オハイオ州コロンバス市で1961年に結婚式の世話をしてくれた先生夫妻がしばらくして離婚した。アメリカには離婚の自由とそれを支える社会環境がある。
義理という固定観念で不幸な結婚生活を続行する必要は無い。そんな場合は気軽に離婚して、新しい人生を早く再挑戦すべきだ。これがアメリカ流の考えだ。
しかし、離婚で生ずる夫婦の精神的な負担、子供の犠牲、友人へ与える迷惑、生活費の混乱などを考えると、離婚の自由の代償は決して少なくない。
これらの負担や犠牲をなるべく小さくして離婚しやすく社会環境を整えているのがアメリカ社会である。
離婚に関係のなかった第三者は別れた夫や妻、そして子供達と以前と同じように付き合う。これが厳然たるアメリカ社会の規則である。
世話になった先生夫妻の離婚とそれに付随した混乱の場合を例にして筆者の体験で説明する。
簡単に言えば先生夫婦は離婚し、その相談に深入りした別の教授も離婚してしまった。先生自身は別の女性と結婚し、相談に深入りした教授は離婚して、先生の奥さんと再婚した。結果的に2組の再婚で、新しい夫婦が2組できたが、相談に乗った教授の奥さんが圏外へはじき飛ばされたわけである。理解できたでしょうか?
この騒動の後、オハイオを訪問した。第三者の友人が一部始終を話してくれた。「あす大学に行くが、恩師に会った時、何って言えばよいの」「何も言うな。一切知らなかったことにするのがよい」「恩師の前の奥さんには大変お世話になったので、家内からのお土産を持って来たが」「今晩、その奥さんの再婚先の家へ連れて行ってあげる。でも離婚のことは話題にするな」
次の日、恩師の昔の奥さんと再婚した教授が私の部屋へ来て、「先日は家内を訪問してくれてありがとう。東洋人は恩を忘れないと家内が喜んでいたよ」
@離婚後の付き合いの厳然たるルール
夫婦が別れた後は顔も見たくないというのが洋の東西にかかわらず本音であろう。しかし離婚の多いアメリカでは「離婚の自由」が「離婚後はお互い友人として付き合い、社会生活では離婚による差別はしない」という厳然たる規範に支えられている。
離婚した恩師はその後、学科主任になった。学科主任は毎年二回ぐらい教授と学生を自宅へ招くのが普通である。離婚した前の奥さんも招待しなければいけない。招待を受けたら出席するのが義務だ。パーテイーでは友人同士として明るく話し合う場面を見せなくてはいけない。
前の夫が学科主任になり、その部下になった現在の夫の教授のためにも晴れやかに談笑するつらさは察するに余りある。それが証拠に、その場面が済むとパーテイー半ばにもかかわらず引き揚げる。親しい第三者の教授に「前の奥さんがかわいそうだ。帰る時そば行って慰めてやりたいが」「やめなさい。帰るのに気が付かない振りをするのが親切というもの。それがアメリカのルールさ」
これで米国社会は健全性を保っている。
パーテイーをする家の前庭には大きな星条旗が風に揺れ、少しずつ遅れて到着する参加者を歓迎している。旗は何も言わないが、この家の主が「自由と平等の国アメリカ」を誇りにしていますというメッセージを言っている。
離婚が良いことだと筆者が主張しているのではない。義理と人情を越える悪い関係も起きるだろう。従って日本でも離婚は起きる。いやアメリカ流にもっと気軽に離婚すべきだと主張する人々も多い。しかし、離婚という現象を取り巻く社会環境をよりよくする努力を忘れてはいけない。
(終わり)