後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

教会のミサでー「徴税人や娼婦たち」と親鸞の教え

2008年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日なのでミサへ行きました。以前に「気楽に教会へ行ってみよう!」という記事を掲載しました。そこでキリスト教のことを知らない「単なる見物人」になったつもりで見学することにしました。

入り口の机の上には聖歌集や色々なパンフレットが有りました。面倒くさいので「聖書と典礼」という数ページのパンフレットだけを取って入りました。内容はミサで読む、旧約聖書や新約聖書のある部分が抜き出してあります。

ミサが始まり、信者や司祭様が順番に読んで行きます。最後のマタイの福音書にある下のような部分を読んでいました。

「---はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちのの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、(洗者)ヨハネが来て義の(正しい)道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。---」

(徴税人は税務署の役人でなく、その徴税の下請けをし、私腹をこやした人々で、江戸時代の十手持ちが居酒屋や小売店を廻って小遣い銭をせびって嫌がられていたのに似ている。)

聞きながら、親鸞のことを思い出します。彼は言う、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

この世の卑しい職業や人間の判断する悪行はお釈迦様から見ると問題ではない。信心の深さが問題なのだという解釈も出来る。(親鸞の他力本願の考えはもっと深いようだ)

今日のミサはキリスト教と仏教の類似をいろいろ考え、またその根本的な相違を考えながら出席してきた。

キリスト教をしらない人々が見物のためにミサへ入りこんだら、聖書の朗読の文章を見て、仏教との類似をいろいろ考えると飽きない。でも、飽きたら静かに出てくれば良いのだ。ミサの式次第を神経質に追いかけたり、聖歌を一緒に歌おうなどと気を遣わない。そうするとミサが楽しくなる。

筆者はそのようにしてキリスト教へ近づいて行った。真面目に教義の勉強会などへあまり出席したことがない。気楽になることが一番で、イエス様もそれをお望みのことと信じている。(終わり)


外国体験のいろいろ(68)絶対に銃を手離さないアメリカ人

2008年09月28日 | 旅行記

@友人の娘が彼女の恋人に射殺された

個人が銃を持つ権利は憲法で決まっていると、アメリカ人はよく言う。真偽のほどは分からないが、そのように解釈される文章があるのだろう。

それにしても、あまりにも痛ましい事件だった。親しい友人の娘のことなので、心が痛む。しかし、アメリカ社会が銃を持つ自由で成立していることを理解するために書くことにした。

 オハイオに住んでいた1960年、1961年に良く遊びに来てくれたアメリカ人一家がいた。その可愛い娘が十年後に恋人の男性に射殺された。それも自宅の庭の闇の中で。男は永い付き合いで家族同様に娘の自宅に出入りしていた。銃声に、ある予感を持った父親が引き出しからピストルを取り出して飛び出していく。娘が裏庭の芝生の上に倒れている。男の姿は無い。娘が18歳になった年の夏のことだったそうである。

 それから、また10年がたった1980年にその一家の自宅に泊まる。20年前に、その娘のかわいい姿をオハイオで何度も見ているので、お悔やみの言葉を言う。しかし慰める言葉も無い。子供が親よりも先に死ぬ。それも、いずれは結婚してくれると信頼していた青年に殺される。あまりにも痛ましい。。

 「日本ではピストルの規制が厳しく、個人がピストルを持つことは無い。アメリカも日本のようにすればこんな痛ましい事件は起きなかった」

 アメリカ人の父親はおもむろに引き出しからピストルを取り出して、私に持たせ、「よく見ろ」と言う。

 「日本のことは知らないが、アメリカ社会の自由と平等はピストルを持つ自由で成り立っている。娘を殺した男は絶対に許せない。しかし、それだからと言ってアメリカ社会の銃器保持の自由を廃止するという論理が理解できない」

 「物騒なものが手元にあるから使う人が出るのでは?」

 「危険な道具を使うか否かは人間が決めること。道具が人間に使えと命令するはずが無い」

 「でもアメリカでは銃を使った犯罪が多すぎませんか?」

 「このピストルは一度も使ったことは無い。使わなくてすむように賢明な生活をすれば良いのです。銃を使用した犯罪は自由社会の代償であり、仕方のないことです」

 「銃使用の犯罪は自由社会の代償ですか!」

 娘を射殺した男は逮捕をまぬかれ、遠くの州へ逃げて行ったそうである。その数年後、男は外国から両親へ謝罪の手紙をくれたそうである。その後の消息は分からない。父親は絶対に許さないと悲しそうな顔で言う。そばで母親が涙をぬぐっている。

@軽すぎる日本のマスコミの報道姿勢

アメリカの学校などでしばしば銃の乱射事件が起き、日本の新聞では「個人の銃保持を禁止すれば良い」と同じ主張を無責任に繰り返している。虚しい空念仏を繰り返しているだけである。アメリカ人の本音を調べたり、突っ込んだ検証をしようとしないマスコミの軽さに毎回呆れている。

マスコミこそ何故、アメリカで銃規制が出来ないか、一歩でも踏み込んだ調査をして報道すべきではないだろうか?

銃に頼るアメリカ人も愚かと言えば愚かである。でもそれを笑う資格が他国の人々には有るのだろうか?(続く)