和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

書評で買う。

2012-06-15 | 短文紹介
BK1で毎日更新される書評を見ているのが楽しみだった私は、最近手持ぶたさとなっておりました。
最近の新聞書評で、思わず買いたくなった本があります。
読売新聞6月10日
川島秀一著「津波のまちに生きて」(冨山房インターナショナル)1800円
三木卓著「K」(講談社)1500円

一冊目は管啓次郎氏の書評。
二冊目は松山巌氏の書評。

ここでは二冊目の「K」の書評から、ちょっと引用。


「詩が自身を、他人を励ますとすれば、作者はその力が平易な言葉とユーモアにあると信じている。だから作者は全篇をユーモアで包んだ。」

もう一冊の書評も引用しなくちゃね。

「本書は気仙沼出身で、漁師たちの生活感覚を主題として丁寧に追ってきた民俗学者の論集。・・昨秋、著者が出会ったという漁師、釜石市の虎舞の祭りの会長さんの言葉が忘れがたい。『皆流されても、体が覚えているものは流されなかった』」


以上の二冊を、さっそく注文。
いやあ、書評はありがたいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高校生用の必携国語辞典。

2012-06-14 | 短文紹介
丸谷才一・池澤夏樹編「愉快な本と立派な本」(毎日新聞社)。
そこの「書評者が選ぶ'95『この3冊』」での丸谷才一氏が選んだ3冊の最初の一冊。それが『角川必携国語辞典』大野晋、田中章夫編でした。丸谷さんは、こう書いておりました。

「『角川必携国語辞典』は高校生用の現代語の辞書。基本語の意味、語感、用法を説明するのに、先例がないくらい努力している。類語の使い分け、漢字項目などの工夫もいい。大人が手紙や書類を書くときにも役立つ。」

そうだ。
たしか、この書評をみて、私は買ってあったのだ。
とダンボール箱をさがすと、ありました(笑)。
うん。あらためて読むと、その有難味がわかります。
なんてね。普段辞書をひかない私であります。

ちなみに、
谷沢永一著「最強の『国語力』身につける勉強法」(PHP)に
「国語辞典の選び方」という箇所がありました。
そこをすこし引用。

「辞書に『これ一冊で完璧』という決定版はありません。
たった一人の友人とだけつきあったら偏狭になるように、辞書も一冊だけですませず、それぞれの特徴に応じてつきあってください。それが幅のある国語力を磨くことにつながります。さて、私が国語辞典のなかで高く評価してきたのは次の三冊です。」(p15~16)

と前置きして

 見坊豪紀他編「三省堂国語辞典」
 金田一京助他編「新明解国語辞典」第六版
 北原保雄編「明鏡国語辞典」(大修館書店)


う~ん。
ネット古本屋で「角川必携国語辞典」を検索するのですが、
出てこない。

辞書はひらかない私です。それでも、
手紙を書く際には、身近に角川必携国語辞典を置くことに。
私にも、今、手紙を書く時に脇にある新明解国語辞典より、
使い勝手が、よさそうです。
うん。もう仕舞いこむことがないようにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい手紙をもらった。

2012-06-13 | 手紙
藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)の気になった箇所。

「特定の人を想定することが大事なのは、小説やエッセイも同じです。おおまかな読者層をイメージしている書き手は多いかもしれませんが、『層』に顔はありません。具体的な顔を思い浮かべて、この人はこれでおもしろがってくれるだろうか、涙してくれるだろうかと考えながら書くほうが、文章にも緊張感が出ます。
プロの書き手は、その点で恵まれているのかもしれません。読者の前にまずは編集者というプロの読み手がいるので、原稿用紙に向かえば否応なしにその顔が思い浮かびます。まず編集者を納得させることができるかどうかが第一関門になるわけです。・・・」(p30)

編集者といえば、
曽野綾子著「人間の基本」(新潮新書)の第一章は、こうはじまっていました。

「私が作家として駆け出しの頃、よく家に来ていた年配の編集者がいました。」

この新書には、もう一箇所、編集者に近い方の登場している箇所があります。

「産経新聞の私の担当者だった記者が少し前に亡くなりましたが、息子さんの話によると、お父さんは若い頃しょっちゅう同僚の新聞記者を連れてきて、お酒を飲みながら遅くまで色々な話をしていたそうです。狭い部屋での雑魚寝はいつものこと・・・大の読書家の父親がさまざまな話をしているのを横で聴いている時間はとりわけ楽しかったといいます。」(p144)


ここに、登場する担当記者が、気になっておりました。
そして、曽野綾子著「自分の財産」(産経新聞社)をひらいていたら、その担当記者のことが詳しく語られておりました。

ということで、せっかく読めたので、少し長く引用させてもらいます。


「産経新聞社の読者に、たまには新聞社の内幕を聞かせたい。記者たちはいつも自分が書くばかりで、書かれる立場にないのはおかしいのだから。・・・・
彼らはまず第一に知的であった。よく勉強していたが、自分の知性の表現に対して穏やかでユーモラスで謙虚だった。ということは、自分の考えと違う人を高圧的に裁く闘争的な姿勢など、全く示さなかった。自分が人道的であることを売り物にするような幼稚な点も全くなかった。
彼らは、独特の表現と生き方で、私たち書き手を魅了した。連載中に、彼らの一人に担当記者として世話になった作家たちは、皆彼らの性格をとことん好きになった。一人の男性作家などは『オレはお前が産経にいる限りこの連載を止めないからな』と言ったという笑い話が残っている。
しかし彼らは、世間的に常識的な生涯を送るという点では、性格的にも運命的にも失格者であったようだ。新聞社で大変出世したという話は聞かない。しかし産経新聞社が独自の路線を保てたのは、彼らのような強烈な個性を持っている記者がいたからだろう。
美点ばかり書くと嘘くさい。そのうちの二人は私の知るところ、深酒深たばこである。最近そのうちの一人が亡くなって、私はもう中年のご子息からいい手紙をもらった。
それによると、亡くなった父上は大の読書家であった。新聞社の社宅だったあまり広くもない2DKの家は、図書館のように本であふれていた。私が奥さんなら、文句を言いそうな光景だ。しかし子供から見た父は、いつでも質問に答えてくれる博識な父だった。・・・・新聞の強靭さは、社員の人間力にあるのだろう。」(p40~42)

