後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

福島原発の炉心から毎日、毎日、漏れている放射性の微粒子は何処へ排出されているのでしょうか?

2011年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発の1号炉から3号炉の炉心圧力容器内へ毎日数百トンの水を注入して炉底にある核燃料の塊や粒子を冷却しています。

その数百トンの水は炉心から漏れて、出ています。その出方には2通りの出方があります。

(1)炉心の核燃料物質の大きな崩壊熱で、注入した水が沸騰し、水蒸気として炉心から、外へ吹き出す現象がまず一つです。

この時激しい沸騰で、強い放射能を持った微粒のウラン酸化物の粉末が水蒸気とともに噴き出します。勿論、セシウム137やヨウ素131も一緒に飛び出します。そして最後には建屋の上空へ放散されるのです。この現象は四六時中続くのです。

従って、福島県各地の放射線料は下の表に示すように何時まで経っても減少しません。

(2)もう一つは、炉心から強い放射能を持った水が流れ出ているのです。

毎日、3つの原発の炉心へ合計数百トンの水を注入しているのに、炉心の水位が上がりません。従って毎日、毎日、数百トンもの汚染水が炉心から流れ出て、原発建屋の地下から地中に沁み込み、その一部は海へと流れ出ているのです。

しかし幸いな事に、ウラン酸化物の微粒子を懸濁した汚染水が土に沁み込む時に、土の蘆過作用で放射能強さは随分と低下する筈です。

原発敷地の地下の土は酷く汚染されますが、幸いに海へはそれほど放射能が排出されないと想像出来ます。

さて上の(1)で空中へ毎日、毎日、放散される放射性物質の総重量は一日あたり何キログラム位になるのでしょうか?

また(2)の現象で毎日、毎日、炉心から流れ出る放射性物質の総重量は一日あたり何キログラム位になるのでしょうか?

核燃料の総量に比べると微々たる量に違いありません。しかしその事は炉心から何年も、何年も強い放射性物資が際限もなく漏れ続ける可能性があることを暗示しています。

3つの原発の炉心圧力容器と原子炉格納容器を密閉出来れば問題解決です。しかし強い放射線が放射している現場での作業は至難の技で、原発の密閉が成功するのは何時になるのか誰にも想像がつかないのです。勿論、密閉しながら冷却水の循環を絶対に止められませんから一層困難な作業になるのです。

何方か何か良い解決法をお教え下さいませんでしょうか?

ご参考までに4月1日、2日、3日、4日、5日、そして4月22日と5月12日の放射線量の測定値を下に示します。

東北、関東地方の放射線量の測定値の単位はマイクロ・シーベルト/hour です。そして太字は4月22日と5月12日の値です。

日本各地の正常値は0.02から0.06と考えられています。都市名の太字は正常値以上の場所です。

青森市0.026:0.027:0.027:0.026:0.026  0.026 0.027

盛岡市0.028:0.025:0.025:0.0250.025  0.023 0.024

仙台市0.093:0.085:0.080:0.077:0.081  0・073 0.074

福島市2.80:2.53:2.34:2.32:2.34       1.71 1.57 

会津若松市                              0.15

郡山市                                 1.38

飯館村                                 3.14

浪江町(赤宇木)                           19.0

いわき市0.62:0.60:0.55:0.55:0.50      0.28 0.23

山形市0.063:0.0.061:0.061:0.060:0.060 0・051 0.047

宇都宮市0.092:0.086:0.084:0.082:0.0800.065 0.061 

水戸市0.195:0.0.180:0.175:0.169:0.1630.122 0.101 

さいたま市0.080:0.075:0.073:0.071:0.0700.058 0.054

東京・新宿0.101:0.094:0.091:0.089:0・089.073 0.064 

市原市0.075:0.067:0.065:0.063:0.061 0.049 0.046 

長野市0.049:0.044:0.044:0.043:0.043  0.043 0.040

静岡市0.042:0.045:0.039:0.038:0.036  0.037 0.040

上の測定値の推移を見ると福島県各地は放射線量が高く、あまり減少が顕著でありません。毎日、毎日、水蒸気と共にセシウム137やヨウ素131が空中へ放散されているからと考えられます。

福島原発の完全密閉と循環冷却が一日でも早く成功するように心からお祈り申し上げます。過酷な作業に従事している方々のご健康をお祈り申し上げます。


やっぱり全ての核燃料が溶融・落下で原子炉の底が抜けていた!

