涙で 曇る月



さてっと、今夜は唄えるかなあ。
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明日宵祭り。

2011-10-07 | 地域
明日は宵祭
明後日が山車引き回し。
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新聞の節操のなさ。

2011-10-07 | 短文紹介
中西輝政著「国民の覚悟」(到知出版社)を読みました。
講演を聞くような、そんな読みやすさ。

読みながら、思い浮かんだ本はというと、
ドナルド・キーン著「日本人の戦争」(文芸春秋)でした。
たとえば、

「昭和20年2月27日、東京を訪れた高見(順)は、その破壊の規模に愕然とした。神田橋周辺の一帯は焼失し、ところどころまだ煙が上っている。前に来た時には焼け残っていた小川町の左側は、今や真っ黒な焼け跡だった。右側は、見渡す限りの焼け野原である。高見は、東京が焼け野原になったという噂さえ聞かなかった。かりに知っていても、みだりに口にしてはいけないと控えているのだろうか。日記は続く。

  家に帰ると新聞が来ている。
  東京の悲劇に関して沈黙を守っている新聞に対して、
  いいようのない憤りを覚えた。何のための新聞か。・・    」(p79)


そして戦後すぐの、8月21日読売報知新聞について


「科学と芸術の振興を唱えているトップ記事を読んだ高見は、『虐待されて来た文学も今度は自由が得られるだろう』と書いている。その記事に明るさがあることは認めても、新聞の節操のなさに、高見の心は晴れない。同日の日記の後半で、高見は読売報知の記事に対する自分の反応をさらに詳細に記している。

  ・・・・よくも、いけしゃあしゃあとこんなことがいえたものだ、そういう憤怒である。論旨を間違っていると思うのではない。全く正しい。その通りだ。だが如何にも正しいことを、悲しみもなく反省もなく、無表情に無節操にいってのけているということに無性に腹が立つのである。常に、その時期には正しいことを、へらへらといってのける。その機械性、無人格性がたまらない。ほんの一月前は、戦争のための芸術だ科学だ、戦争一本槍だと怒号していた同じ新聞が、口を拭ってケロリとして、芸術こそ科学こそ大切だなどとぬかす、その恥知らずの『指導』面がムカムカする。莫迦にするなといいたいのである。戦争に敗けたから大切な芸術だったら、そんな芸術などやりたくない。戦争に敗けたから今度は芸術を『庇護』するというのか。さような『庇護』はまっぴら御免だ。よけいな干渉をして貰いたくない。さんざ干渉圧迫をして来たくせに、なんということだ。・・・・またもや厚顔無恥な指導面だ。いい加減にしろ! 」(p152~153)

ちなみに、菅直人は戦後の次の年・昭和21年生まれです。
ところで、中西輝政著「国民の覚悟」に、尖閣問題にふれた箇所がありました。
ちょっと、そこを引用。


「しかも、この民主党政権を選んだのは、結局われわれ国民です。また、今まで『日中友好万々歳!』のようなことを書いていた新聞が、この事件の直後だけ、『中国は横暴だ』『強行なやり方で、これは不当だ』と書き出しました。『チャイナ・ビジネスはリスクがあります』と、今さらいったりする。しかし、『今頃そういわれても・・・』という企業は多いのではないでしょうか。日本のマスコミの体質は、あまりに無責任なのです。
いずれにしても、マスコミも国民も現在の日本人は目先のことしか考えていません。そのときそのときに反応しているだけです。ですから、悪いのは政府だけではない、といえるでしょう。われわれ国民の側も、十分反省して『この国のあり方をもう一回立て直す』という、そういうつもりでこの経験を貴重な糧(かて)にしなければいけません。」(p62)
と第二章で語られております。
この本は第五章まであり、
その第五章も引用しておきます。

「危機に直面したときに本当に国民の雰囲気からにじみ出てくる気概のようなもの、明治人が持っていた気迫というものを、今回の東日本大震災でもし日本人が意識したら、それは大きな収穫であり、そのことが次の出発点となると思います。国を引っ張るリーダーというもは、そういう国民の気風、気概が転換してからしか出てこないのです。」(p245)


もう一箇所引用。

「・・敗戦以来、自分でも恥ずかしくなるはずの醜い心にすっかり悪ずれをした日本人が、この列島を占めていたのです。そういう邪気におかされ、正気を忘れ、繁栄の波間に漂って、実は自分を見失っていた日本と日本人が、今回の大震災で、新しい出発点になる何かを見つけてくれることがあれば、と切に思っています。」(p250)
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きちんと逃げる。

