和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

本棚の夏。今昔物語。

2018-07-14 | 本棚並べ
本棚から、今昔物語集をさがす。
とりあえず、読めそうな本をピックアップ。

杉浦明平著「今昔ものがたり」岩波少年文庫
山口仲美著「すらすら読める今昔物語集」講談社
桑原博史監修「新明解古典シリーズ今昔物語集・・」三省堂
武石彰夫現代語訳「今昔物語集本朝世俗篇」上下。講談社学術文庫
百目鬼恭三郎著「奇談の時代」朝日新聞社
益田勝実著「説話文学と絵巻」三一書房
ほかに
山口仲美著「日本語の古典」岩波新書
山口仲美著「日本語の歴史」岩波新書
山口仲美著「平安朝«元気印»列伝」丸善ライブラリー

はい。並べるだけなら、いと簡単。
まず、一冊目から脱線してゆくのだろうなあ。
本買うは簡単。読み終わるまでの夏の道のり。
今日午後は、神輿(みこし)渡御のお楽しみ。

   国道は 汗に足音 夏神輿
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奇談という領域。

2018-07-13 | 古典
今日、古本が届く。
百目鬼恭三郎著「奇談の時代」(朝日新聞社・1978年単行本)。

序文はというと、こんな箇所を引用。

「・・これが『今昔物語集』の世界なのであります。
正直いって、私がこういう世界を知ったのはごく最近で、
それまでは、『今昔物語集』というと、芥川龍之介の作品を
通して間接にしか知らなかったのですね。・・・・
数年前、偶然の機会に益田勝美氏の『説話文学と絵巻』を読んで、
この説話文学の世界が、芥川の描いたものとはまるでちがうことを
教えられてからであります。・・・
私は、近世の奇談集を軽んじるつもりはありません。殊に
根岸鎮衛(やすもり)の『耳袋』は私の好きな本であります。
私がはじめて『耳袋』を読んだのは、もう十四、五年も前で、
・・・たちまちその面白さにひきこまれて、寝るのも惜しい
気がしたことをおぼえています。私が奇談という領域に
興味をもちはじめたのは、これからといってもよろしいでしょう。
・・・偽りの話と思われても、面白ければそのまま記録しておく、
というところがいい。この時代になればもうよほど人は
科学的合理主義が身についています。だから、ここに
書きとめた話の大方は、鎮衛には信じられなかったにちがいない。
が、それをあえて書きとめておいたところに、
彼の怪異好きがよくあらわれていると思うのですね。・・・」

うん。これを機会に、
今年の夏は、今昔物語集と耳袋の世界が
眼前にひらけてゆきますようにと
『奇談の時代』を読み始めることに(笑)。

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座談会記事の発明。

2018-07-13 | 本棚並べ
外山滋比古著「アイディアのレッスン」(ちくま文庫)に
菊池寛が登場する箇所があります。


「菊池寛は・・・この小説家は通俗作家として
あまり高く評価されないできましたが、おそらく
明治以降、もっとも独創的な文学者であったと思われます。
その才能は、広く編集の方向においても発揮されました。
『文藝春秋』というそれまでなかった形式の文芸総合誌を
つくったのもそのアイディアの一つです。

そのころ、つまり大正末期の総合雑誌は申し合わせたように
巻頭に難解きわまりない論説をかかげるのが常でした。
読んでわかった読者がいたかどうかわからないが、
とにかくそれが高級雑誌の常道でした。

それに対して菊池の『文藝春秋』は巻頭にエッセイを並べました。
これまで雑誌の玄関の巻頭論文を敬遠し、裏口の創作、小説から
読んでいた読者は、玄関から迎え入れてくれる雑誌の出現に
歓喜しました。営業的にも大成功を収めます。

記事のつくり方にしても、新機軸をいくつも打ち出しました。
中でも目覚ましいものに座談会記事の創案があります。
ジャーナリズムがイギリスにおこって三百年、
いかなる雑誌も、座談会を記事にして掲載しようと
したことはかつてなかったのです。
それを『文藝春秋』はやってのけました。発明です。
すばらしいアイディアでした。・・・・
いまでは座談会というものが、活字になったのは
菊池寛の『文藝春秋』のが始まりであることさえ
ほとんど忘れられています。

菊池寛は本当の意味でのアイディアマンの先覚者として、
独創、発明の喜びとともに悲哀も味わったはずです。」
(p39~41)


うん。今年の夏のお薦めは、
雑誌「WILL」8月号。こちらは対談のオンパレード。
そこに選ばれし対談相手。どなたも聞きたくなる方々。
こちらは、人を得ての対談のテンコ盛り(笑)。
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おもしろいですね。愛読してますよ。

