後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

平和的な佛教、戦闘的なキリスト教・・・だから仏教が良い

2011年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

私はカトリックの洗礼を受けました。1971年に、35歳の時受洗しました。キリスト教が好きなのかも知れません。それでこのブログでもキリスト教の事をいろいろ書いてきました。自分は立派な信者でないのでキリスト教の宣伝をする資格はありません。

しかし自分の好きなキリスト教に関連した光景の写真や文章をこのブログへ何度も掲載して来ました。下の写真は長崎のある公園にある26聖人の像です。

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このようにキリスト教に関係した写真や文章を掲載すると、時々批判的なコメントを貰います。この非難の趣旨はいろいろですが、最大公約数的に纏めてしまう事が出来ます。

要するに、仏教は平和的で良いがキリスト教は戦闘的、攻撃的であり悪い宗教ですという主張です。私自身は祖父が曹洞宗のお寺の住職だったので一緒にお経も読みました。大人になってからは般若心経や観音経の勉強もしました。ですから私は佛教的キリスト教徒なのです。仏教の良さもある程度なら理解している心算です。

そこでこれからが私の言いたい事です。まず宗教には良い宗教も、悪い宗教も無いのです。信じて居るその人が悪人か善人かの違いがあるのです。悪人が自分の宗教を自分の欲望のために利用するのです。そうするとその悪人が利用した宗教が悪い宗教となるのです。それだけの事です。

キリスト教を作ったイエス様は汝の敵を愛せと教えました。また仇は7の7たび、許せと教えました。罰は神が下すもので人間が他人を罰してはいけないとも教えました。しかし中世にキリスト教の聖職者が堕落して魔女裁判をし、何十万人の魔女を火あぶりにしました。

その事をイエス様は悲しんでいます。そんな事をした神父やその同調者はイエス様とは何のかかわりも無い人なのです。不信人者なのです。

一方、お釈迦さまはすべての生き物を殺す事を禁じました。殺生を禁じたのです。それは人間にとって一番重要な教えです。虫や魚も、そして他人も殺してはいけないのです。実に平和的な教えです。ところが歴史的に考えると仏教の信仰国のタイ、ミャンマー、ベトナムのようなアジアの諸国の王朝の間では戦争が絶えなかったのです。戦争に参加した人々はお釈迦さまの殺生を禁じる教えを踏みにじっていたのです。戦争の間は仏教徒では無いのです。

日本の戦国時代も同じことです。当時の日本は敬虔な佛教国でした。それにも拘わらず、地方地方の武装集団がお互いに血を血で洗うような殺戮を繰り返していたのです。

仏教が善くて、キリスト教が悪いと言う議論ほど好戦的、戦闘的な議論は有りません。それを主張する人の心情が戦闘的なのです。その事に気がつかないで外国人が悪で、日本人が善だと考えることが戦争の種になるのです。

自分がどの宗教が好きかと考え、それを他言しないのは善です。しかし、もし貴方がどの宗教が良いか、悪いかと考えだしたら、それこそが危険信号です。

その考えを進めて行くと、イエス様の教えを、そしてお釈迦さまの教えを踏みにじることになります。争いの火種になるのです。現在起きているイスラム教徒やキリスト教徒と自称する人々の間の争いや戦争は、宗教に関係の無い人々がしているのいです。イスラム教にもキリスト教にも何の関係も無い人々が己の欲望に負けて争っているのです。日本人も全く同じです。自分だけが偉いと思う心が争いの種になります。

人間とは儚くて、愚かな存在なのですね。(終り)


今日の散歩・・・万葉時代から野山に自生しているキスゲの花の写真を撮りに行く

2011年05月19日 | 写真

花々は世界を移動します。花の好きな人間が移植するからです。

野山に咲く花々を見るとき、日本古来の花、ヨーロッパから引っ越して来た花、中南米からはるばるやって来て日本に棲みついてくれた花、などと考えて観賞しています。そうすると花々の世界の広さ、奥の深さが感じられ、一層その美しさが輝いて見えます。花々を愛した人々の想いも偲ばれて楽しいものです。

