和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

食べる。

2014-02-07 | 地域
寒いせいか、
石炭をくべるように、
よく食べます(笑)。

で、何をするかといえば、
本棚の整理。
あっちへ置いたり、
こっちの棚へ移動したり。
腹ごなしをしております。

うん。読まない。
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小さな飛躍の。

2014-02-04 | 短文紹介
外山滋比古氏の新刊をひらいております。

たとえば、こんな箇所。

「ひとつのパラグラフから次のパラグラフへ移るとき、
小さな飛躍の空間がある。それによって、
パラグラフとパラグラフが結びつけられる。
これを繰返していけばチャプター(章)ができる。
チャプターを重ねれば、ブックになる。」(p55)

「第五人称の読者」と題した短文は
こうはじまっております。

「若いときから、活字になった自分の文章を
まわりのものに読まれたくなかった。
家のものにも見せたくない。
友人に読まれるのも心が重い。
そのうちに本を出すようになって、
世間の常識に従って先輩知友に新刊を贈っていた。
あるとき何を思ったのかいまはさだかではないが、
誰にも贈らないときめてしまった。
気のおけない友人が
『どうしてくれないんだ』などと言ってくる。
『知っている人には読まれたくないのだ』
と答えるが、もちろん通じない。
『読まれたくないのにどうして出すのか』
などと食いさがる。
『いや、知らない人には一人でも多く
読んでもらいたい』
『まるで訳がわからん』・・」(p37)


こうして、
外山滋比古著「人生複線の思想」(みすず書房)を思いつくとひらきます。

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その草分け。

2014-02-03 | 短文紹介
毎日新聞2月2日の「今週の本棚」に
鶴見太郎著「座談の思想」(新潮選書)を
堀江敏幸氏が書評しています。

広範囲にわたる内容から、
どこを多めにとりあげているかを着目。
うん。この箇所でしょうか。

「・・・・しかしそこには、
三つ以上の声を集める配役と司会を担う
存在が必要になる。
座談会を看板企画に仕立て上げた
『文藝春秋』の創刊者菊池寛は、
その草分けのひとりだ。
参加者を巧みに組み合わせ、
殺伐とした空気にならないよう、
また専門知識のない読者でも
理解できる言葉を念頭に置きながら、
菊地は1927年3月号の、
芥川龍之介、山本有三をまじえた
『徳富蘇峰氏座談会』を皮切りに、
長谷川如是閑、幸田露伴、里見らを
登用した印象深い出会いの場を提供し続けた。
一方通行や質疑応答に終らない往還のある言葉が、
単発の論文からは生まれることのない
豊かな思考のうねりを導く。
馴れ合いとは別種の、
緊張感に満ちた相互信頼が
そこにあった。

ただし、事前のシナリオなしで
進んで行くこの自由な空気は、
戦中の抑圧と相容れなかった。
長谷川如是閑の、時流におもねらず
『本来の意味での中立を保つ』姿勢と、
それをわずかな言葉で支持しつつ
話を進める菊地の司会。
戦中戦後は、
話し手の見極めと確保が難しくなって
企画そのものが減っていくのだが、
その推移から逆に、
座談会になにが必要であったかを
炙り出す筆者の筆もまた、
『本来の意味での中立』を
うまく保っている。」

うん。鶴見太郎の他の著作を
読んでみたくなります(笑)。

コメント (2)
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四十年は長かった。

2014-02-02 | 短文紹介
丸谷才一著「別れの挨拶」(集英社)。
その最後の方
「未来の文学を創る」(2012年8月28日)
の挨拶のなかに

「文学作品を書くことは、一筆用件をしたためて封筒にをさめ、切手を貼つてポストに入れるやうな、いはば事務的な、能率のいいことではなくて、思ひのたけを趣向をこらして書きつけ、空き瓶に入れて海に流す、それをどこかの誰かが拾つて読んでくれるかもしれない、いはば海流瓶のやうなものだといふことを悟り、妙な形で励まされたのでありました。つまり無鉄砲と言へば無鉄砲な、成功の可能性のずいぶん低い仕事なのですが、かういふ形であとにつづく世代、後世の作家たちを刺激し、未来の文学を創る。それが文学の伝統を大事にすることなのであります。・・・・」(p326)