曽野綾子著「自分の財産」は、
現在も産経新聞連載の『透明な歳月の光」(2007年5月14日~2011年12月28日収録)から表題に沿ったものを掲載し、追記した本なのだそうです。

以前は、新聞の連載は、読まなくても保存してあるから、本になっても買わないでいようと、みみっちい考えでおりました。気になる連載が一冊の本になるなんて、祝福して、お祝いがてら買うべきだなあ、と反省するこの頃。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BGM

2012-06-12 | 短文紹介
「私にとっておきのBGMはグレン・グールド演奏の『ゴールドベルク変奏曲』です。これはゴールドベルクというバッハの弟子が、不眠症に悩むロシアの伯爵のためによく演奏していたといわれるバッハの曲。つまり入眠のための曲ですが、私の場合はこれが意外とよくて、集中して書くことに取り組むことができます。
みなさんも、自分にとっておきの音楽を見つけておくといいかもしれません。」(p111~112)

これは、藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)で、であった言葉。うん。これが入眠のための曲だったとは知りませんでした。ここ何日か、グレン・グールドの『ゴールドベルク変奏曲』を聞いています(笑)。


板坂元「発想の智恵 表現の智恵」(PHP研究所)には
こんな箇所がありました。


「うつ病にかかった人には
 バッハの『ブランデンブルグ協奏曲』、
 バルトークの『ハンガリア民謡』、
 ハイドンの『天地創造』、
 ブラームスの『大学祝典序曲』
 などを聴かせるとよい。

これは臨床心理学者ハーマンの報告である。これらを聴かせれば、四日くらいでウツから離脱しはじめて、一週間後には正常に戻ったという。日本人の音楽体験では、この処方がそのまま適合することはないと思うが、音楽と脳は、私たちが思っている以上に密接な関係があるのだ。・・・・さかのぼればプラトンの『国家』まで、音楽と人間精神との関係は決して浅くない。儒教でも礼楽といって、音楽を重視している。ただし、これは後世の儒学者には忠実に守られなかったが、音楽を上位に置いたことは正しいだろう。だが、それほど大上段に構えなくとも、こういった音楽が頭の働きに大いに効果があることは確かだ。ただし、これは個人差があるようで、私自身ベートーベンの交響曲やシューベルト、ブラームスなどは聴いているうちにメロディーに注意力を奪われて仕事ができなくなってしまう。その点、バロック音楽のほうが、バックグランド・ミュージックとしては好都合だ。」(p174~175)

うん。とりあえず私は、藤原智美氏の「私にとっておきのBGM」。グレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」を聴きながら、このブログを書きこむのでした(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼくの伯父さん、あなたは

2012-06-11 | 短文紹介
私は、四人兄弟の末っ子。
姉・姉・兄そして私。

うん。立ち位置は、姉や兄の子供たちの
伯父さんということになるのでした。

のんきな伯父さんは、いままで
そんなことを、考えてもみませんでした。

ところで、
藤原智美著「文は一行目から書かなくいい」(プレジデント社)の印象が鮮明なので、この本について、もうしばらく、しゃぶっていたいと思うのです。


「文は一行目から書かなくていい」には、
印象鮮やかに長谷川四郎が登場しておりました。

「名文かどうかは、風景描写でわかる」(p76~)
に「では、一流の書き手は風景をどのように描写するのか。例として、長谷川四郎の『鶴』という短篇小説を紹介しましょう。・・私はこれを名文と考えますが、いかがでしょうか。」

引用が短く「いかがでしょうか」といわれても飲み込めない気分が残ります。うん。ここは、「鶴」を読んでいない私としては、このチャンスに読めるかもしれないと思ったりするのでした。
と思っても、すぐに忘れて次を読んでいると、また登場しております。

「この章の冒頭で、私は長谷川四郎の風景描写をご紹介しました。実は私も学生時代、長谷川四郎がつむぐ文章のリズムに引き寄せられて、一心不乱に作品をノートに書き写していました。基本的には自分の好きな作家を真似ればいいと思います。」(p96)

小説を読まない私ですから、他のことを思い浮かべます。

そういえば、長谷川四郎読本「ぼくのシベリアの伯父さん」(晶文社)が、読まずに段ボール箱で眠っている。ひらくと、ご本人の絵や写真があったりするのですが、最初には往復詩が掲載されておりまして題は「食事の時間」。長田弘・長谷川四郎の詩が並びます。
最初の長田弘氏の詩には、
詩の前に「長谷川四郎氏へ」とあります。
この詩。そういえば、
長田弘詩集「食卓一期一会」(晶文社)にもあったなあ。
詩集には「コトバの揚げかた」という題になっております。
ということで、
詩「コトバの揚げかた」の最後の方を引用

 カラッと揚げることが
 コトバは肝心なんだ。
 食うべき詩は
 出来あいじゃ食えない。
 コトバはてめえの食いものだもの。
 Kentucky Fried Poem じゃあ
 オ歯にあわない。
 どうでもいいものじゃない。
 コトバは口福でなくちゃいけない。

ところで、「ぼくのシベリアの伯父さん」での長田弘氏のこの詩は、ところどころ微妙に違っている箇所があるのでした。
ここでは、最後を引用して、比較してみます。

 Kentucky Fried Poem じゃあ
 オ歯にあわない。
 ぼくの伯父さん、あなたは
 今日どんな言葉を食べましたか?