今朝は、「日本に万葉時代から自生しているキスゲ(カンゾウや忘れ草とも呼ぶ)の写真を撮る」というテーマで家を出ました。

キスゲは咲いている場所で少しだけ違いがあるので、ニッコウキスゲ、ムサシノキスゲなどど呼ばれます。日光の戦場ヶ原や信州の車山や霧ケ峰に一面に咲いていた光景が忘れられません。

近所の浅間山はムサシノキスゲの唯一の自生地として有名な所です。毎年5月になると沢山咲いています。

キスゲはカンゾウとも言われ、野にあれば野カンゾウ、佐渡島にあればトビシマカンゾウと言いますが。皆ほとんど同じ植物です。そしてカンゾウは万葉時代には「忘れ草」と呼ばれ、その葉を身に付けていると、辛い事や悲しい事を忘れる事が出来ると信じられていました。

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「忘れ草わが紐に付く 香具山の古りにし里を忘れむがため」

万葉集巻三、大伴旅人。大宰府に在って、故郷への慕情を断ち切りたいとの心情を詠んだ歌です。

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それはそれとして、下に先程撮って来たムサシノキスゲの写真をお送りいたします。

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大津波、水素爆発の福島原発での負傷者は何名いたのでしょうか?

2011年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

地震が起き、しばらく時が経過して、大津波が襲いました。そして次の日に水素爆発が起きて頑丈な鉄筋コンクリート製の建屋が吹き飛びました。地震発生から水素爆発まで10時間以上あったのです。

この間に東京電力の社員や関連会社の社員は何処に居て、何をしていたか想像すると必ず負傷者が出た筈です。この地震発生から水素爆発までの内部情報の一部を一昨日少し公開されました。中央制御室のホワイトボードの上の走り書きに関連する情報だけが公開されたのです。負傷者や犠牲者の有無とその情報はあまり報道されません。

普通、これだけの大工場では正常稼働の時には100名近い現場従事者が居るものです。

大地震が起き、緊急スクラムが作動し、原子炉が全て停止した時、その現場に居た人は工場施設の安全確認のために彼方此方の設備の所へ走って行って、施設の安全を確認するのが普通です。その瞬間は津波の心配を一かなり居た筈です。彼等はその後に襲って来た大津波の犠牲者にならなかったとしたら不自然な話です。

更に緊急停止した原子炉建屋の中や近辺に現場従業員が装置の状況を確認する為に行かなかった筈は有りません。爆発前は正常に見える建屋だったのです。防護服を着て建屋の近辺へ行ったと想像できます。その時、水素爆発で建屋が吹き飛び、破片が周囲一帯へ飛び散ったのです。

爆発の可能性を知らない自衛隊の車両が建屋近辺に入っていて、隊員が軽い傷を負いました。爆発の可能性を東電から自衛隊が知らされなかったとして自衛隊は抗議していまた。

東京電力の情報隠蔽体質には驚きの連続です。はじめの地震で全ての原子炉が緊急停止した直後から、水素爆発以後までの現場作業従事者の動きと、負傷者の有無を明解に公表すべきと思います。そんな情報は内部情報で企業秘密と考えているのでしょう。そして今更公表しても仕方が無いと東京電力は考えていることでしょう。

現場従業員が何人居て、必死の緊急作業をしていたに違いありません。その犠牲的行動へ敬意を表しながらも、しかし緊急対策として間違った行動だったか否かを科学的に検証する事こそが重要なのです。今後の原発の危機管理の確立の為に欠かせない情報なのです。それを東京電力が企業秘密として隠蔽していたとしたら大変間違った考え方です。原発の爆発に至るまでの現場従業員の行動に関する情報開示を期待しています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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