2011-10-05 | 地震
広瀬弘忠著「きちんと逃げる。」(アスペクト)を読みました。
わかりやすい文章で、読むのが楽です。
はじまりには、

「災害心理学の世界に想定外という言い訳は存在しない。それは単に想定しないようにしただけの話だ。災害のすべてに原因があり、それが結果を生み出している。」(p10)

わたしが、ひとつだけ引用したいと思った事例があります。
以下引用。

「災害警報はできるだけ早く発令することが重要だ。ただ受け手側は、警報にはつねに『はずれる場合もある』ことを理解しておかなければならない。・・・例として1982年、長崎県で起こったある悲劇を紹介する。
その年の7月、長崎県内は不安定な気象状況にあり、長崎海洋気象台は11日から20日にかけて4度立て続けに大雨洪水警報を発した。だが、被害は生じなかった。ところが、その3日後の23日に記録的な集中豪雨に見舞われ、県内各地で山崩れやがけ崩れが発生。県内だけで299人の死者・行方不明者を出す大惨事となった。実は、この日も長崎海洋気象台は大雨洪水警報を発令していた。しかし、直前に4度空振りに終わっていたため、多くの住民は警報に耳を貸さず、結果として逃げ遅れてしまったのだ。たとえはずれることがあったとしても、それを許容して警報に従った行動をとる。それが、災害警報を受動的安全のために活用する場合の鉄則だろう。」(p112~113)

ちなみに、引用文にある「受動的安全」とは

「能動的安全性とは災害を未然に防ぐ、つまり災害が起こらないような仕組みや措置を取ること、受動的安全性とは災害が起こったときに被害を最小限に食い止める対策を講じることだ。」(p109)とあります。

全体が、とてもわかりやすく書かれていますので、
とっさの行動の取り方への指針を、フムフムと納得しながら読めます。
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崩れ。

2011-10-04 | 地震
畑村洋太郎著「未曾有と想定外」(講談社現代新書)の
第三章「日本で生きるということ」に

「本書で何度か取り上げている寺田寅彦はこんなことを書いています。
『災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。(略)しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう』(「津浪と人間」より)
まさにその通りだと思います。大きな災害というのは、ちょうど人間が忘れるくらいの周期で繰り返されるというのがポイントです。」(p153~154)

うん。このあとがさらにポイントなのですが、それはそれとして、
この章で幸田文への言及がありました。

「『崩れ』を知るのに是非おすすめなのが、明治の文豪・幸田露伴の娘、幸田文さんが70歳を過ぎてから、立山カルデラや大谷嶺など、各地の崩れの現場を訪れて書いた『崩れ』(講談社文庫、1994年)です。この作品は、文学者らしい筆致で崩れの様子を見事に描いた名随筆です。」(p166)

今回は地震津浪が注目されているせいか、あまり幸田文への言及をしていない方ばかりのなかで、畑村洋太郎氏は広い視野から幸田文までとりこんでおり印象に残りました。


そういえば「婦人之友」5月号に、
青木玉・青木奈緒の母娘対談が掲載されていたのでした。
編集者は、最初にこう書いておりました。

「震災から1週間。まだ余震の続く中、東京小石川の青木奈緒さんのお宅を訪ね、幸田文さんから三代にわたり日本の『崩れ』の場を見つめてきたお二人にお話していただきました。」

そうそう。幸田文「崩れ」は昭和51年~昭和52にかけて、「婦人之友」に連載されたものでした。青木奈緒著「動くとき、動くもの」の「はじめに」に、こんな箇所がありました。

「今、四半世紀という区切りでふり返っているのは、私の祖母・幸田文が晩年に日本各地の崩壊地を見て歩き、それを雑誌に連載していた頃から過ぎた時間です。全14回にわたる連載を終えたあと、祖母はまだ訪ね足りないところがあったらしく、原稿にも手を加える心づもりでおりました。けれど、それを果たせぬまま、生前に一冊にまとめられることなく終わってしまったのです。祖母が逝ったあと、残された原稿を本にする仕事を私の母が引き継ぎ、初めに出された本が『崩れ』でした。何しろ祖母の本が出なくなってずいぶんの時間がたっていましたから、どんな方がお手にとってくださるかもわからない、おっかなびっくりの心細い出版だったと聞いています。・・・」
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津波へのレッスン。

2011-10-03 | 地震
とりあえず、もう一度、
めくってみたい地震・津波本。

  吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)
 「吉村昭が伝えたかったこと」(文芸春秋9月臨時増刊号)
 「つなみ 被災地のこども80人の作文集」(文芸春秋8月臨時増刊号)
 「これからを生きる君たちへ」(新潮ムック)
  渡辺憲司著「時に海を見よ」(双葉社)
 「巨震激流」(三陸新報社)
 「闘う日本」(産経新聞社)
  上部一馬著「奇跡の生還」(コスモ21)
  戸羽太著「被災地の本当の話をしよう」(ワニブックスPLUS新書)
「石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命」(アスペクト)

