(写真は大浦天主堂の内陣、出典:http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/ouracatc/index.html )
この随筆シリーズは肩の力を抜いて、気軽に楽しめる水彩画を描くように、あれこれ面白い話を書いて行きたいと思います。大上段に構えた議論は一切しない。身辺些事の中で、キリスト教や仏教や神道に関する面白いエピソードを取り上げて行くつもりです。
ところで、宗教とは関係ない話ですが、筆者は満州事変のころ生まれ、太平洋戦争の間に少年期を過ごしました。そんな事情で、心の奥底には欧米人へたいする対抗心がオリのように溜まっています。1988年から1990年にオハイオ州に住んでいたときは、良く同僚のアメリカ人とビールを飲み、政治、経済、宗教などの議論に口角泡をとばしました。まあ、日本の自慢もするわけです。
オハイオ・ホンダ工場が成功していたので、日本の車製造技術の話を得意そうにしました。でもすぐ反論され形勢が悪くなります。色々な話題の中で決定的に成功したのは、260年にわたる隠れキリシタンの話です。特に1865年、フランス人のプチジャン神父が、長崎の大浦に天主堂を建てたときの隠れキリシタンの出現の情景を話すと皆感動します。
「神父様、われわれは幕府の禁教に耐え、キリスト教信仰を260年間、捨てませんでした。いつかは海の向こうから神父様がもう一度やって来て天主堂を建ててくださると、世々代々信じてきました。それがこの大浦の天主堂なのですね」
日本人ならよく知っているこの話を欧米人は知らない。知らないくせに日本でキリスト教徒が少ないことを指摘する。そのことを、なんとなく尊敬できないような話ぶりをする。
しかし、1865年に大浦天主堂でプチジャン神父が体験したこの話をすると皆感動する。そんな例は欧米には無いという。いつも起きる反論や議論が起きない。
日本のことだけを自慢するのはあまり見上げたことではないが、何かいささか溜飲が下がった。(終わり)