この読本によりますと

「長谷川四郎は、その名のとおり、四男である。兄弟姉妹は五人。妹一人を除く四人兄弟は、それぞれに・・・」(p152)とありました。
うん。今回は読める気がするじゃないですか。「鶴」。

こうして
どなたよりも、気分屋で、むらがあって、怠惰な
読者である、私を、囲い込んで、
本の場所までの地図を示して、
案内しながら、本の前に立たせて、
そんなことをしているような、
そんな気がしてきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震雷火事親父。

2012-06-10 | 短文紹介
幸田文の短文を読んでいたら、
父・露伴のことを思うわけです。

そうすると、
「地震雷火事親父」という言葉が思い浮かぶ。

この言葉。あんがい「ことわざ辞典」に掲載されていなかったり、あっても1~2行で解説をすませていたりです。
ところで
竹内政明著「名言手帳」(大和書房)に
「数ある『ことわざ辞典』のなかで、時田昌瑞著『岩波ことわざ辞典』は編集に個性があり、収録の幅が広く、読んでいて面白い。かつて漫才コンビ・ツービートがギャグとして流行させた【赤信号みんなで渡れば怖くない】も収められている。・・・」(p129)

うん(笑)。
さっそく時田昌瑞氏の「岩波ことわざ辞典」をひらいてみました。
ありました。これが図もあり、丁寧に書かれております。
せっかくなので、引用したくなります。

「この世の中で四つの恐ろしいもののこと。
家父長制の崩壊で、父親の昔ながらの権威がなくなってしまった現代では、親父は畏怖される対象ではない。だからこのことわざも死語化しつつあると、父権を問題にする論者がよく引合いに出すものである。しかし、では江戸や明治時代にこのことわざが実際に支持されていたかというといささか疑問がある。よく知られているわりに、江戸時代の用例はきわめて少ない。また、現代では一般に恐ろしいもの四つを恐ろしい順に挙げていると解釈されているが、明治時代の辞典類では、単に恐ろしいものの意となっている。江戸後期と推定される仇討小説『柳荒美談後編』(巻19)でも『地震もこはい。強き時は家作はいふに及ばず、山もくづれて大地もさける。一番恐ろしいものなりといへば、又一人進みいでていはく、親父も怖い、毎度眼のいづるほど叱られる。世にいふ通りに地震雷火事風親父、是らが怖いものなり』とあって、見出しの四つ以外に『風』を加えて世の中の『怖いもの』とは言っているが、『怖いものの順番』とは言っていない。図は、鯰や火事を擬人化した幕末の民俗版画『地震けん』から。」(p287)

一番は、地震で揺るぎないようなのでした。
方丈記でも
「恐れのなかの恐るべかりけるは、只地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか」と記しているわけです。


地震が注意をひく昨今。
親父への喚起も、ひかえているのじゃないか。
と、幸田露伴・幸田文親子を思い浮かべます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これも信じられない話ですが。

2012-06-09 | 短文紹介
ドナルド・キーン著「戦場のエロイカ・シンフォニー 私が体験した日米戦」(藤原書店)。この本は、小池政行さんが質問しながら、それに答えてゆく一冊。
最後に「本書の対談は2010年11月9日、17日28日の3回に亘り・・・」とあります。うん。東日本大震災以前になされたものです。初版は2011年8月30日となっております。

2010年11月17日に収録された対談の最後には、こうありました。

キーン】 ・・私はもう日本に永住する気でいます。
小池】  これは初めて聞きました。
キーン】 この数年、考えていました。そして、コロンビア大学の授業は2011年を最後に、その後は日本に完全に移り、ここで骨を埋めたいと思っています。
小池】 これは、日本の新聞にもマスコミにも出ていない、とても大きなことですね。


さてっと、
私が気になった箇所をすこし並べます。

小池】 そういうお話をうかがいますと、先生、私たち日本人というのは、権威ないしは権力のあるところからの言葉をそのまま信じる傾向が強いということ。また欧米の風俗、習慣もマスメディアの流す事柄を割と簡単に信じるということが思われます。(p33)

本の最後の方には、こうありました。

キーン】 ・・・また、これも信じられない話ですが、戦争末期には、日本政府や軍関係者はソ連が仲介に乗り出してくれるのではと期待を抱く向きも出て来るのですね。それまでは全く悪の国と非難していたソ連に対し、まことに唐突な調子で、実は公平な国であると好意的な報道が現れるようになります。しかし、政府は具体的には何もせず、無策のままでした。冷静に考えれば、ソ連が日本の国益になる政策を実行することがないのは自明の筈ですが。
小池】 その通りです。モスクワにいる当時の佐藤尚武大使にも、終戦の仲介をソ連にやってもらえというい訓令が来て、それに基づいて一応ソ連のミコヤンらの上層部にも会うのです。それでも結局、佐藤大使は無駄だともうわかっていた。だから、ソ連を介しての終戦はあり得ないという電報を何本も外務省に打っているのですけれども、これも無視されました。・・・スイスでもストックホルムでも終戦工作をやった武官はいるわけですね。しかし、電報を陸軍省、参謀本部に打っても全く黙殺されました。(p156~158)