2018-07-12 | 本棚並べ
池島信平氏の本を、本棚にさがすと、
「池島信平対談集 文学よもやま話」(上・下)が
ありました。うん。いまが読み頃(笑)。

池島信平氏は63歳で亡くなっておられます。
この早すぎる死去は、同時に追悼の言葉を
多くの方からいただけることにもなっておりました。

この対談集上下の構成は、池島氏との各対談の後ろに、
対談者が1頁の追悼文を寄せておられ、それが興味深い。
対談の時間と、亡くなった後の追悼の時間との重層感。

さてっと、まず対談からの引用。
「文学よもやま話」の下から。

池島】 このごろは、ものを考えたり判断するときに、
全部枝葉を切っちゃうようにしてるんです。
これが幹だというところだけしか見ない。
でないと神経衰弱になっちゃいますよ。
枝葉は、なるべく忘れようと。
・・・・・
考え出したらキリがないですね。
でも、余裕がなくっちゃうのは、いやだから・・・。
(p18)


池島】 菊池寛がいいだしたんです。
『人に頼まれて、ものを書くのはイヤだ。
いちいち反駁したりしなきゃならん。面倒くさい』
とね。それで、自分で雑誌を持った。
いいたいことを、気兼ねなしに書けますからね。
これが元です。
(p48)


池島】・・・マスコミというのはね。
そういうおかしなというか、常識外れみたいなのが
いないと、おもしろくならないですね。
書くほうにも、書かせるほうにも・・・。
・・・
それが紙面に出てくるんです。
『さあ、一冊にこれだけの栄養があるよ』。
そんなもんじゃない。おかしなものが香辛料になって、
全体にいい味の雑誌ができるんですよ。
全部がそれでも困るけどね。
『これもある。あれもある。栄養たっぷりだよ。
一冊二百円。安い』。雑誌はそういうもんじゃないんだな。
変な人間がちらちら隠顕するほうが、
まったりとしたいい味になります。
ぼくは、それが必要だと思う。
優等生ではできないんです。雑誌の編集は。
(p60)


はい。いままで本棚に眠っていたのが、
今は、読み頃をむかえておりました(笑)。
小説を読まない私ですが、
この対談は、小説家との対談なので、
うん。ゴシップ読みの楽しみでしょうか。
さらには、追悼文もある。

1ページの追悼文も各人いろいろですが、
ここには、野坂昭如氏の文から引用。

「・・・雑文を書きはじめたのっけに、
池島さんは、『おもしろいですね、愛読してますよ』と、
まったく面識のないこわっぱに声をかけて下さったのだ。
ひたすら怯え、五里霧中の感じだったから、
この一言はなによりの支えとなり、どころか、
うぬぼれのぼせさえした。
さりげない言葉の一つ一つが、その後のぼくの、
物書き稼業の上で、どれほどありがたかったことか
・・・いい気にさせれば、書く気も起こすと、
ぼくの体質を見通された上での、そのやさしい
甘やかしにのっていた自分が、なつかしいのだ。・・」
(p41)

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鬼・オンヌ。

2018-07-11 | 本棚並べ
梅棹猛著「京都鬼だより」(淡交社)を
古本で買う。安くてきれいで、しかも帯つき。
まあ、内容は、
京都新聞の『天眼』欄の連載を一冊にしたもの。
2010年初版。
触手がうごいたのは、題名の「鬼」。
あとがきには
「アイヌ研究者の藤村久和氏によれば、
アイヌ語で歳をとった人間のことを『オンヌ』という。
私は、アイヌ語は縄文語の名残を多分にとどめる言語
と考えているが、古代日本人は、人間が歳をとると
鬼になると考えたのであろう。
鬼には悪鬼と善鬼がいるが、人間が歳をとってなる
鬼は悪鬼より善鬼であろう。能に登場する翁や媼も、
どこかにすでに人間ではなくなった鬼の性格をもっている。」
(p196)

表紙カバーには、ご本人の立ち姿の写真。
うん。鬼のような顔に見えないことはありません。

ある、アンソロジーに
百目鬼恭三郎氏の『鬼』という文がありました。
(「奇談の時代」に収録されているそうです)
そこに、こんな箇所。

「『岩波古語辞典』によると、オニということばが
文献に現れるのは平安時代に入ってからで、
奈良時代の『万葉集』では『鬼』という漢字を
モノと訓(よ)ませている。モノとは、直接いう
ことを避けねばならない超自然的なおそろしい
存在という意味のことばだった。そういう
超自然的なおそろしいモノである鬼は、
本来は姿を見せない存在と考えられていたという。
オニということばにしても、『隠』の
古い字音onに母音iをつけたものという説がつよい。
・・・・」

