◎ロシアの無神経さが中国人の植民地主義への怨念をかきたてる
中国の5000年の歴史で、西洋人に侵略され植民地になったことは歴史的大事件だ。その期間は清朝から1949年の共産国家としての独立までの約100年に及ぶ。
1981年に北京の大学へ集中講義に行った際、親しくなった教授から「1959年にソ連と中国が大喧嘩をした理由を知っていますか」と聞かれたことがある。
「日本の新聞では、イデオロギー路線の論争でソ連が絶交して出て行ったことになっている」と私が答えた。
この教授は苦笑いして「イデオロギー論議なんて高尚な話ではない。ソ連の空軍と海軍が中国全土の空港と港湾を自由に使い、すべての軍事作戦の指揮権をソ連に与えよと要求したからである。簡単に言うと、中国全土がソ連の植民地になるということだ」
「それは知らなかった」「毛沢東は断固拒絶した。ソ連は中国全土から引き揚げる時、無償供与した工業設備をネジ一本まで貨車に積んでシベリア鉄道で撤収した。私の大學でもすべての実験装置が持って行かれ、ガランとした建物だけが残った」
中国人はロシアが中国全土を植民地にしようしたという怨念を忘れない。
@日本が武漢、桂林まで武力占領したことを忘れてはいけない
中国人は面と向かって、日中戦争の話は絶対にしない。でも忘れてはいけない。
昭和12年から日本が一方的に始めた日中戦争で、蒋介石の中国軍を追い、武漢、桂林まで軍事占領した事実を忘れてはいけない。この戦争は8年間続いた。
中国は現在、経済発展の為に、中国全土の工業特区に、欧米や日本の企業の工場を誘致している。しかし、工業団地は周辺の貧しい農村とあまりにも違う。特区の恩恵にあずからない貧困農民には、工業特区がかつての外国租界と同じように見えるに違いない。
現在、中国は北京オリンピックの成功で国全体は良い雰囲気だという報道が多い。だからと言って日本人は、かつて中国を8年間ちかく武力占領したという事実を忘れてはいけないと思う。
1994年に河北省を訪問した。首都の保定市の工業特区を見学する。
東京のある会社が工場を作り大きな利潤を上げていた。水道関連設備を製作している会社で日本の工場を完全にたたんで中国へ移転したという。そんなリスクの大きいことをした社長がしみじみと言っていた、「日本の武力占領の時代を忘れないようにしている限り、中国では会社が利潤をあげられる」
失敗した会社は、その社長や幹部が過去の武力占領を忘れていたからだと言う。真偽のほどは分からない。しかし外国と付き合う時、歴史抜きで付き合うと必ず失敗するのは本当のような気がする。
日本の若い人々は関係ないと思うだろうが、被害を受けた方は決して忘れない。それが人間のさがだからである。倫理ではなく、利潤を上げるためにも忘れないほうが良い。忘れないことと、卑屈になることは別だ。(続く)