ブログでは写真や文章で構成される作品を不特定多数の人々へ公開している。本の出版と類似の文化活動である。
このブログの良い点は、なんと言っても、出版社や編集者抜きで誰でもどのような作品でも多くの人々へ公表出来ることにある。これはインターネット技術の発明によってはじめて可能になった。
自由と平等が民主主義の基本とするなら、それに直接的に貢献する新しい技術である。
ブログは個人の好みでいかように使っても自由である。日記や備忘録として自分だけのために書いても良い。同じ趣味の人だけの為に書いても良い。子育記録としても良い。グルメ情報の交換の目的でも良い。美しい花々や風景の写真集でも良い。あるいは商品の宣伝にも使える。
さらにブログでは読者と著者の意見の交換が自由に出来る。
ブログの内容は新聞や週刊誌、単行本、写真集、美術全集と同じに出来る。あるいは音楽や映像の提供も出来る。
最近よく見られる大型書店は、書籍のほかに音楽や映画のCDも売っている。
ブログは大型書店が売っているものと同じ内容のものを提供している。
書店に並べてあるのもは全てお金を払って購入しなければいけない。
しかし、ブログにある作品はそれを読んだり聴いたりしても全て無料である。
もう一つの特徴はブログはなんとなく短命で良い。読み捨てにしても良いような性質を持っている。一方、書籍は国会図書館で収集しているように、全てが永久保存される性質を有している。ブログと書籍を比較すると、短命と長寿命と言えるかも知れない。
これらの特徴が良いことか悪いことかは急には判断出来ません。でも、この辺にブログの有している陥穽があるのかも知れません。
ブログには何か陥穽があるという感じがします。でもそれ以上に自由と平等へ良い効果があると思います。
そんな詮索は別にして、楽しければ良いとも思います。
本でもブログでも、そしてそれを作っている人々も、いずれ土へ帰って行くのですから。
暇な老人の詰らないつぶやきです。(終わり)
@売れない本を出版する書店と編集者
オランダにエルスビーアという書店がある。数多くは売れない専門書を出版している書店である。1985年にその書店の編集者が訪ねてきて小生の研究をまとめて一つの専門書にして英語で出して下さいと言う。編集者はキーバートという工学博士であった。
「私の本は数多く売れませんよ」「売れなくて結構です。世界中で2000部売れれば良いのです。エルスビーアから出る専門書は欧米の主な大学の図書館で自動的に買い上げてくれるので心配しないで結構です」「書く本の内容はどうしますか?」「全く自由に書いて下さい」「ところで貴方は工学博士ですね?日本では工学博士をとると書店の編集者にはなりません。オランダでは普通のことですか?」「うちの書店は理工系の専門書を出しているので50人ほどの理工系の博士が編集者として働いています。編集者は種々の国々で出ている多くの学術雑誌に目を通して新しい分野を開拓している研究者を探します。」
彼は続ける、「研究者は忙しいのが普通なので本を書こうとしません。何度も訪問して書きたくなるように説得したり、内容のまとめ方の相談をします」「なるほどそれで理工系の博士が必要なのですね」「良質な専門書を出版するには陰で働く人々が必要です。本の質は著者と編集者の協力と努力で出来るのです」「日本の理工系の出版社には無い発想ですね」
キーバート氏の依頼で書いた固体電気化学に関する本が出版されたのは1988年であった。それから毎年律儀に売り上げ冊数の報告と印税を送ってくる。なるほど売れない本である。出版後10年間で1000部くらいしか売れない。しかし多くの国の大学図書館で買い上げてくれたそうだ。しばらく後で自分で読み返してみた。売れないのは内容が悪かったせいもあると理解できる。このようなリスクを背負った出版社へ一生感謝している。
欧米で良質の学術書が出版される理由は売上冊数が少なくても出版する書店が有ることと、高度な専門教育を受けた編集者が陰で努力していることであると理解できた。
少数の本しか売れないリスクを背負う出版社が欧米には存在することを深く考えるべきでは無かろうか。
日本の理工系の出版社は本の売り上げ数だけを考えて出版の可否を決めている。編集者は文科系の大学を出た女性が多い。決して理工系の博士を使っていない。
日本の科学は世界的レベルと自慢する人々も多い。しかし科学研究の基盤構造の貧弱さは十年一日のように変わっていないことに注意すべきと思う。(終わり)