後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

水素爆発でこんな状況になったら脆弱な配管類が壊れたと考えるのが技術者の良識

2011年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

下の写真の出典は、http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/430.html です。

今日の新聞で、1号炉から3号炉の燃料棒がメルトダウンして、炉心圧力容器の底が損傷して核燃料の一部が格納容器へ漏れ出しているという記事が出ていました。

しかしこのブログで何度も書きましたが、これだけ酷い水素爆発をしたら冷却系統の配管がほとんど全て壊れると私は推定していました。ですから炉心へ水が満足に送られていなかったのです。それを今頃、東電が発表しているのです。

貴方は、東電の情報公開が遅すぎるとお思いになりませんか?確証が無ければ不利な考え方は一切発表しない。その東電の態度が不信感を一層掻き立てていると思います。困った文化を持った会社ですね。

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今日の散歩・・・鉄道が日本の原風景をすっかり変えてしまった!

2011年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

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散歩する時、何も考えないで山林の中や公園をブラブラ歩く時もあります。また何かテーマを思いついて取材を兼ねて出掛ける時もあります。今朝は急に、「鉄道が日本の原風景をすっかり変えてしまった!」というテーマを思いつきました。

明治時代に蒸気機関車がイギリスより輸入され各地に鉄道が敷かれました。黒い煙を出して、悪魔の咆哮のような汽笛を鳴らして驀進する汽車を嫌って、鉄道の敷設を避けた町や村が多かったようです。そして気がついたら、以前の繁華がまぼろしのように消えて、すっかり寂れた町も多かったのです。

旅人で賑わっていた街道も寂れてしまいました。荷を運ぶ馬方の掛け声も消え、関所も無くなりました。そこに残ったのは淋しい山道だけです。ハイキングコースになった街道はまだ幸運です。山林の中に溶け込んだり、畑になったりして跡形も無く消えてしまった街道も多いのです。

今日は甲斐の国と武蔵国を結んでいた旧甲州街道の小仏の関所あとの写真を撮って来ました。高尾山の裏側の谷に沿った路を登りつめて行くと、写真のような道があります。ここを40分ほど登ると小仏峠に出て、富士山が遠望されます。昔はその峠の上に関所がありましたが、江戸時代には麓の「駒木の宿」に移ったのです。役人が毎日、峠まで登り降りするのが億劫になったに違いありません。今日は急に雷雨になったので登りませんでした。

一番下の写真は峠に登る道の下の方にあった人家の門の前に咲いていたジャーマンアイリスです。江戸時代はこんな花は無かった筈だと時代の流れを考えながら写真を撮りました。旧甲州街道は途切れながら、あちこちに、ほんの少しだけ残っています。

皆様の近所には古い街道の跡は残っているでしょうか?コメントを頂ければ嬉しく存じます。

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全ての先進技術は日本の防衛に寄与する(2)先端技術を軍事技術に使う事の倫理的間違い

2011年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

「全ての先進技術は日本の防衛に寄与する」という題目で連載記事を書きはじめました。しかし題目だけを見て、私が先端技術を軍事技術へ使用すべしと主張していると誤解するとしたら、それは大変な間違いです。

この連載の目的は、宗教や倫理性とは全く無関係に、そして客観的な冷厳な立場で観察すると先端技術は軍事技術へ使われ易いという事実を明らかにする事です。

それを実行しているのはアメリカ人であり、日本人はそれへ間接的に貢献しています。この図式を理解すると全てが理解出来ます。その一例が原発推進政策です。

このような事実を理解すると、何故日本政府が原発を推進し、アメリカが原発を日本へ輸出したかが理解出来ます。少なくともその一つの理由が理解出来ます。念の為に言えば全ての理由でなく、一つだけの理由です。誤解しないで下さい。

科学技術の発明や発展の結果を軍事技術へ利用するのは倫理的に大きな間違いです。人間としてしてはいけない事です。それこそが私の主張なのです。

しかし人間は他人を、他国を支配したいという根源的な欲望を持っています。

戦争の誘惑に負けて攻撃して来る外国があるかも知れません。それに備える為に強力な軍備をする事に賛成する人々はどんな国々でも半数以上居ます。

国の安全を考える現実的な政治家は必ず軍備のあり方を真剣に考えて、行動します。当然です。

日本人は戦後、アメリカとの安保条約のお陰で真剣に軍備と先端技術の関係を考えないで来ました。

しかし、21世紀になった現在こそ、そろそろ軍備と先端技術の関係を、主体的に、そして真剣に考えるべきと思っています。

その為の参考資料としてこの連載記事をお送りしたいと思っています。

どうぞ私を好戦的な人間と誤解しないで下さい。善と悪が相克する現世では先端技術はどのように利用されるかという問題を明らかにしたいのです。

この記事の一番下に参考資料を添付して置きます。大変感動的なコメントを送ってくれた今田 遥さんのコメントに付いていた参考資料です。先端技術を軍事技術にするとどのような悲劇が起きるかという現実の例です。なお今田 遥さんのコメントについては別の記事で取上げて考えたいと思います。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と、絶対平和を強くお祈り申し上げます。藤山杜人

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2009年8月13日(木)13:00 毎日新聞
 ◆被爆者が生きている間に、核兵器が廃絶される日を見せてあげたい。井田薫(仮称)
「原爆投下の良かった面を考えよう」

 早稲田大4年、井田薫(仮称)さん(22)は6年前、留学先の米ミシガン州の高校で、アメリカ史の教師が出した課題に耳を疑った。
 幼少期を長崎市で過ごし、毎年8月9日には静かに祈る人たちの姿を見てきた。「広島と長崎の悲劇は世界に共有されていると思っていたのに」。頭の中が真っ白になった。
 他の生徒たちが「戦争を終わらせた」「祖国の防衛になった」などと答えるのを聞きながら、「違う」と思った。だが、その一言が言えない。沈黙するしかなかった。
 帰国して大学に進み、祖父の妹(80)宅に下宿した。そこで、亡き祖母が長崎で被爆したことを知った。自分が被爆3世だということも。
 ある夜、祖父の妹が涙を流しながら被爆した時のことを語ってくれた。焼けただれて助けを求める人たち、空襲警報のたびに防空壕(ごう)で震えた記憶……。「同じ苦しみを味わわせたくない」。その言葉が胸に響いた。
 2年前、再び米国に留学した。「今度は自分の思いを伝えよう」。小さな決意を秘めて向かった留学先の大学で、原爆を扱った映画の上映会を開いた。学生から「原爆の苦しみを教えてくれてありがとう」という言葉が返ってきた。「伝えれば伝わる」と思えた。
 今は、ジャーナリストを志し、中東向けのニュース配信会社「パンオリエントニュース」(東京都港区)で「修業中」だ。いつか、自分の記事で世界に発信したい。「良い戦争なんてない」と。(終り)