こうして、最後に今昔物語から
鬼が登場するある物語を引用しておりました。

そして、百目鬼氏は文の最後をこうしめくくります。

「老人が年をとりすぎると、鬼になることがある
ということを、現代の常識で分析してみると、
老人性痴呆からタンタロス症状を呈するようになったさまを、
昔の人は鬼になったと観じた、ということになろうか。
私は、これと姥捨ての習俗とは無関係ではないように
思っている。」


「老人が年をとりすぎると、鬼になることがある」。
そんなことを眠られぬ夏の夜に思えば、
ス~ッとしてきて、暑さを忘れるかもしれない。

ちなみに、講談社学術文庫の
「今昔物語集 本朝世俗篇 下」(武石彰夫による全現代語訳)。
そこに、百目鬼氏が引用した物語は、p80~82にありました。


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WILL8月号が、いいね。

2018-07-10 | 短文紹介
WILL8月号が、いいね。
まず、読みやすい。
なぜ、かといえば、対談が多い。

高橋洋一・門田隆将。
髙山正之・井上和彦。
藤井厳喜・古田博司。
石平・矢板明夫。
石原慎太郎・亀井静香。
加瀬英明・馬渕睦夫。
川村二郎・竹内久美子。


うん。これだけでも7対談。

他にも、
タレントの、つるの剛士さん。
文の中に(笑)があるので、インタビューでしょうか。
大阪の高槻市の高槻方式を
小学校の頃に、身をもって体験した
ことが、語られております。

木佐芳男(元読売新聞ベルリン特派員)は
朝日新聞1999年5月16日の
ハーグ(オランダ)から
山本敦子・深津弘・斎賀孝治の
3名合同の署名記事の全文をまず引用して。
この記事のウソが、2010年に
「アメリカ9条の会」の創設者
チャールズ・M・オーバービー氏によって
朝日新聞の記事が誤報ではなく
『虚偽』と断定し、事実上の告発をしている
ことを取り上げながら、以後の経緯を紹介しています。

WILL8月号が、いいね。
まだ、書店の店頭にあるでしょ。
私は、この夏の雑誌のベスト1。


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「和する歌の意」こたえる歌。

2018-07-09 | 詩歌
大岡信・谷川俊太郎対談「詩の誕生」(岩波文庫)で
大岡信氏がこう語っておりました。

「大野晋さんたちの『古語辞典』(岩波書店)によると
・・・・・
『和歌』の項を見ると、一番目に和する歌の意、こたえる歌。
二番目に漢詩に対して和(日本)の歌の意となっている。
和する歌というのは、つまり何か歌があって、
それに対して応えるのが和歌ということ。
はじめにこちらから出ていくのは和歌じゃないんだよ。
そういわれると、日本の和歌の性格が実によくわかるね。
応えるという自覚が明確になってきたところから
『和歌』になったのであって・・・
(p50~51)

うん。
「はじめにこちらから出ていくのは和歌じゃないんだよ。」
なんて、はじめて聞くことでした。ありがたい。
とりあえず、何をしたかというと、
古本で『古語辞典』を注文しました(笑)。

大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編の
「岩波古語辞典 補訂版」(1992年1月補訂版第3刷発行)。
函入で495円+送料257円。

それが今日届く。
さっそく【和歌】の箇所をひらいて見る。

① ≪和する歌の意≫こたえる歌。・・
② ≪漢詩に対して、和(日本)の歌の意≫
  長歌・短歌・旋頭歌など日本の定型の歌。
  のちにはとくに短歌をさすことが多い。
  「やまとうた」「やまとことば」とも。・・・
③ 舞に付随する謡物一般の称。
  高音で謡うものとされ、
  祝言的な要素を伴うものであったらしい。・・


う~ん。有難い。これからは腰が据わって、
和歌への理解が、ぐんと深まる気がしてきます。


ちなみにですが、
やはり古本で買ってあった
旺文社古語辞典第八版(1997年)を
ひらいてみると、
岩波古語辞典の②と③が載っているだけ。


ネット古本だと、家で居ながらにして、
手軽に言葉を、比較できるという贅沢。
もっとも、辞書は滅多に引きません(笑)。


ちなみにですが、
角川必携国語辞典(平成7年)は
大野晋・田中章夫編となっておりました。
そちらをひらくと
岩波古語辞典にある①の箇所は消えております。

角川必携国語辞典の【和歌】を引用。

『日本に古くからあった短歌・長歌・旋頭歌(せどうか)
片歌(かたうた)など、五音・七音を中心としてできている
定型の歌。漢詩に対していう。とくに、五・七・五・七・七
の三十一音の短歌。みそひともじ。やまとうた。
▽和歌は日本文学のもとになったもので、
詞書(どういう時によまれたかという説明)
がしだいに発達して歌物語が生まれ、
やがて「源氏物語」などの、
つくり物語が書かれるにいたった。』

