後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ローマ法王、ヨハネ・パウロII世の謝罪

2008年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

ヨハネ・パウロII世は1920年にポーランドで生まれ2005年、85歳で死んだ。最後の26年間はローマ法王の座についていた。われわれカトリック信者の大親分である。外国ではパパ様と呼んでいるらしいが日本人の小生にとっては親父、親分いや大親分のほうがシックリする。1981年には日本にも来て昭和天皇に会い、広島や長崎や東京で大規模なミサを開催した。完璧な発音の日本語で話したという。ただし発音だけで、意味は分からないと自分でも言っていた。この法王は歴代の法王のなかでも一番、(小生にとってはの話だが)一番素晴らしいことをしてくれた。

それはカトリック教会の犯した間違いを拾い上げ一々心から謝罪したことである。列挙すると、

(1)ガレリオ裁判での間違いを認め、ガレリオへ謝罪した。

(2)フィリッピン、中南米に対して剣と武力を用いてキリスト教を広めた罪を謝罪した。 また十字軍の戦いも武力を用いた罪を認め謝罪した。

(3)第二次対戦中ナチスドイツの占領地での大量虐殺へ対してキリスト教が十分な抵抗をしなかったことを認め謝罪した。

(4)ドイツのユダヤ人への差別虐殺の責任の一端はキリスト教会にもあると認め謝罪した。

仏教国の日本に住んでいると、よくキリスト教は排他的で武力を用いて宣教すると非難されます。しかしキリスト教の教えにはそんな指導は一切有りません。たまたま、キリスト教が広まった地域の民族が、主に狩猟民族で他民族に対して攻撃的な固有の文化を持っていたからと推察しています。

例えば日本人の代表的なカトリック信者の高山右近の場合を考えて見ましょう。彼は武力で成り上がってきた猛々しい戦国武将です。終いには高槻城を有する大名になりました。しかし一旦カトリックを信じた以上節を曲げません。秀吉は、「棄教しなければフィリッピンへ追放する」 と脅かします。

権力も財産も捨てて、彼は悠然と帆船に乗り込みフィリッピンへ行きます。武力で秀吉へ抵抗して討ち死にするのが武士道でしょう。それをしないで平和的な道を選びました。フィリピンでは大歓迎されたようですが、一年後に病死したと伝わっています。

欧米人は絶対に謝らない。だから日本人も外国へいったら謝ってはいけない。と、よく言われます。しかしパウロ2世はこんなに謝っているでは有りませんか?

(終わり)尚、以上は文芸春秋、2008年3月号の中のpp320-327のヨゼフ・ピタウ著「ローマ法王と昭和天皇の出会い」という記事かた引用しました。この記事はピタウさんの活き活きした話し振りが伝わって来ますので、ご一読をお勧めいたします。


夫婦の義理(4)義理で妻が白内障になる

2008年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

002 義理と人情でなんとか離婚もせずに47年。しかし、「夫婦の義理」のお陰でお互いに大変な思いをする。今日は妻が目の白内障の手術のため入院している。明日帰る予定だ。

なぜ妻が白内障になったか?小生が運転する車に一緒に乗るとき、必ず隣の席に座るのが「夫婦の義理」と47年間信じ込んでいたからである。小生は車の運転が好きで、よく家内と一緒にドライブをした。

そもそも1961年、オハイオ州で結婚式を挙げ、新婚生活が始めたのがいけない。オハイオでは夫婦が車に乗るときは必ず前席に密着して座る習慣である。当時は前席は3人座れる幅のベンチシート。奥さんは前列、真ん中の席に、夫に密着して座る習慣であった。離れて座れば離婚寸前と見られる。冗談のような本当の話だ。

