後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ロマンチックだった青春の花、マロニエの花の写真をどうぞ!

2011年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

戦後のある時期、フランスのシャンソンが流行り、マロニエの花咲くパリの街並みを憧れる人々が多くいました。そんな時代も遠い昔になりました。

先日、マロニエの花を見つけましたので写真をお送りします。

1970年にドイツに住んでいた頃はカスタニーエと呼んでいました。ドイツでもマロニエの並木道が多かったのを思い出しました。

日本では栃の木と言い、栃木県の県木になっています。栃の実をさらして渋を取除いたもので栃餅を作りますね。そんな事も思い出させる光景でした。多摩墓地で撮りました。

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今日の散歩・・・鎌倉街道、小野路と岩子山千手院

2011年05月20日 | 写真

鎌倉街道の大部分はそれ以前からあった中山道をそのまま拡幅、整備したものです。そのせいで鎌倉街道に沿って古いお寺や地名が残っています。

そこで今日は鎌倉街道の小野路と岩子山千手院を散策して来ました。

飛鳥時代から大和地方に勢力を持っていた小野妹子一族の一人が後に国司のような立場で、武蔵国へ来て、住みついたところが現在の町田市、小野路町と言われています。滋賀県の小野村が小野一族の発祥の地と言いますから不思議な縁です。

この現在の東京都町田市の小野路町という地名は実に古い地名なのです。小野路を少しだけ北へ行くと現在の府中市へ続きます。当時の武蔵国の首府は府中市にあり、江戸も東京も存在すらしていません。

今日はその小野路にある岩子山千手院とその裏の小野路公園を散歩して来ました。周囲は太い竹の密生している山でした。初夏のような陽射しの中で竹藪が涼しげな蔭を作っていました。

岩子山千手院は中山道へ面しているので奈良時代の創建かと思いました。調べて見たらやはり聖武天皇の頃の創建で、戦国時代に再興されています。

このお寺で感心した事は無縁仏を集めて、丁重に供養している事です。3枚目の写真の右下に少しだけ写っている線香立てには新しい線香の灰がありました。住職さんが名も無い死者の冥福を祈っていろのです。その優しさに感動しながら奥の院まで登ってきました。

小野路公園は運動公園で野球場やサッカー場があります。遊歩道はあまり完備してないようです。最後の写真のような竹藪の中を少し散歩しただけで帰ってきました。

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貴方を幻想的な旅へお誘いいたします

2011年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

退職後は時間に余裕があるので、家内と一緒に何度も旅に出ました。外国へ行くのが億劫になり、もっぱら国内のいろいろな旅です。

深く印象に残る旅が幾つか有りました。その中から、今日は丁度2年前に行った幻想的な旅をご紹介致します。

霧深い中世のイギリスへ迷いこんだような旅でした。

とにかく遠いのです。東京から車で200Km位、福島県の白河市から奥羽山脈の奥深くに忽然と建物群が現れます。

中世のイギリスの時代別の建物が10棟ほどが霧にかすんでいます。本格的な時代考証にもとづいて建てられ、内部の古い家具調度もイギリスから運びこみました。図書室に並んでいる本も全てイギリスの古書です。

従業員もイギリス人が混じっています。とにかく本物のイギリスの中世が有るのです。

神田外語学院の経営母体の佐野学園の初代と2代目の理事長がイギリスの歴史が好きだったのです。イギリスの中世の文化を研究しました。そして25年間にわたって構想をあたため、この建物群を1995年に完成しました。名前をブリティッシュ・ヒルズと言います。

「イギリスの中世の文化は重く、暗い。しかし、その底に文明開花の爆発力を秘めて来たのかも知れない」と想像し、霧に濡れながら散策しました。

領主の館の内部もつぶさに見ました。領民を支配し贅沢な生活をしていた様子が判ります。封建時代の空気が霧になって身を包みます。

イギリス独特なミートパイの昼食もとりました。そのレストランも暗いのです。電燈が無かった時代です。その感じを出す為です。土産物屋も暗いのです。イギリス直輸入の紅茶やカレー粉、カード、絵ハガキなどを少し買いました。

それにしても、この様に、一国の古い文化を正確に伝えようとする施設は珍しいものです。交通不便な山奥にあります。詳しくは、http://www.british-hills.co.jp に御座います。

幻想的な旅がお好きな方は霧の日か雨の日に行く事をお勧め致します。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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