このことを、東日本大震災の場合に、思い浮かべるのは
菅直人首相の際の対処でした。

「国会事故調が着目するのは、政府の原子力緊急事態宣言の遅れだ。
東電が1、2号機の注水機能喪失を伝える、原子力災害対策特別措置法(原災法)15条に基づく通報を行ったのは3月11日午後4時45分。同法は、15条通報があった場合、首相は『直ちに』緊急事態を宣言し、原子力災害対策本部を設置することを定めている。だが、実際の宣言は午後7時3分と2時間以上遅れた。
政府事故調では菅氏が午後6時12分から開催された与野党党首会談に出席するため『上申手続きは一時中断した』としている。・・・」(産経新聞2012年5月29日社会面)

首相として「災害緊急事態布告」を、なによりも優先できなかった。
さらには、「安全保障会議開催」という、当然なすべき対応をとらなかったことを、思う時に、「電報を陸軍省、参謀本部に打っても全く黙殺されました。」という大本営の場面が、再現されていると、あらたに思わされるのでした。

さて、
これは読まなきゃと思う本が紹介されておりました。
この箇所です。

キーン】 私の本『昨日の戦地から  米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア』はまったく売れなかったそうですが・・・。
小池】  僕は、それが悔しいのですよ。この本は非常に面白い。この本についての、梯久美子さんが書かれた『サンデー毎日』の書評は良い視点でした。まさにキーン先生と同じように日本をよく知っている、そのときの若い日本語将校たちの目線、視線を今の日本人が持っていることに、この本を読んだ人は驚くだろう――と書いてあるのです。僕はこの本をこの三日間もう一度ずっと読み通したのですけれども、非常に示唆に富んでいます。残念なのは、先生はもらった手紙をよく残しておられるのに、先生の手紙を残していない仲間が多いのですよ。だから先生の手紙がこの本にはあまりないのです。・・・(p186~187)


『昨日の戦地から』を、私は未読。
うん。
読むことにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麦わら帽子をかぶって。

2012-06-08 | 本棚並べ
いままで、とりとめのない読書を、
これじゃダメだと思っているところがありました。
うん。そのたびに、読書を狭めよう、狭めようと、
する傾向が私にはありました。
ようするに、あるところまでゆくと、
とりとめもなくなる。そのうち、ほっぽり出すことになる。
というのが、私の毎度のお決まりのコースでした。
何とも分かりやすい、読書傾向だなあ(笑)。

その傾向に、違う角度からチャレンジできるかもしれない。
と、思いはじめております。

とりとめもない読書は、そのままに、
別の、ちょっとした工夫をすればよいのかもしれない。
それはどうするのか?
その参考になる箇所が、
私の前に登場してくれました。

藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)の
最後の方に、それはありました。

「直接利用できそうなアイデア探しや役立つ情報集めに汲々(きゅうきゅう)としていては、けっきょくダメなのです。『これは無駄』『あれは役立たない』と切り捨てていては、実は表現の幅や深みを失うことになります。
見聞きすること、読むことにストイックになったり、無駄を省こうとしてはいけない。どこにどんなヒントが隠されているか、わかりません。一見、直接役に立ちそうにないことにも宝が隠れているかもしれないのです。」(p167)

そのあとでした。

「資料の集め方についても触れておきましょう。
やり方は人それぞれです。誰でも知っている内容ではつまらないので、神保町の古書店街をまわってディープな専門書を買い漁るという人も、なかにはいるかもしれません。しかし、私なら専門書から入るようなことはしません。まず読むのは入門書。それで基本を押さえるまで、専門書には手をつけないようにします。・・・・入門書は木の幹で、高度な情報が詰った専門書は枝や葉といっていいでしょう。ところが、いきなり枝や葉から入ってしまうと、それが木のどの枝についていたものなのか、あるいは木の高さや太さはどうなのかといった全体像が、いつまでたってもつかめません。全体像が見えなければ、いま手にしている知識の価値がよくわからないし、その位置づけも見えない。・・・」(p176~177)



梅雨時をまえに、アジサイの花が咲いているのを見かけるこの頃です。
雑草は生え放題。木の幹を見るのには、難しい季節となりました。
そうそう、日差しはすっかり夏でした。
もうつぎには、夏がひかえているなあ。
そういえば、こんな詩があったなあ。

   見えないものを見るのが
   詩人の仕事なら
   人間の夏は
   群小詩人にとって地獄の季節だ
   麦わら帽子をかぶって

   痩せた男が村のあぜ道を走って行く
   
 (田村隆一詩集「新年の手紙」の詩「村の暗黒」の一部)



そういえば、
「山村修著「〈狐〉が選んだ入門書」(ちくま文庫)の
はじまりには、こうありました。

「入門書こそ究極の読みものである――。あるときふと、そう思いはじめました。このごろはそれが確信にまで高まり、人に会うたびに吹聴してみるのですが、たいてい首をかしげられてしまいます。・・・」

中途で、ホッポリ投げてしまってあった、
この本を、あらためて読み直す頃合となりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書棚の政界再編。

2012-06-07 | 短文紹介
丸谷才一・池澤夏樹編「愉快な本と立派な本」(毎日新聞社)を、ひらいていたら、荒川洋治著「言葉のラジオ」(竹村出版)の書評が載っている。
いまいち、荒川洋治氏の本はわからないなりに、気になるので、古本で注文することに。