はい。辞書を比べると、
知識からはじまり、知恵がつく(笑)。

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信頼度ランキング。

2018-07-08 | 産経新聞
産経新聞2018年7月7日。
そこには、朝日新聞が踊っておりました。
3か所見つけましたので、引用。

まずは、「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」
その最後でした。

「『週刊ポスト』(7・13)のタイトルには
ギョッとした(快哉を叫んだ)。
『英オックスフォード大【新聞の信頼度ランキング】
の衝撃 朝日は最下位6位!』
同大ロイター・ジャーナリズム研究所が
毎年行っている国際的なメディア調査リポート
によるものだそうだが、『朝日新聞の信頼度は
日本の有力紙の中で最下位』
ちなみに1位は日経、産経は4位。」

2か所めは、総合欄でした。
新聞の真ん中に短めの記事なので、全文引用。

見出しは「朝日に修正申し入れ」
脇には「慰安婦英語報道 ケント・ギルバート氏ら」
では、以下に全文引用。

「米カリフォルニア州弁護士でタレントの
ケント・ギルバート氏らは6日、
朝日新聞電子版の英語報道が
『慰安婦強制連行・性奴隷説』を流布するような
内容だとして、東京・築地の朝日新聞本社を訪れ、
約1万の署名とともに表現の修正などを申し入れた。
朝日側は『重く受け止める』として
23日までに回答すると応じた。

申し入れは、朝日が慰安婦の説明で
『forced to Provide sex(性行為を強制された)』
としている表現を今後使用しないことや、
朝日が朝鮮半島で女性を【強制連行した】と
虚偽を語った吉田清治氏の証言に基づく記事を
撤回したことの英語発信を求めた。

ギルバート氏は申し入れ後の記者会見で
『世界の歴史をみても間違った報道によって
こんなに国益が損なわれた例はほとんどない。
それだけ重大な問題だということを
朝日新聞に理解してもらいたい』と述べた。」


最後は、読書欄。

「・・究極は日本を代表する朝日新聞。
なぜ、おごり高ぶり、平気で日本をおとしめる
ような報道を繰り返すのかに尽きる。
この本を読めば、いまのモリ・カケ報道に
狂乱する朝日新聞の本質が理解できる。」

その本の題名はというと
『高山正之が斬る 朝日新聞の魂胆を見破る法』
(テーミス・1000円+税)

うん。遅ればせながら、今日この本を
注文しようとすると、ネットでは、新刊で
1~2か月以内に発送とあります。
うん。すぐには読めそうにない。
しかたない、読書欄の文をもう少し引用しておきます。

「慰安婦問題や東電福島第一原発事故の『大誤報』を
一度は謝罪しても、その後、あの手この手で
リベンジを仕掛けてきた。
一方で自分たちにとって不都合な報道に対しては、
謝罪や訂正に加え、損害賠償まで要求してくる。」



さて、それとは別ですが、
7月7日の新聞一面はオウム真理教の記事。
二面に「オウム真理教は地下鉄サリン事件を起こした
平成7年に宗教法人格を剥奪されて以降、
教団名を変更するなど、さまざまな生き残り策を弄してきた。」

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夏彦の旗印。

2018-07-08 | 道しるべ
向井敏著「残る本残る人」(新潮社)が
古本で安かったので、持っているけど買う(笑)。
安い古本を買うのって、
まるで、小銭をにぎり、
駄菓子屋へ向かう子供とかわらないなあ。
と、つくづく思うのでした。

さてっと、帯付きのその古本をひらくと、
山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」を紹介した
3頁ほどの文がある。
はじまりは、

「昭和30年ごろ、山本夏彦は『豆朝日新聞』を創刊して
世間を驚かせてやろうとたくらんだことがあるらしい。
・・・・
『大朝日はこう言うがわが豆朝日はそうは思わぬと、
一々反駁して完膚ないまでに論破するのである。・・・』」

「『豆朝日新聞』の計画は実現することなくして終ったが、
彼はその素志を、みずから経営する雑誌『木工界』
(のち「室内」と改題)に連載したコラムの執筆を通じて
果たすことになる。
昭和30年にはじまり、やがて『日常茶飯事』に集成された
そのコラムの主たるテーマこそ、ほかでもない・・・・

