後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

瀬音ゆかしき 杜の都 を思い出す川の風景

2008年09月03日 | 写真

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筆者は1936年、仙台の生まれ。24歳の夏まで、その多感な少年時代、青年時代を過ごした。

当時は、まだまだ生活が貧しく、苦しい思いをした。広瀬川の瀬の上を彷徨し、わけも無く寂寥感をあじわっていた。昔は青春とは悲しく、苦しいものだと本で読んだので。寂しくなければ青春ではないと思い込んでいた愚かさが懐かしい。

8月26日、飯田市のそばの天竜川の川べりへ下りて行った。瀬音を聞きながら仙台の広瀬川をさまよった頃のことを思い出す。

全国に、故郷の川の瀬音と、わけもなく悲しい少年の頃の思い出をもっている方々も多いかも知れない。そんなことを考えつつ、青葉城恋歌をお送りします。

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青葉城恋歌、星間船一作詞・さとう宗幸作曲(出典:http://www.geocities.jp/tabibito324/page045.html

広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬(はやせ)躍(おど)る光に 揺れていた君の瞳
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音(せおと)ゆかしき 杜(もり)の都
あの人は もういない

七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空輝く星に 願いをこめた君の囁(ささや)き
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない

青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
樹(こ)かげこぼれる灯(ともしび)に ぬれていた君の頬
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 通りの角(かど)
吹く風やさしき 杜の都
あの人は もういない

時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音(せおと)ゆかしき 杜(もり)の都
あの人は もういない

                        (終わり)


「源氏物語と夕顔の花」

2008年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

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今年も、家人が庭に夕顔の花の苗を植え、毎日、水をかけ、世話をしている。夕方から夜になると、まだ咲かない、と独りブツブツ言っている。ある宵、「あ、咲いているわ!」という声が庭の方からする。ソオッと庭を見ると成程、白い大きな夕顔が夜目も鮮やかに咲いている。

それからは毎晩、2輪、4輪、と続けて咲く。朝に見ると花が萎れている。夜にだけ美しく咲くとは不思議な花と、いろいろ考えさせる。

何故、家人は毎夏、夕顔を咲かせているのだろう?いろいろ考えた末、源氏物語の中に夕顔の巻があることに思い当った。聞いてみると、「やっと気がついたの?」と言う。

そう言えば、家人の趣味は源氏物語。11,2歳の少女のころから愛読し、国文学を専攻し、結婚後は講読会を続け、現在も熱心に辞書を引いて勉強している。ときどきフッと、「源氏物語は原文で読まないと本当の素晴らしさが分からないのよ」と独り言のように話しかけてくる。読むたびに新しい感動を覚えるそうだ、、、

現代語訳の源氏物語が売れている。そんな風潮になにか悲しそうな様子。そんな趣味もあっても良いと思う。

写真は朝に撮った萎れている夕顔の花、下の左の写真は夜の様子、右は家人が大切にしている源氏物語の本の写真です。(終わり)

撮影日時:9月3日、 撮影者:Mrs.藤山