古本屋は「子どもの本の店 ピッポ」(静岡市清水草薙)
古本代630円+送料160円=790円なり。

人気ラジオ番組の活字化なのだそうです。
読みやすく、わかりやすいので、これなら読めそう。

印象に残る箇所は
(といっても全文は読んでおりません)
たとえば、「書棚の攻防」に

「現代詩にいやけがさしたときは、視野から全部の詩集を隠したくなり、奥の書棚に移してしまう。もうぜったいに詩なんか書かないからね、なんて叫びつつ。ところが何かの折り、ふと誰かと石原吉郎の詩『フェルナンデス』の話になり、いい詩だ、やはり詩っていいよなあと思い、飛んで帰る。そしてなにより先に書棚の政界再編となるのである。」(p128)

この2頁ほどの短文の最後はというと

「自分のなかで、いまどの分野が中心になっているのか、どの世界で燃えようとしているのかが棚でわかる。そのあと何が奥から敗者復活するのかも、一目瞭然ではあるのだが。」

うん。書棚の政界再編とか、敗者復活とか。
私の少ない本棚の整理をしている最中にも、ふと思い浮かびそうなフレーズだなあ。

手紙の整理についても、ありました。

「ぼくは人別に分けて、袋に入れ保管している。先生にあたる方の手紙はすべて『先生袋』。作家、詩人、批評家などのものはまとめて永久保存袋。過去の友人、あさからぬ関係にあった人の手紙もまとめて『青春袋』。問題なのが両親の手紙。学生時代からよく来た。『床屋に行け』だの『感謝の心を忘れるな』だの、いつも内容が同じなのでほとんど読んでいないが、この『親袋』がいちばんかさばる。」(p59)

うん。かさばるほどに手紙を書いていないなあ。
そういえば、両親と本棚との組み合わせもありました。

「いまぼくは福井の実家にいるのだが本は少ない。本らしいものといえば山本有三『波』、若杉慧『エデンの海』。いずれもいまは絶版の文庫である。子供のとき読んだ和歌森太郎・尾崎士郎『少年少女日本歴史全集4源氏と平家の戦い』(集英社・1961)。以上はぼくが買ったものだ。おぼえがあるのである。あと吉川英治の文庫(父は本を読まないがこれだけは買ったようだ)。歎異抄についてどこかのいなかの坊さんが書いた本、『表千家点前』(主婦の友社)『太ったかたのふだん着と外出着』(文化出版局)などは母親のものらしく発行年が古い。あと、子供のための蓮如上人の絵本。近くの古刹・・・・」(p64)

うん。福井の実家の宗派は、などとついつい思い描いてしまいます。

ちなみに、この本「言葉のラジオ」は1996年発行となっております。
書評の本で紹介されていたので、古本で買ったのですが、
この本の中にも、「書評の『裏』を読む」(p90~92)という文がありました。
そのはじまりは

「読書ガイドといえば、新聞の書評欄。ぼくは書評欄はなるべく全紙読むようにしている。・・・書評欄には個性がある。」
として


朝日は正統派、硬派。哲学、社会学など人文系に重点。
毎日は書評をする人の名前のほうが著者の名前よりも
大きい文字にして意識革命をはかる。
読売はソフトで親しみやすい。合評コーナーも新設。
日経はひろい視野から読書をとらえる。
産経はどの日も読書のページがあり、企画ものに新味。


と分類しておりました。そのあとに
「こうした全国紙では、影響が大きいので書評もあまり本音をいえない。しぶしぶほめるときも多い。・・・かくして書評を書く人は、表現力が鍛えられるのである。」

この文の最後の2行も引用しておきます。

「本来、書評とは書『表』なのかも。だから文章の裏にあるものを読みとる楽しみが読者には残される。本もいいが書評を読むのも勉強になる。」

ところで、荒川洋治さんは朝日新聞の書評欄を、まっさきにとりあげて「朝日は正統派、硬派。哲学、社会学など人文系に重点。」と指摘しておりました。う~ん。ついつい、この言葉の裏を読み取れ。といわれているような気がしてくるのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ごたくの並べ方。

2012-06-06 | 本棚並べ
向井敏著「背たけにあわせて本を読む」(文芸春秋)を本棚からとりだしてくる。この本の最初と最後を引用したくなりました。

本の最後には「書名索引とその初刊」の一覧があります。その前に、平成14年2月27日に東京會舘で朗読されたという丸谷才一氏の「書評の名手」という文がありました。ちなみに、向井敏氏は平成14(2002)年1月4日に亡くなっております。

では、丸谷氏の朗読から一部引用。


「文芸時評の最高の名手が平野謙だといふことはすでに名声が確立した観がありますが、それなら、書評の代表者は誰か。この新しいジャンルを作り、充実させ、最も花やかに腕をふるつたのは向井敏でした。」(p338)

丸谷氏は、名手・向井敏を、こう指摘するのでした。

「  その丁寧な仕事ぶり、
   評価の的確さ、
   取り上げる領域の広さ、
   対象である本が同種類、同系列の
   本のなかで占める位置の見極め方、
   新人紹介といふ一種の
   予言的な行為の的中率の高さ、
   品格が高くて魅力があつて
   しかもわかりやすい文体、
   などから推して、
   この判定は覆しがたいと思はれます。 」