以来、山本夏彦は『書物は定説をくつがえすためにある』、
『異議を述べて、はじめて発言である』という旗印のもとに
辛辣直截な論陣を張りつづけるが論壇やジャーナリズムからは
長く黙殺をもってむくいられ、その存在が広く世に知られる
ようになるのは、ようやく昭和40年代の終りになってからだった。

この人のコラムは見かけは時事風刺でも、内実は人間性の批評である。
・・・
加えて、夏彦節とでも呼ぶしかない独特の勁直なリズムを
持つあの文体。コラムを書き継いで上梓した論集20余冊を
数える今もなお、その精気は衰えず・・・」
(p149~151)


うん。「みずから経営する雑誌」というのは
今は、「みずから書きこむブログ」という手軽さとなり。
どちらも、「長く黙殺をもってむくいられ」たりします。


うんうん。一銭五厘の旗印もありました。
そうして、山本夏彦の旗印もありました。
楽しみは、鮮明な旗印のブログとの出合。



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その声を聞くと、私も、思わず。

2018-07-07 | 詩歌
大岡信と谷川俊太郎の対談
「詩の誕生」(岩波文庫)に、

谷川】 そうだとすると、
詩と言葉のどちらが先に誕生したかと考えれば、
詩のほうが先なんじゃないかな。
うちの犬がときどき遠吠えしているのなんか聞くと、
あれは詩じゃないかと思うよね。

大岡】 犬の遠吠えってのはほんとうにそう思うね。
何に対して訴えてるのかわかんないけど、
実に悲痛なものだね。

谷川】 だから言葉ってのは、もしかすると
そういう詩的な感情をからめとるものとして
出てきたというふうにも言えるかもしれない。

いまわれわれは、言葉というのは物に名前をつけるとか、
何かと何かを区別するとか、非常に明示的なものとして
出てきたもののように思いがちだよね。
だけど案外そうではなくて、明示するよりも先に、
非常に曖昧なものをからめとろうみたいなさ。
区別するよりも先に総合して受けとめて、
それを人にも伝えようというような感じがあるんだな。
そうだとすると、言葉より詩が先といえるんじゃない?

大岡】 そうね。かりに
『詩』と名づけることのできる。ある思いだね。
(p51~52)


そういえば、地元の神輿の渡御が
この7月14日にあるのでした。
毎回神主が出張してきて、
組み立てた神輿にミタマを入れるのでした。
神社の奥の扉をひらくときに、
神主が、大きな声で、それこそ、
言葉にならない、おごそかな叫びをあげて、
奥の間の扉を開くのでした。

もう一つ思い浮かべたのは、
清水幾太郎著「私の心の遍歴」でした。
その関東大震災に被災して
家が潰れて、それから避難する様子を
書いた箇所に、それはありました。

「私たちは、間もなく、動き出しました。・・・
群衆の中に融け込んでからも、私は時々、
妹と弟との名を呼びました。いくら、呼んでも、
反応はありません。けれども、私が呼ぶと、
群衆の流れの中から、同じ肉親を呼ぶ声が
ひとしきり起って来ます。それも無駄だと判ると、
再び以前の沈黙が戻って来ます。
沈黙が暫く続くと、どこからともなく、
ウォーという呻くような声が群集の流れから出て来ます。
この声を聞くと、私も、思わず、ウォーと言ってしまうのです。
言うまいとしても、身体の奥から出てしまうのです。
言語を知らぬ野獣が、こうして、その苦しみを現しているのです。
私たちは、ウォーという呻きを発しながら、
ノロノロと、暗い町を進んで行きました。」
(「私の心の遍歴」の「大震災は私を変えた」から)


「詩の誕生」のなかの「犬の遠吠え」から、
清水幾太郎の「言語を知らぬ野獣が・・」を、
私は、思わず思い浮かべておりました。
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当り前のことなんだ。

2018-07-06 | 本棚並べ
新刊で文庫を買いました。
大岡信・谷川俊太郎対談の「詩の誕生」(岩波文庫)。
これ未読でした。

パラリとひらくと、大岡氏が正法眼蔵に触れておられる。
うん。その箇所だけでも引用しておきます。


「学校ではたとえば中世の草庵文学というと、
方丈記とか徒然草は教えるけれども、
正法眼蔵随聞記なんてのは入ってこないでしょう。
ところがこれを読んでみると実におもしろいし、
さらに道元自身が書いた正法眼蔵を読んでみると、
わからないことはいっぱいあるけれども、
その文体には打たれるわけだね。
すごい力があり、緊張がある。