  柴田トヨ著「百歳」(飛鳥新社)
  長谷川櫂著「震災歌集」(中央公論新社)
 「短歌」6月号
 「婦人之友」5月号

 山下文男著「津波てんでんこ」(新日本出版社)
 佐野眞一著「津波と原発」(講談社)
 畑村洋太郎著「未曾有と想定外」(講談社現代新書)
 猪瀬直樹著「言葉の力」(中公新書ラクレ)
 児玉龍彦著「内部被爆の真実」(幻冬舎新書)

 大前研一著「日本復興計画」(文芸春秋社)
 佐々淳行著「ほんとに彼らが日本を滅ぼす」(幻冬舎)
 佐藤優著「3・11クライシス!」(マガジンハウス)
 長谷川慶太郎・日下公人著「大局を読む」(李白社)
 日下公人著「いま、日本が立ち上がるチャンス!」(WAC)

 瀬戸内寂聴・梅原猛著「生ききる。」(角川ONEテーマ21)
 「方丈記」(岩波文庫)
 出久根達郎著「日本人の美風」(新潮新書)


もし、これ以外でも、
これは、読んだほうがよい
という本がありましたら
どうぞ、お教えください。
買って読みます。

( 原発関連は、ここでは数冊どまりとしました。)

 
 
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山車準備。

2011-10-02 | 地域
今日は一日、山車の準備。
まずは、地区の花配り。
ピンク手拭いと紙の花を配ります。
細く割った竹は1メートルくらい、そこに5つの花をつけてあります。

山車をお仮屋から出して、掃除と電源・電球の確認。
午後は、山車の前をゆく舟のペンキ塗りもあったなあ。
人形の着付けもあり。着付けは大正15年生まれの方に
教えてもらい、ありがたかった。
枝切りも分担して。9日の本番の準備。

夜7時過ぎに、注文の本届く。

 中西輝政著「国民の覚悟」(到知出版社)
 読売新聞政治部「亡国の宰相 官邸機能停止の180日」(新潮社)
 松木国俊著「ほんとうは、『日韓併合』が韓国を救った!」(WAC)
 広瀬弘忠著「きちんと逃げる。」(アスペクト)
 「石巻赤十字病院の100日間」(小学館)
 「自然(じねん)を生きる」(東京書籍)
 佐藤信一写真「南三陸から 」(ADK)

どんな本かも見ることもなく、ただ興味で、注文するので、
とりあえず新刊を注文したということです。
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柿くふて。

2011-10-02 | 短文紹介
正岡子規著「松蘿玉液」(岩波文庫)を購入。
文庫解説は加賀乙彦。
その解説の最後は、

「短い一生で、俳句、和歌の改革をなしとげ、さらに言文一致の散文を新しく作りあげ、そのまま夏目漱石の散文に接続していく人として、子規の文業は忘れえない大きさを持っているが、この『松蘿玉液』は、その人の文学の生れ出ずる源泉をくっきりと照明して見せてくれる得がたい文章である。」

ということで、ちょっと引用。

「・・・梨は涼しくいさぎよし。南窓に風をいれて柱に倚り襟を披き団扇を持ちながら一片を口にしたる氷にもまさりてすがすがしうこそ。・・・林檎は北海の産を最上とす。歯にさはれば形消えてすずやかなる風ばかり口の中に残りたる仙人の薬にも似たらんか。・・・柿は野気多く冷かなる腸(はらわた)を持ちながら味はいと濃(こまやか)なり。多情の人、世を厭ひて野に隠れながらなほ物に触れて熱血を迸(ほとばし)らすにもたとへんか。・・・・われこの夏頃よりわけて菓物(くだもの)を貪り物書かんとすれば必ずこれを食ふ。書きさして倦めばまたこれを食ふ。食へば則ち心すずしく気勇(いさ)む。気勇めば則ち想湧き筆飛ぶ。われ菓物に借ること多し。

  日毎(ひごと)ひごと十顆(か)の梨を喰ひけり
  小刀や鉛筆を削り梨を剥(む)ぐ
  朱硯に葡萄のからの散乱す
  書に倦みて燈下に柿を剥ぐ半夜
  柿くふて洪水の詩を草しけり    」(p103~105)


昨日は山車練習の中間日。
ということで、飲み会の予定を忘れておりました。
今日は、御前様。
今日は9時から花配り、山車組み立てと枝払い。
果物食べて、元気に過ごそうと、思うのでした。
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