え~と、
向井敏著「背たけにあわせて本を読む」のはじめには、
向井敏氏の「書評千篇」という4ページほどの文が選ばれております。
そこから一箇所引用。


「短い書評にも功徳はある。本の見どころ勘どころを数行の言葉にきりりと絞りこめたときにやってくる快感がそれであろう。・・・・それにくらべ、紙数十分の書評だと意をつくせる率はずっと高い。外堀を埋め、内堀を埋め、相手を裸城にしてしまえる。あとは落城を待つばかり。そのあいだ、雑談に興じたり、ごたくを並べたりすることもできる。・・・私はごたくを読むのも書くのもけっこう好きなのである。ごたくの並べかたの出来不出来で、評者の能力のおよそが判定できるとさえ思っている。・・・」(p15)


う~ん。名手による「評者の能力」判定は、ハードルが高いなあ。
もっとハードルが低い指摘をしておられる方はいないかと、手近を見回す。
いそいで、そちらも引用しておきます。

藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)に
司馬遼太郎氏の「余談だが」に触れた箇所がありました。


「司馬の歴史小説やエッセイには、『余談だが』というフレーズがたびたび登場します。『余談』とはいえ、豊富な知識に基づいたその内容は、独立した読み物として読み手を惹きつける力がありました。また単なるサイドストーリーのように見えて、実は後に続く伏線だったことも珍しくありません。『司馬作品は余談のほうがおもしろい』という人もいたくらいです。おそらく司馬作品に影響を受けたのでしょう。1970年から80年にかけてはこのフレーズを使った文章をよく見かけました。しかしほとんどの場合、成功していなかったように思います。『余談だが』に続く脱線は司馬遼太郎の得意技のようなものだったわけで、普通の書き手は敬遠したほうが無難です。『余談だが』では堅苦しく感じるのか、さすがに最近は減ってきました。しかし『ちなみに』から脱線を始めるパターンは、いまだに少なくありません。推敲しているときにこれらの表現を見つけたら、そこに自分のごまかしが潜んでいないか、一度立ち止まって考えてみるとよいでしょう。」(p70~71)

ちなみに(笑)
向井敏の「司馬遼太郎の世界」という文は、司馬さんの初期小説の連載時に、吉田健一氏がつとに指摘されていた時評から、司馬さんの姿を取り出してくる文なのでした。それが「背たけにあわせて本を読む」に載せられてありました。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5W1Hの順番。

2012-06-05 | 短文紹介
「5W1H」という言葉が気になるのでした。
そうすると、5Wの順番も気になる(笑)。

たとえば、大越健介著「ニュースキャスター」(文春新書)に

「ある土曜日の朝、寝ぼけまなこでテレビのスイッチを入れたら、阿川佐和子さんがインタビューをやっていて、いつの間にか時間が経つのを忘れて見入っていた。・・・・うまいインタビューは、問いが短いものだ。極端な話、『いつ、だれが、どこで、何を、なぜ、どのように』という、いわゆる5W1Hだけでインタビューしている印象である。・・・阿川さんは、・・短い問いでど真ん中をつく。あるいは、自分はこの点は素人だからと宣言して、ずけずけと相手の懐に飛び込んでいる。」(p55)

ここでの5Wを説明する順番が
人により入れかわるのでした。
もともと、順不同でよいのかもしれない?
そこが、おもしろい。

藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)では

「つまり相手からの適切な答えを引き出すためには、最後に『?』(クエスチョンマーク)をつけた形で聞く必要がある。さらに5W1H(誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように)の形で質問が具体的になっていれば理想です。」(p89)


比べてみると
大越健介氏は
『いつ、だれが、どこで、何を、なぜ、どのように』という順で。
藤原智美氏は
『誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように』という順。


それにしても、最近の新聞では、
5W1Hより、形容詞ばかりが花やかで、
そういうとき、
いったい「誰が」書いているんだ。
と思ったりすることがあります。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真があるなら、今月今宵。

2012-06-04 | 短文紹介
見城徹・藤田晋著「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」(講談社)から、私が引用するなら、この箇所かなあ。

その46頁でした。見城氏の見開き2頁の文のはじまり。

「僕ぐらいの歳になると、結婚式やパーティーで、スピーチを頼まれることも多い。」

ちなみに、幻冬舎の見城徹氏は1950年静岡生まれ。
つづきを引用。

「講演だと、このプレッシャーがもっとも強くなる。とりわけ困るのが、母校でやるときだ。・・・・話し終えると、自己嫌悪でいっぱいになる。そのため、しばらく仕事が手につかなくなるくらいだ。」

さて、このあとでした。

「僕は自分が喋ったり、書いたり、出演したりしたものに対し、とにかく誰かに感想を言ってもらいたい。他人はどう思ったのか、やはり気になる。言ってもらうだけで、多少は自己嫌悪が軽くなるからだ。ところが、お礼は言っても、感想を言う人はほとんどいない。これは講演だけでなく、スピーチの場合も同様である。こういう時、人はなぜ、何も言わないのだろう?・・・」

説明なしの、飛び飛びの引用でわかりづらいでしょうが、ご勘弁ねがって、文の最後は、こうなっております。

「感想は、その場で言うのが一番いい。礼状に添える場合は、五日以内で。僕の場合、五日を過ぎたら、うれしくも何ともない。・・・相手が感想をしっかりと伝えてくれた時、僕は『この人とは付き合えるな』とか、『大事にしよう』と思う。それがモチベーションになり、次の仕事へつながるのだ。感想は、それを言うこと自体に大きな意味がある。感想がないところに、人間関係は成立しないと心得るべきだ。」

