前回、8月30日の掲載記事、外国体験のいろいろ(62)で書いた通り、日本の各地にある10ケ所の液晶製造工場の環境汚染の調査のために、アメリカ人のソコラッティ教授と助手のケンと筆者の3人で旅をした。
前回ではソコラッティ教授の話をしたが、今回はケンから聞いた実話を紹介する。
ケンは30歳位の長身の男性。栗色の髪で、見たところは、いかにも意気盛んなアメリカ人に見えるが、性格が優しくて自己主張が少ない。アメリカ人らしい押しつけがましさが無い。話し方も静かで、訪問した工場では控えめな態度をとっていた。
工場訪問後のある夜にビールを一緒に飲んだ。
彼はアルコール抜きのビールを飲みながら、小生とゆっくりと話す。
飲めない理由は、腎臓の臓器移植を受けたためという。アメリカでは健康体でもボランティア精神で臓器を提供し、他人を救う人々が多いという。
臓器を寄付した人々と移植を受けた人々の懇親のために、毎年一回アメリカ各地でパーティが開催されるという。勿論、臓器移植のことを個人的に秘密にしたい人は参加しない。
日本のマスコミは、「移植を許す法律が無いために手術が出来ない」と報じている。
その報道は間違っているのだ。健康体で元気な人々が肉親以外の他人へ進んで臓器を寄付するという文化が無いから手術が出来ないのだ。日本の報道機関が外国の文化を正しく伝えない。今に始まったことでは無いが残念な事である。
ケンが言うには、帰国後すぐに臓器を提供してくれた人々と受けた人々の懇親会があるという。簡単な立食パーティだそうだ。臓器を受けた人々が、提供してくれた人々へ直接感謝を述べる。提供した人々は受けた人々が健康で感謝しているのを見て嬉しいのだ。そのようなパーティを日本では聞いたことが無い。
日米の文化はこのように大きな違いがある。どちらが良い文化であろうか?
御読みになったそれぞれの個人の好みでお考え頂ければ、それで良い。文化には優劣などは無い。それがこのブログの筆者の基本的な信念である。
写真の出典は英語で, Organ Transplantというキーワードで検索し、
Wikipedia の説明文の挿絵です。古いヨーロッパの絵で、壊疽でだめになった足を切り離し、黒人の足を継なごうとしています。当時の医学では生体拒絶反応の解決法が出来ていなかったので、手術は成功しなたっかと想像できます。しかし西洋医学では他人の体の一部を移植するという思想が連綿と続き、現在の臓器移植まで発展したのでしょう。
漢方薬を主にした東洋医学にもそのような考えがあったのかも知れませんが、寡聞にして聞いたことがありません。
出典のURLは、
wikipediahttp://en.wikipedia.org/wiki/Organ_transplant です。(続く)