こういう散文が千年近く前に書かれていたってことは
驚くべきことだが、それを読んで発見した僕にとっては、
これはいま隣で生じつつある出来事になるわけだね。
なぜ日本の詩人は、もっとそういうものを
無心に読んでみないのかと、前から不思議に思っていた。
だけどそういうことを言うのは、なんとなく具合が悪いんだよ。
当り前なことなんだからな。
だから、僕はこれを読んでここがおもしろいと思いました、
ということだけを書こうとしてきたわけだ。
いずれにしても何百年も昔の人の書いたことが
現在の自分とつながってくるという感じはあるんだ。」


さてっと、
たとえば、学校で正法眼蔵随聞記や正法眼蔵を
教えるようになるのは、いつか、などと思ってみます。
きっと、この「詩の誕生」を読んだ方が、次に読みはじめれば。
うん。いつかそれが「当り前のこと」になるんだと、
私は思うのでした。


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「歳月は勝手に来て勝手に去る」

2018-07-05 | 手紙
山本夏彦著「『室内』40年」(文芸春秋)に
「美人ぞろい才媛ぞろい―――社員列伝」という章あり。
繰り返して、これが読んで飽きない(笑)。

山本夏彦編集長と、女性編集者との
やりとりの丁々発止。たとえば

山本】 ・・・しかるに人は年をとれば利口になると思っている。
『歳月は勝手に来て勝手に去る』っていうのは私の十八番です。
そうでしょ、あんたの歳月だって勝手に来て勝手に去ったじゃ
ありませんか。

女編集者】ー-まだ去ってません(笑)。

山本】でもさ(笑)いずれは去るよ。
歳をとるのは体だけで、心はとらない、
女性は永遠に十七です。・・・・(p157)


こんな感じのやりとりがありまして、
ちょうど手紙の箇所がありますので
その少し前の女性編集者の言葉から引用。


女編】 一流なんて思ってやしません。

山本】私でなくちゃあんたのよさなんて認めてくれないよ、
堪えがたきを堪え忍びがたきをを忍び、内なる才を発見し
てくれるなんて人はいないよ。
いくら恩に着せても着せたりないくらいだ。

女編】 私に恩を着せるんですか。

山本】 もちろんです。あんたが私に着せるんですか。
本題にもどって、
商売の手紙っていうのは十か十五種類しかないんです。
『ハガキ編』と『手紙編』に分けたってたいしたことない。
見本通り書けばいいのにそれがイヤで一枚のハガキを
書くのに一日かかっている新卒(男)がいた。
学校でまねはいけないと教わって育っている。
そんなところにオリジナリテなんて出せやしません。
用が足りればいいんです。モデル通りに書いているうちに
退屈して一言つけ加えるようになる人がある。
それから先はその人次第です。
ご新著を拝読しましたとか、
この間の個展拝見しましたとかね。
ひとこと添えるとそのハガキがにわかに生彩を帯びる。
せっかく見たんだから言えというのに
言えない人が多い。言わない人が多い。
相手は大家でこっちは新卒のお使い、
このひと言で、振向いて編集者として認めてくれる。
というより『人』としてみてくれる。
『室内』の編集部は私がほめなくても、そとでほめられる。

女性】 いえ、今回は山本さんご自身が、
ほめて下さる約束でした。

山本】 そうでしたか。・・・・(p160~161)


この章は、切実だったり、なかったり。
「室内」編集部の内幕に触れたりして、読み過ごせず、
そういう意味の愉しみがありました。ついつい引用が
長くなってしまいそうなので、ここまで(笑)。


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ベテラン記者たちの定年。

2018-07-03 | 短文紹介
日下公人氏の雑誌『WILL』でのコラムがいいなあ。
けれど、それが単行本になると、買うかどうかと、
躊躇(ちゅうちょ)してしまいます(笑)。

改めて、古雑誌を読み返せばいいわけで、
何も、新刊本を買う必要もないなあ。
などと、ついつい愚考しておりました。
そういえばm、昨日のブログの言葉を思い出します。
『人は本には金を惜しむ』(笑)。