うん。スピーチを聴く心構えを伝授してもらえるのでした。
ここから、70頁の文を引用してみたいのですが、そのまえに、詩が思い浮かぶので、まずはそちらを。

 シェークスピアソネット 第90番(中西信太郎訳)

 いつでも 今でも ぼくがいやならさっさと見切りをつけたまえ
 いま 世間は一体になって ぼくのやることに邪魔をしている
 だから意地わるい運命に加担して ぼくに 参ったと言わせたまえ
 勝負がついてから のこのこ顔を出すのはよしてもらいたい

こうはじまる詩の最後の二行は

 いまは不幸と見える 数かずのなやみや苦しみも
 君を失う不幸にくらべたら ものの数ではないのだ



さて、「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」の70頁。見城氏の文の最初を引用

「僕には、尊敬する歴史上の人物が四人いる。
戦国大名の織田信長。『大塩平八郎の乱』を起こした大塩平八郎、松下村塾を主宰した吉田松陰、そして騎兵隊を創設した幕末の志士、高杉晋作である。
四人とも、破天荒でオリジナリティーにあふれ、どこか狂気をはらんだ男たちである。彼らは極端に生き、そして散っていった。
『真があるなら、今月今宵。あけて正月、だれも来る』
これは、高杉晋作の言葉として知られている。死を覚悟して決起する時、傍観を決め込む陣営を訪ねて、唄ったとされている。僕はそれを翻案して次のように言っている。『情けあるなら今宵来い。明日の朝なら誰も来る』・・・・」


うん。こんな話を詰めこんだ一冊。
というか、前著「憂鬱でなければ、仕事じゃない」からの二冊目。
この二冊目では、藤田晋氏の文も読みごたえがあります。
そういえば、清水幾太郎氏の言葉に
「手紙は、相手の心を盗むつもりで」とあったなあ。
その盗み方を、ブッキラボウな丁寧さで教えてくれるのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

司馬さん丸谷さん。

2012-06-03 | 他生の縁
丸谷才一氏と司馬遼太郎氏の
思わぬつながりを見つけました。
それは、浄土真宗。

ということで、
以下に、それについての箇所。
まずは、
司馬遼太郎の「日本仏教小論 伝来から親鸞まで」。
これについて、
新潮社の「司馬遼太郎が考えたこと」15巻目には、
作品譜として、その文の経緯が読めるのでした。それによると、

「1992年 
3月5日にニューヨーク・コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化研究センターで催されたキーン教授退官記念セレモニーでの講演草稿に加筆したもの。ニューヨーク滞在は3月1日~3月12日。・・・」

とあります。
司馬さんは、講演をはじめるにあたって、このように自らを語っておりました。

「日本仏教を語るについての私の資格は、むろん僧侶ではなく、信者であるということだけです。不熱心な信者で、死に臨んでは、伝統的な仏教儀式を拒否しようとおもっている信者です。プロテスタンティズムにおける無教会派の信徒とおもって頂いていいとおもっています。
ただ私の家系は、いわゆる【播州門徒】でした。いまの兵庫県です。17世紀以来、数百年、熱心な浄土真宗(13世紀の親鸞を教祖とする派)の信者で、蚊も殺すな、ハエも殺すな、ただし蚊遣りはかまわない、蚊が自分の意志で自殺しにくるのだから。ともかくも、播州門徒の末裔であるということが、私のここに立っている資格の一つかもしれません。」


つづいて、
丸谷才一批評集の第三巻「芝居は忠臣蔵」。
その巻末対談。瀬戸川猛資氏との対談で、
丸谷才一氏が、こう語っているのでした。

丸谷】 ところで僕の家の宗旨は、浄土真宗なんです。親父は医者で、僕をつかまえてはしきりに患者の旧弊ぶりを嘆いたものです。診察して、これは大変だ、今すぐ手術だというときに、患者の家族が『きょうは日が悪いから明日にしてくれ』と言いだす。それを説得するのにひどく骨が折れたらしい。そして『こういう迷信は絶対に信じちゃいけない』と諄々と僕を諭すんです(笑)。・・・・・
そういう気質は、父が近代科学的合理主義者だったからだと思ってきたけれど、ひょっとするとこれは、家が真宗であったせいもあるかもしれない、と最近思うんです。『門徒もの知らず』と言うでしょ。卒塔婆もないし位牌もない。そういうことにはいたって冷淡で、儀礼の廃止、さらには呪術性の蔑視、これがひじょうに強いですね。
ほら、福沢諭吉が『福翁自伝』で語る、子供のとき、神様のお札を踏んづけてみたけれど何ともなかったという有名な話があるでしょう。あれは諭吉少年の近代主義のあらわれということになっています。しかし、彼の家は真宗でしたから、もともとそのせいで呪術性への懐疑的傾向が強かった、と見ることもできますね。 (p372)


うん。これからは、浄土真宗とはどんな宗教かというイメージをするのに、具体的に、司馬遼太郎と丸谷才一(それに福沢諭吉)を思い浮かべれば、焦点がはっきりしそうな気がしてきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向井敏と平野謙。

2012-06-02 | 前書・後書。
丸谷才一・池澤夏樹編「愉快な本と立派な本」(毎日新聞社)は毎日新聞の「今週の本棚」を編集した3巻本の一冊目。さてっと、そこに丸谷才一による向井敏著「机上の一群」への書評が選ばれている(p205~206)。その書評の最後はこうでした。