妻は混れっけ無しの純粋な日本人だ。しかし、郷に入れば、郷に従えを実行する癖がある。前の席に座るのが夫婦の義理と思い込み、47年続いている。

前の左席に座るので左目が一番まぶしい強烈な光や紫外線を浴びる。フロントグラスからも強い光が右目も襲う。後ろの席に座るように何度忠告してもカタクナに前に座る。妻の座を誰かに奪われるとでも思っているような勢いで乗り込んでくる。従って左目から白内障になり、今年の3月に手術をした。順調に直ったので、6ケ月後の今日、右目も手術するために入院した。

手術をする眼科医によると左右の目を比較すると車のどの席に座って来たか分かると言う。この話は直接聞いたので本当と思っている。

妻が前席に座ると、その「夫婦の義理」を尊重しようとする態度に頭が下がり、有り難いと思う。しかし、冷房や暖房の好みが全く異なる。夏は冷やしすぎ、冬は暖房し過ぎが小生の好み。妻は反対。したがって争いになる。後ろの席に静かに座ってくれた方がよっぽど有り難い。でもそれは拒絶される。それが47年続いた。

高齢になっても男性は白内障になりにくい。どちらかと言うと女性のほうが多い。

世の中のご夫婦に声を大にして申し上げたい。「奥さんは後ろの席に静かに座っていること。そうしないと白内障の手術が待ってますよ!」

この記事、少しは役に立ったでしょうか?   (終わり)


いつまでも新鮮さを失わないブログを作る方法(補足)

2008年09月30日 | うんちく・小ネタ

9月28日掲載記事で、「いつまでも新鮮さを失わないブログを作る方法」という題で、寿命の長いブログの作り方を書きました。もちろん自分で考えた、まったく個人的な意見です。

それを読まれた方々が寿命の長いものが、短いブログより価値があると筆者が主張していると誤解された恐れを感じています。

価値判断は一切していません。例えば新鮮な生魚の賞味期限は短いです。それを燻製にしたり缶詰めにすればいつまでも食べれます。でも、活きの良いサシミはおいしいです。新鮮な野菜も健康のために重要な食物です。

このように寿命の短いブログも長いブログも両方あるからブログの世界が面白くなるのです。筆者は寿命の長短で価値の大小は決まらないと信じています。

このことを明解に書かなかったので誤解が生じたと思います。反省しています。子育て日記は他の子育て中の母親にとっては重要なブログになります。時事批判も、マスコミの視点に無い立場からする限り、絶大な価値があります。マスコミの毒を中和するという重要な効果が期待でからです。誰も規制しない本音の世界がブログの素晴らしさです。

前回の記事は舌足らずで誤解を生じたと思い、此処に補足し、ついでに鬼家雅雄さんからのコメントをご紹介します。

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おはようございます。

藤山さんの、ブログの書き方について学びました。
理想を追いかける姿に感服してはいますが、この記事を読んで変な感情を持って読まれた方も多いと思います。私はホームページは書籍、ブログは新聞と解釈しています。
トップページだけは読まれる場合はありますが、ブログは古新聞のように過去に遡って読まれることは稀だと思います。

子供の成長など、日記のように書いても書いた者にとっては立派なブログだと思っています。
ニュースなど時事の記事も後から読めば、あの当時はこんな事件もあったのかと懐かしくなることもあるでしょう。

どのようなブログにするかは個人の自由だと思っています。
そのブログの評価は読者が決めることだと思います。(アクセス数が読者ではありません)私のブログやホームページは行政批判、経済、戦犯なども書いております。投稿 : 鬼家(オニイエ)雅雄 | 2008/09/28 07:47

鬼家雅雄さん、コメント有難う御座います。
ブログは個人の日記のような目的で使っている方が多いですね。
それが悪いと主張しているわけでは有りません。それも結構ですし、素晴らしいことですね。
どのような姿勢で作ろうが個人の自由です。
ただ自分はこのような考えで作っています、ということを書いた個人的な意見です。雅雄さんからのコメントへ賛成される方が多いとおもいます。
バランスが取れてよかったと感謝しています。
有難う御座いました。
草々、藤山杜人: 投稿 藤山杜人 | 2008/09/28 08:58