福島県に多くの強制避難民を生じさせた東京電力は自社敷地内へ記者やカメラマンを立ち入り禁止にしています。株式会社の敷地へ関係の無い人の立ち入り禁止にする権限は平時には認められています。企業秘密も認められています。
しかし、原発の大事故の後でも認めて良いものでしょうか?社会的に大きな被害を作っておきながら、平時の権限をそのまま使っている東京電力と、それを認めている日本政府へ強く抗議いたします。
原発現場の写真は東電側が撮影したものの中から意図的に選んだものだけを時々マスコミ発表をしています。
今回の海水中断騒動も現場に記者を入れて、吉田所長や作業員へのインタビューを度々行っていたら防げた筈です。現場指揮官が記者会見が出来ないようにしているのは東電の閉鎖的な体質なのです。
戦争が起きれば従軍記者や従軍カメラマンが多数最前線に行き、独自の取材をします。隊長や兵隊のインタビュー記事が新聞に出ます。アメリカ軍では軍医や従軍牧師まで前線へ行くのです。
最近、テレビタレントになった従軍カメラマンは福島原発現場へ行こうとしなかったのでしょうか?
日本社会はアメリカのように個人の自由と尊厳を守ると言います。しかし東電という組織を尊重して、吉田所長という個人の自由と尊厳を踏み躙るような社会なのです。その事に政府も国民も気づいていないとしたら大変悲しいと、お思いになりませんか?
皆様からのご意見をお待ちしています。(終り)
原発がつぎつぎに爆発していた修羅場の現場指揮官が参謀本部の命令に反したのです。現場指揮官は福島原発の吉田昌郎所長です。
参謀本部は政治的な雑音を考慮して、折角始めたばかりの海水注入を中断すると決定し、その会議に出席していた吉田所長は中断する筈でした。
しかし彼は注入中止は炉心圧力容器の爆発を起こすと判断して、注入を独断で続行したのです。
一体、吉田所長の何処が正しくて、何処が間違っていたのでしょうか?
この疑問に対する解答は、戦争の場合の参謀本部と前線指揮官との関係を見ると明快すぎるくらいはっきりと分かります。
前線指揮官は戦場の状況を一番良く知っている立場にいます。
参謀本部は多くの前線の勝敗の情報を広く知る立場にあります。
その参謀本部が総合的判断にもとづいて出す命令は大局的には正しいのです。前線指揮官は原則として参謀本部の命令に従うべきです。
しかし前線指揮官が現場の状況から兵隊の犠牲を最小減にする義務も負っています。大きな犠牲を生じるような参謀本部の命令に従う必要は無いのです。その判断は前線指揮官へ任されているのです。
そういう場合は、参謀本部の命令へ全て従う必要はありません。
しかし命令に従わなかった場合は、即刻、参謀本部へ何故命令に従わなかったかの理由を報告する義務があります。
こういう事は第二次世界大戦の間に度々ありました。ヒットラーの命令に服さなかった東部戦線の将軍たちはその顕著な例です。
そうすると福島原発の吉田昌郎所長の事は明快に分かります。
海水注水中断は一層大きな悲劇を生むと判断して、前線指揮官の吉田所長は命令に服さず、注入を続行したのです。これは正しい事でした。たとえ間違っていても、その判断を任されているのです。今回は結果的には正しかったようです。
しかし彼は大変大きな間違いを犯しました。命令に服さなかった事実を2ケ月以上経過してから参謀本部へ報告したのです。その結果、東電の本部は社会へ大きな不信感と混乱を与えたのです。これが吉田昌郎所長の罪です。処分を受けるのはやむを得ないのです。
しかし、ここで再び、「しかし」と書く私の心は憂鬱です。今回の現場指揮官の情報隠蔽行為は東京電力という会社の暗い雰囲気を描き出しているからです。
東京電力の各所に散在する現場の人間が本社を全く信頼していないのです。対立しています。確執が、そして暗闘が充満している会社です。
東電の情報隠蔽体質は幹部だけでなく、社員全員に浸透しているのです。実に困ったものです。数多くの立派な社員が居るのに残念です。
それはそれとして、
今日もも皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人