この文の前に、

「一体にわたしは傲慢なたちで、四十歳のころ長篇小説『笹まくら』を書いたときなど、絶大な反響を呼ぶにちがひないと思つてゐました。しかし別にどうつてことはなかつた。内心、ずいぶんがつかりしたのでありますが、それから三十年ほど経つてから、池澤夏樹さんとか村上春樹さんが別々の場所でこの作品に言及して、あれで現代日本でも西洋ふうの長篇を書くことが可能だと思つた、と書いてゐました。嬉しかった。」


うん。ここに三十年とありますが、
四十年という方もおります。

谷沢永一著「最強の国語力を身につける勉強法」(PHP)
の「若いときから――あとがきにかえて」に

「・・・まず同人雑誌『えんぴつ』に、昭和25年、『斎藤茂吉の作歌の態度』150枚を連載しました。のち、それを約90枚に圧縮して、関西大学国文学会発行の学術雑誌『国文学』第七号に掲載していただきました。時に昭和27年6月でした。・・・それから幾星霜、誰ひとりこの論文に言及した人はありません。・・・ところが奇跡が起ったのです。小西甚一先生の大作『日本文藝史』(全五巻、昭和60~平成4年)の刊行が始まりました。・・・・平成4年、最終第五巻刊行。そのなかに、数多(あまた)の茂吉文献をほとんど埒外に置き、私の『斎藤茂吉の作歌の態度』が、初出である『国文学』第七号の誌名とともに登録されていました。それを一瞥したのが、私の生涯で最も嬉しい日となりました。私が論文を発表して四十年、遂に、初めて、その価値が認められたのです。四十年は長かった。その代わり、小西先生に認められた喜びまたひとしおでした。・・・いったん学問を志す以上、論文の発表に早すぎるということはない。モチーフが湧いて書けるときには、年齢などお構いなしに書くべきです。当初は無視黙殺されようと、必ず書いておくべきです。私は四十年待ちました。・・・・ためらってはいけません。進行するべきです。私の回顧談から、何事かを汲み取っていただけるのを心から切望いたします。」


お二人とも亡くなり、
こうしてお二人の言葉が伝わる。
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本棚の余白。

2014-02-01 | 本棚並べ
本に余白が必要なように、
本棚に余白があるといい。

などと思うのは、
本を読まずに、
本棚整理をしてる私(笑)。

ひとつの本棚に、
段ボール箱から出す、
外山滋比古氏の著作。
福原麟太郎氏の著作。
吉田健一氏の著作も。
河上徹太郎氏の著作。
その空きスペースに、
堀口大學氏の著作を。

となりの本棚には
丸谷才一氏の著作。
大岡信氏の著作。
文章作法の本たち。


本棚に空きスペースをつくるのが
いいですね。
そうすると、ここに何を置こうと
思う楽しみがあります。
本棚の余白の魅力。
うん。なんとも贅沢(笑)。

竹中郁の詩の隣に、
杉山平一の詩があり、
今回その隣に
田中冬二の詩を置いてみる。

金子兜太×いとうせいこう対談
「他流試合」(新潮社)を
ぱらりとひらくと、

兜太】 ・・・荘子もよく読んでいます。
芭蕉なんかも荘子の影響をうんと受けています。
一茶なんかは、江戸の町なかでやる荘子の講義、
今のカルチャースクールみたいなものですがね、
それに行ったりしていた。
せいこう】 それは面白いですね。
俳句の流れの中に荘子の思想が入っているというのは。
(p120)

ということで、
本棚の芭蕉の脇に
荘子を置く(笑)。
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