2011年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

このような見出しは週刊誌的で品が無い上に正確な書き方ではありません。

昨日から1号炉の水位計を正しく設定し直して炉心圧力容器の中の水位を測定しました。その結果、炉心圧力容器には水が殆ど無く、底の部分に少ししか溜まっていない事が判明しました。

核燃料は全て露出してしまっていたので溶融し、炉底へと流れ下り、そこで水に冷やされて表面だけ固まっていると発表されたのです。これをもう少し分かり易く説明します。

Hu06a111 左の図面の真ん中に「原子炉圧力容器」が描いてあります。正常に水面が燃料棒の上まで上がっていますね。それが地震と水素爆発であちこちに割れ目が出来て、漏れてしまったのです。

自分の自然崩壊熱で燃料棒のウラン酸化物、UO2 が溶融し、全て底へ流れ下ってしまったのです。

しかし底には少量とはいえ水がたまっていたので表面が急冷やされ、ウラン酸化物の粉末や塊として存在する状態になったのです。

さてここからが私の推定による独自の解説です。

上の原子炉圧力容器の底をよくご覧ください。制御棒が3本が貫通して上の方に向かっていますね。実はこの制御棒が97本も貫通しているのです。その他に中性子計装管が34本も底を貫通しているのです。

原子炉圧力容器の壁と底は16cmもある鋼鉄製で、爆弾があたっても壊れないと言われています。しかし制御棒と中性子計装管の外側は数ミリ以下の薄い特殊鋼で覆われていると思われます。その被覆管は薄いが故にウラン酸化物の自然崩壊熱で簡単に溶解する筈です。そうするとボロンカーバイドで出来た制御棒と原子炉圧力容器の底との間に水が漏れる隙間が出来てしまいます。

ですから圧力容器に注入した水がドンドン漏れてしまうのです。この時、放射能の強いウラン酸化物の粉末も水と一緒に流れ出て、原子炉格納容器の底に沈殿します。幸いそこには水が張ってありますね。

しかしその格納容器にもあちこちに水漏れがあって水位が上がらないのです。実に困った状態です。始末におえない状態ですね。

一方、炉心で蒸発した水は水蒸気になって、核燃料の微細な粉末とともにあちこちの隙間から洩れ、最後には原子炉建屋の外へ放出され続けています。建屋から現在でも白い水蒸気がモクモクと上がっている写真は毎日のようにテレビに出ていますね。そのせいで福島県の放射線量はなかなか下がらいのです。

以上が昨日、福島原発1号炉の現状で解った事です。

1号炉で起きた事と同様な現象が2号炉と3号炉でも起きていると考えるのが最も合理的な仮定です。今までの東京電力の発表がいかに楽天的過ぎたかという事に驚愕している人々が多いと信じています。私も驚いています。(続く)


ひかるのさんの一周忌にあたりカトマンズの花々の写真をお供えします

2011年05月13日 | 写真

カトマンズに住んで居たひかるのさんは昨年の5月に東京厚生年金病院で肺ガンのために亡くなりました。まだ50歳代の若さでした。

一周忌にあたり、彼自身がカトマンズで2年前に撮影した花々の写真を再び掲載して、ご冥福をお祈りいたします。

ひかるのさん、この3枚の写真を見て、タイやインドやネパールに25年も住んでいた頃の事を思い出して下さい。忙しい日本の生活から離れた悠々たる人生を思い出して下さい。

ひかるのさんのブログから何度もこのように美しい写真をお借りいたしました。その都度やさしいい言葉で転載を許して下さった事を忘れません。

本当に有難う御座いました。お世話になりました。 藤山杜人

2009062211314622a 20090622113147d18

200906221134392fa1_2

・・・・ひかるのさんの花の説明文です・・・・・

家の近くまで帰ってくると、パン屋の屋根を覆うように ブーゲンビリヤの花が 圧倒するような赤で咲き誇っている。 これは 大した見ものである。 パン屋のパンの味以上に凄いぞ。 いっぺんに疲れが吹き飛んでしまった。(終わり)


肺ガンで若くして亡くなったマイフレの一周忌に彼を偲ぶ

2011年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

ひかるのさんとは2008年の春頃からのお付き合いでした。彼のバンコックやカトマンズで書いているブログに感動しました。メールを送り、彼の撮った情感豊かな写真や文章を何度も、このブログでご紹介してきました。

何故、私が彼の生き方に強く魅かれたのでしょうか?

