先日の甲斐の黄花探しの記事には実は続きがあるのだ。
時間は既に午後4時。9月に入ってすっかり日が短くなり、そろそろ下山しないと危ない時間になってきた。尾根に取り着くために支脈の小沢の土手を登っている時、沢の中の岩壁にホトトギスらしき葉が付いているのが目に留まる。先端に黄色いものがぶら下がっているように見えるがまさかそんなはずは・・・目に入った汗を拭いてもう一度良く見ると・・・居た!!これこそが探し求めていた甲斐の黄花のホトトギスではないか!最後の最後にドラマが待っていた。

岩壁から垂れ下がっていた黄色い花

これこそが探し求めていた花、甲斐の黄花のホトトギス。

高い場所から垂れ下がっているものもある。
靴にヤマヒルが付いているのはわかっていたが、そんなことはもうどうでも良かった。この花に出会えたこと、そしてまだこの山域に生き残っていてくれたことが嬉しくてたまらなかった。

甲斐の黄花が咲いていた岩場。

数はきわめて少ない。駿河や相模に比べてひとまわり小さいように見える。

ひとまずは出会えて良かった。
こうしてまず第一の課題、この花がまだ存在しているということは確認できた。あとはどの範囲に分布しているのか、どの程度の数があるのか、柵の設置などの保護の必要があるのかどうか等、調査すべき課題が山積みである。もう少し先のところまで調査したかったのだが今回はタイムアップ、存在を確認しただけで下山となってしまったが、大収穫であったことは間違い無い。
そもそもこの花の存在を知ったのは「コブシの花の咲くころは」という著名なブログを書かれているサクラスミレさんという方からのコメントに始まる。この黄花は富士川から西の領域には存在しないと云われていたのだが、今から30数年前に富士川より西の山域でこの黄花を発見し、横浜のローカル新聞で取り上げられたことでその存在が明らかになった。ネット上でこの花が一時売買されたり、展示会で陳列されたことがあったのも事実である。しかし存在していたことは事実だがその後はほとんどその存在は確認されておらず、どこにあるのかも全くわからない幻の花となってしまっていた。偶然にもその花が存在していたという川の名前を知ることとなり、今年になってから本格的に調査を始めることとなった。支脈がたくさんある川だけに調査には膨大な時間と労力を費やすことは覚悟の上だったが、まずこの花が本当に残っているのかということが一番の心配だった。なにせこの花に関しての記述はほとんど見当たらず、名前もはっきりとは定められているわけではなく、便宜的に「甲斐」の名が付いているだけの花なのだ。まずは残っているかどうか、残っているならば現在の環境はどうなのか?手放しでこれからも咲き続けてくれる状態にあるのかどうか?分布と数はどうなのか?など、花は出会うだけではなくて今後その花がどうなって行くのかを見極めることも重要な課題であるとここ数年感じるようになってきた。今回はまだその入り口にようやくたどり着いたに過ぎないと思っている。
時間は既に午後4時。9月に入ってすっかり日が短くなり、そろそろ下山しないと危ない時間になってきた。尾根に取り着くために支脈の小沢の土手を登っている時、沢の中の岩壁にホトトギスらしき葉が付いているのが目に留まる。先端に黄色いものがぶら下がっているように見えるがまさかそんなはずは・・・目に入った汗を拭いてもう一度良く見ると・・・居た!!これこそが探し求めていた甲斐の黄花のホトトギスではないか!最後の最後にドラマが待っていた。

岩壁から垂れ下がっていた黄色い花

これこそが探し求めていた花、甲斐の黄花のホトトギス。

高い場所から垂れ下がっているものもある。
靴にヤマヒルが付いているのはわかっていたが、そんなことはもうどうでも良かった。この花に出会えたこと、そしてまだこの山域に生き残っていてくれたことが嬉しくてたまらなかった。

甲斐の黄花が咲いていた岩場。

数はきわめて少ない。駿河や相模に比べてひとまわり小さいように見える。

ひとまずは出会えて良かった。
こうしてまず第一の課題、この花がまだ存在しているということは確認できた。あとはどの範囲に分布しているのか、どの程度の数があるのか、柵の設置などの保護の必要があるのかどうか等、調査すべき課題が山積みである。もう少し先のところまで調査したかったのだが今回はタイムアップ、存在を確認しただけで下山となってしまったが、大収穫であったことは間違い無い。
そもそもこの花の存在を知ったのは「コブシの花の咲くころは」という著名なブログを書かれているサクラスミレさんという方からのコメントに始まる。この黄花は富士川から西の領域には存在しないと云われていたのだが、今から30数年前に富士川より西の山域でこの黄花を発見し、横浜のローカル新聞で取り上げられたことでその存在が明らかになった。ネット上でこの花が一時売買されたり、展示会で陳列されたことがあったのも事実である。しかし存在していたことは事実だがその後はほとんどその存在は確認されておらず、どこにあるのかも全くわからない幻の花となってしまっていた。偶然にもその花が存在していたという川の名前を知ることとなり、今年になってから本格的に調査を始めることとなった。支脈がたくさんある川だけに調査には膨大な時間と労力を費やすことは覚悟の上だったが、まずこの花が本当に残っているのかということが一番の心配だった。なにせこの花に関しての記述はほとんど見当たらず、名前もはっきりとは定められているわけではなく、便宜的に「甲斐」の名が付いているだけの花なのだ。まずは残っているかどうか、残っているならば現在の環境はどうなのか?手放しでこれからも咲き続けてくれる状態にあるのかどうか?分布と数はどうなのか?など、花は出会うだけではなくて今後その花がどうなって行くのかを見極めることも重要な課題であるとここ数年感じるようになってきた。今回はまだその入り口にようやくたどり着いたに過ぎないと思っている。