そうして、躊躇しているうちに買わず仕舞い。
それが、もう古本で登場している。
はい。安いので思わず買いました。
それが、昨日届く。

日下公人著「ついに日本繁栄の時代がやって来た」(WAC)。
その最後にはこうあります。

「本書は月刊誌『WILL』に連載中
(2013年1月号~2017年2月号)のコラムを
一部改題加筆して構成したものです。」

この本の最初の方を引用して、
果たして、言葉が古くなっているかどうか、
ちょっと、判断していただこうと思います(笑)。


「マスコミが取り上げるテーマは、
だんだんスケールが小さくなってきた。
消費税でもTPPでも、ともかく生活への影響はどうかを
論じないと読者からの注目が集まらないという思い込みが
新聞社やテレビ局の社内に広がってもう二十年も経った
・・・・さらに悪いことにこの十年、
現場密着や現場取材を心がけていたベテラン記者たちが
どんどん定年で辞めている。
結果はマスコミ報道の空洞化である。
大局や現実を論ずる記者は消えて、
その代わりに登場したのは何と『外注化』である。・・

・・・・・・・・・
あたかも、地方新聞が通信社から買ってきたもので
東京ニュースやワシントンニュースを済ませているのと同じである。
なかには解説や社説まで買ったもので済ませる地方紙があって、
そうなると独自に書いているのは地元の小学校のイベントか、
県庁からの発表ものだけになる。

『そんなことでいいのですか』と地元情報を独占する
県紙の社長に訊くと、『それでもわが社には知事や
市長を落選させる力があるのです』と胸を張る。
その恫喝が県庁からの取材力にもなっているらしいが、
そもそも県庁が県内のことを全部知っているわけではない。

『そんなことでは、いずれ子供の運動会と高齢者の
死亡記事ばかりの新聞になりますよ』と警告したのは
もう二十年も前のことで、ホントにそうなってからは
気の毒で何も言えない(ヒラリーの落選を見落としたのも
四大メディアと言われる外電に頼って独自の観察をして
なかったためだと今なら分かる。頼らなかったのは藤井厳喜氏)。

いまは全国紙もそうなってきた。たとえば
『世界のトップを走る日本の姿を外国に教える記事』とか、
『日本ならではの主張』とかは安倍首相一人の活躍に任せて、
自分は相変わらずの首相批判。その結果は販売部数の減少だと思うが、
その辺の事情についての記事は書けないのか、書かないのか、
国民には分からない。・・・・・」(~p20)


はい。
「その辺の事情についての記事は
書けないのか、書かないのか、国民には分からない。」

「国民には分からない」ことを、教えてくれるコラムがあり、
それを毎月読める幸せに、あらためて感謝しております。
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地震の話はね、聞きたくないんです。

2018-07-02 | 地震
職人を読みたくって、何気なく
山本夏彦著「『室内』40年」(文藝春秋)を
本棚から取り出す。

山本夏彦のコラムは、以前に
「諸君!」で知ってから、文藝春秋でも読み、
分からない癖して、やみつきになっておりました。

その流れで「『室内』40年」も単行本を
買ってあったのですが、何かコラムとは
毛色が違うので、読まずにそのままでした。
それが無事、読み頃を迎えたようです(笑)。


ちなみに、山本夏彦氏は雑誌「室内」の編集長。
この「『室内』40年」では
自分とこの女性編集者に質問させて、
それに答えてゆくという語り物です。
雑誌の歴史ということで、堰を切ったように流れ出る。
まるで、黒柳徹子さんがペラペラと喋ってゆくように、
くるくる話題がかわってゆき、さて、何を話していたのか
本人も、そして読者もわからなくなってくると、
女性編集者が忘れた頃に、舵をとるという対話形式。


わたしは、まだ半分くらいしか読み進めていないのですが、
さて、もう最初の方は、何が語られていたのかと忘れてる。


たとえば、『人は本には金を惜しむ』(p34)
なんて言葉がポンとある。

これに対しての社長と編集者の会話

――― 今でも感心したから『室内』の記事コピーさせてくれって
言う人がいます。

山本】 いるいる。減ったけれどまだいる。

――― 黙ってコピーするならまだいいけれど、
電話で得意そうに言う人がいる。
コピーして皆で読ませて頂きましたって。

山本】 まるごとコピーしたら、買うより高くつくはずですよ。
コピーは会社のものだから、タダだと思うなら卑しいって
そう書いといてよ。カゲでやるんならいい。電話かけてくる。
『文藝春秋』に出ているから値打があるんでね、
そこだけコピーしたら値打は半減する。
『室内』に出てても値打がないっておっしゃるんですか。

――― そう電話で言ったんですか。

山本】一度はね。大会社の課長だか知らないが、
それは一箇の失礼ではないかと言っても分からない。
それでもコピーしたいんなら、黙って勝手におやんなさい。
(~p35)


こんな話題を振りまきながら、雑誌『室内』の歴史が
語られてゆくのですが、ちょうど、私には読み頃(笑)。


そういえば、地震について
語られている箇所があるので、
せっかくですから、こちらも引用。


――― 清水(幾太郎)さんが近く大地震が来るぞ
と説いているのをご存じだったんですね。

山本】 ああ聞いていた。けれども地震は票にならない。
秦野章が地震は票になると誤解して、東京都知事選を
美濃部亮吉と争った。そして失敗した。
地震の話はね聞きたくないんです。
いずれはあるに決まってるんだから。
当時は六十年に一度はあると信じられていた。・・・

――― 地震は票にならないっていうのは
どういうことですか。

山本】 地震で壊滅するのはいつも本所深川です。
次もそうに決まっているから、そこへ行って
選挙演説したんです。ところが誰も聞いてくれない。
地震の話は聞きたくない、あれは天災だ、運だ、
猫の額みたいな、あんな『火よけ地』で助かる
はずがないと知っているから耳をかさない。

――― 今度の阪神大震災で関心が高まってます。

山本】・・・・・・
でもねえ・・・建築雑誌は地震をとりあげない。
見ててごらん地震の特集をするかしないか。
日建設計の林昌二さんに『JIA』(新日本建築協会が
出す月刊の機関誌)で扱いますかって聞いたら、
扱わないでしょう、って言ってました。
なぜ扱わないかって聞いたら専門家として
やろうとするからでしょうと答えた。
専門家ならいいかげんなことはできない、
データが揃うのを待っていたら
何年かかるかわかりません。
揃う頃にはもう地震のことなんか忘れている。
(~p45)


そういえば、山本夏彦対談集の
「浮き世のことは笑うよりほかなし」(講談社)。
そこに、清水幾太郎氏との対談がありました。
題して
「誰も聞いてくれない地震の話」。

こちらも、本棚から取り出して、
もう一度、読んでみなくっちゃ。

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足を引っ張ってはならない。

2018-07-01 | 好き嫌い
今月号の雑誌WILL8月号は楽しい。

ひとつ引用。
金美齢さんの、女性の視点がひかる。
題して「正統が片隅に追いやられるご時世」


まずは、最後の方を引用。

「いま、日本の首相が世界のどこへ行っても
センターを張っている。こんなこと、
以前は考えられなかった。
モリカケのような些末な問題で、
国家の救世主の足を引っ張ってはならない。
日本に必要なものは何か、
誰を政治家に選ぶべきか、
そして日本をどんな国にしたいか・・・
国会で議論すべきことは他にもたくさんあるのだから。

日本人に見る目がないからモリカケで盛り上がる。
そして見る目がない人に限って文句が多い。」


金美齢さんの文の最後はというと、

「・・・でも、劣情を扇動するばかりでは、
決して世の中は良くならない。今こそ、
日本のために頑張っている政治家にエールを送ろう。」
(p185)


うん。いいね。
麻生太郎イジメについて、金美齢さんは

「ところで、今の政治家は、ポリティカル・コレクトネスを
気にしているから本音を喋れない。でもこの世の中には、
誰も言いたがらないけれど、誰かが言わなければならないこと
がある。十年ほど前、麻生さんが医療保険について
『たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の
金をなんで私が払うんだ』と発言し、非難を浴びた。
だが、それは誰しも思っていたことではないか。

こんな窮屈な時代だからこそ、正直にモノが言える
政治家が必要なのだ。見る目がない日本のメディアは、
トランプが大統領選挙に勝利するなどとは
夢にも思っていなかった。
私は間違いなく彼が勝つだろうと思っていた。」(p181)

「麻生さんは『漢字が読めない』などと茶化される。
でも、物事を深く理解していなければ、
本質を言い当てることはできない。
難しい理屈をこね、冗長に話せばいいと
思っている政治家は見習ってほしい。」

「・・麻生さんはユーモアと遊び心に溢れている。
数年前、国連でスピーチをしている途中、
自動翻訳機が故障するハプニングに見舞われた。
彼がすかさず『メイド・イン・ジャパンじゃないから
こうなるんだ』と言うと、会場は笑いと拍手に包まれた。
ユーモアに溢れた政治家を、
私たちは育てていかなければならない。」(p182)

雑誌WILL8月号には
北村晴男さんも
「我、断固麻生太郎を弁護する」とあり、
どちらも、
いまだ『茶化す』揚げ足取り思考に凝り固まっている方には、
お薦めの良薬となっておりました。


梅雨明けの日差しの中、
ジメジメ揚げ足取りのブログを読んだ後に、
WILL8月号を読むと、ス~ッとします(笑)。

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