彼はアジア各地の言葉を覚え、その文化を愛し、貧しい人々を大切にして生きて居たのです。そして、アジアの伝統的な草木染めの手織り布を蒐集し、時々、東京で展示会をしていました。

独身を通して、路上の孤児を一人育て上げました。彼の人生には金銭慾も出世欲もありません。一介の放浪者として誠実に生きて来たのです。

その彼と初めて会ったのは2年半前でした。日本へ帰ってきてインド刺繍とサリーの展示会をしたのです。展示会は2008年12月8日から神田、小川町で開催されました。

お客の居ない会場で長々と彼の来し方の話を聞きました。その後、2回も東京で「アジアの手織り布」の展示会を開きました。彼に会うのが楽しくて、毎回展示会へ行きました。

ところが2009年の暮れに急に肺ガンになり東京厚生年金病院に入院しました。2010年の1月下旬に家内とお見舞いに行った時が彼の元気な姿を見る最後になってしまったのです。抗癌剤の投与もむなしく2010年の5月に旅立ってしまったのです。まだ50歳を出たばかりの若々しいお姿を忘れられません。

あれからもう一年になりますが、時々、ひかるのさんを思い出して懐かしく思っています。

そこで以下に初めてお会いした時の記事を再び掲載します。

一周忌にあたり、彼のかぐわしい人間性を偲びつつ、冥福をお祈り致したいと思います。時の経つのは早いもので、もう一年が過ぎてしまいました。

======2008年12月8日の掲載記事========

何度か掲載しましたように今日から「インド刺繍の世界・展示会」が神田、小川町で始まりました。東南アジアに住み着いて人々の哀歓を描いたブログを作っている「ひかるの」さんにお会いし、お話を聞いてきました。まだ50歳前後のお若い男性で、心豊かな方でした。お顔は半分インド人のように見えます。展示してある刺繍やサリーは、天然繭を原料にした絹に細かな刺繍をした見事な作品です。素人ながら一目で全て超高級品と分かりました。聞くとインド各地の絹織物の市場を半日歩いて一番美しい刺繍布やサリーを1点しか買わないそうです。そのように厳選した絹織物なので触ってみると何故か心が深い満足感で満たされます。

デパートのマネキンが着ている高級婦人服のような作品です。そこで売ったら数十万円で売れそうなものばかりです。そんな売り場へ卸せば良いのではないでしょうかと言いました。ところが日本の女性は有名ブランドの服飾なら数十万円でも買うが、どんなに最高の品でもブランドの無いインドのものは買わないそうです。自分の美的感覚で選び、品質の良い、着心地の良い服を買うという文化は日本からは消えてしまったと、ひかるのさんが悲しそうに説明してくれました。

展示会にあるものは、どれも数万円から数十万円する絹織物です。天然染料を用い、手で一点一点刺繍した作品です。機械・動力を一切使わない手織りの製品のみだそうです。

会場を貸してくれた「T女史」も手織り文化の素晴らしさに取りつかれた女性で、一緒に現在の日本の生活様式の底の浅さを嘆いていました。

ひかるのさんの展示会では安物は一切売っていません。インドの最高の手織りの絹織物の良さを日本人へ伝えたがっているようです。売ってお金を儲けようという気が無いようです。生活費は心配していません。しかし職業は持っていません。ただ南アジアの人々が好きで住んでいるだけです。T女史と小生がそんな人生が理解出来なくで質問を続けます。きっとお金持ちの2代目で困らないのですか?そんな質問をT女史もしていましたが、ひかるのさんはニコニコ笑うばかりでした。

結論をいうと、理解を超えた素晴らしい人生を送っているらしいということです。お会いし話を聞くと何か幸福感につつまれて楽しくなります。小川町から明治大学の前の坂を登ってJRお茶の水駅まで歩いている間中、この心地良い幸福感が身を包んでくれました。

寒い午後でしたが、春のように暖かさを感じながら坂を登ってお茶の水へ上がってきました。(終わり) 下の写真の撮影日時:12月8日午後2時頃

018_21 0192