「一体に向井は新人を発見し推薦することに熱心で、あるいはフランス文学の鹿島茂、あるいは劇評の渡辺保を仔細に論じてその新しさと魅力を説く。それはかつて平野謙に推奨された若い小説家がたちまち世に認められた事態を思い出させる。・・平野は文芸時評の筆者として一世を風靡した人で、向井は当代を代表する書評の名手である。前者の果した役割に近いものをいま後者が受持っているとすれば、文芸時評の時代から書評の時代への移りゆきをこれほどよく見せてくれる取合せはほかにない。」(1995・7・17)

ちなみに、「愉快な本と立派な本」の1996年5月20日には、
向井敏による、『丸谷才一批評集』全6巻への書評が載っていて(p259~261)、さながら、書評の饗宴によばれて、まるで書評というご馳走を前に、どれから箸をつけたらよいのかうれしい心配をしているようになります。では、向井敏の書評の最後を引用してみます。

「それにしても、小説家が全六巻もの批評集を、それも第一級の名篇をそろえた批評集を出すというのは史上空前のことで、慶賀にたえないが、これに花を添えているのが、各巻の巻末に付された対談による解題。
池澤夏樹、渡辺保、瀬戸川猛資、三浦雅士、川本三郎、井上ひさしといった面々が対談相手なのだが、このうち筆者に近い世代は井上ひさしだけで、あとの五人はいずれも二まわり以上も下の気鋭の批評家。その彼らが大胆不敵な仮説や機微を衝く問いを発して、しばしば著者をたじろがせるのである。
その昔、丸谷才一は『梨のつぶて』の題名に、どう説いて聞かせてもだれも相手にしないだろうという皮肉をこめたにちがいないのだが、それが今は、もはや『梨のつぶて』どころか、打てば響くものになっていると知って、感無量だったのではあるまいか。」


うん。向井敏氏のご指摘の『感無量』の巻末対談を、読んでみたくなりました(笑)。


たとえば、第四巻「近代小説のために」の巻末対談は三浦雅士氏。
そこに平野謙の名前が登場しておりますので、それも引用。

丸谷】 ・・・要するに日本の文芸評論は、声と表情が単純だったんですよ。その単純さを破壊したのが、平野謙という人。彼はぼやき節を入れることによって壊した。
三浦】 これまた大発見だ!(笑)
丸谷】 吉田健一さんもそうです。つまり小林秀雄的な『寄らば斬るぞ』みたいな文体でもなく、中村光夫的な中学の先生が修身を教えるみたいな文体でもなく文芸批評が書けるということを、平野謙と吉田健一は証明したと思うんです。あの二人のおかげで文芸批評は随分楽になったんですよ。

三浦】 僕は平野さんて、右顧もちゃんと書くし、左眄もちゃんと書くという誠実さを持った人だと思っていました。だってあの人の時評、この前ああいうふうに言ったけども、よくよく考えてみたらこうだったっていうのがとても多いんですよ。
丸谷】 ああいういきさつを皆書けるっていうことはね、大変な文章能力なんですよ。普通、時評なんて短いスペースで、ああでもあるしこうでもあるみたいなことは書けないですよ、よほどの文章力がなくちゃあ。


え~と。向井敏と平野謙とが登場したので、今回はここまで。
この全六巻の巻末対談は、面白く(巻末対談だけで、本文を読んでいなのは御愛嬌)、別の話題で、明日も書くことにいたします(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「方丈記」と鎌倉幕府。

2012-06-01 | 短文紹介
読売新聞2012年5月1日の文化欄「『方丈記』関連書 相次ぐ」とあり、まずは昨年11月に出た浅見和彦校訂・訳「方丈記」(ちくま学芸文庫)が、4刷9000部を数えた。と紹介されておりました。
これは未読と注文いたしました。
そのあとがきに、
「鎌倉から帰京後の建暦2年(1212)、長明は『方丈記』を執筆する。一つの可能性ではあるが、この『方丈記』は源実朝に献呈されたものであるかもしれない。少なくとも実朝はこの新作の『方丈記』を読んだフシがある。おそらく長明にとって、この『方丈記』は会心の作であったのではなかろうか。作中全編に込められた長明の気迫のようなものを感じるのは私だけではなかろう。」(p252)

本文にも、「仁和寺の隆暁法印といふ人」の箇所(p110~)に

「福原遷都の折も、長明は事あるごとに現地へ赴き、その様子を正確に書きとめてくる。今回もそれこそ左京の全域を虱潰しに数え回ったのであろう。隆暁法印の偉大さを知ろうとしたのか、それとも飢餓被害の甚大さを知ろうとしたのか、はたまた数え始めたところ、残すところなくすべてを数えきりたいという衝動にかられたのか、その動機はさまざま考えられるが、長明の行動力は特記するに十分値しよう。
さて隆暁法印であるが、『隆暁』は『方丈記』全体の中で、同時代としては唯一名前の明記された人物である。隆暁で注目されるのは、源頼朝がその息貞暁を隆暁の弟子として入室(弟子となること)させている点であろう。・・・貞暁は一条能保につきそわれて、隆暁のもとに入室したわけである。・・実はこの一条能保は源実朝の女婿で、頼朝とは義兄弟の関係にあたり、有力な親幕派公卿の一人であった・・・」(p114~115)

方丈記と親幕派の関係とは、
興味深い指摘で、なるほどと頷いてしまいます。

ちなみに、この文庫の最後には、こうありました。

「本書は『ちくま学芸文庫』のために新たに書き下ろされたものである。」
うん。最新の方丈記への考察を聞かせていただけた満足感があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする