皆さんはお米の配給制度をご存知と思います。原子力利用の為の基本法が出来た昭和29年(1954年)にはまだその残滓があって、旅館に泊まる為には2食分の米、約5合を持参しなければならなかったのです。大学受験で九州から来た友人が米が重くて困ったと昨年の同級会で嘆いていたものです。
原子力利用をアメリカ政府から勧められたとしたら、当時の日本は従う他は無かったと思います。兎に角、日米関係を強固にし、ソ連に対抗しながら日本の経済復興をしなければならない時代でした。中曽根さんの原発開発の政策は当時としては正しかったのです。原発導入の功罪を言えば、中曽根さんの功は絶大だったと私は思っています。
私の言いたい結論は、日本が豊かになり、日本の会社の工場が世界中にある現在になってみると、国内の原発はそろそろ止めて、安心して住める国にした方が良いという事です。原発廃止は時代の変化を受けるべきというのが私の主張です。
アメリカの同盟国の日本が原子力工業の基礎技術を持つ事は一旦戦争になった場合、アメリカが心強いと思ったとしたら、それは自然なことです。
1960年代から日本では原子力利用への反対運動が盛んにありました。その方向は原爆製造に繋がるから反対だという理由です。平和が好きな女性も多く参加していました。その理由には少しの真実が含まれています。高速増殖炉では原爆製造に必要なプルトニウムが作れるのです。
原子力利用反対は平和運動でもあったのです。ですから米軍基地反対運動とも連動していたのです。しかし多くの善良な平和運動家が知らなかった事もあったのです。それはソ連の「平和攻勢」の後押しがあった事です。
日本で原爆反対や平和運動が盛んになれば、結果的に日米関係が悪くなります。それで得をするのはソ連です。
中曽根さん達の政権中枢にいた人々はソ連の「平和攻勢」を嫌いました。弾圧もしたかったに違いありません。当然です。日本がソ連の言いなりになるぐらいならアメリカの方がましだと思ったのです。当時の大部分の日本人はソ連が嫌いでした。
この記事で、ソ連の「平和攻勢」を強調する理由があるのです。私自身が体験的に知った衝撃的な事があったのです。それは1980年代の事でした。モスクワ大学から数人の学者が来日しました。その時、彼らと数回食事を共にしました。
一緒にウオッカも飲みます。ほろ酔い気分になると打ち解けて、本音を言い始めます。彼等は一人のこらず。「広島へ行きたい」と言って、帰国前に本当に広島往復のスケジュールを作っているのです。
アメリカが原爆を落とした広島と長崎の事は学校の教科書に出てるそうです。ウオッカを呑んだ時聞きましたが、彼等は全員が共産党員だと言います。そして日本人は原爆を忘れないで平和な国を作るべきだと言うのです。しかし不思議にもアメリカの悪口は一切言いません。モスクワを出る前に日本人と接するとき、言うべき事と言ってはいけない事を教えられるようでした。皆、同じ事を言うのです。
ああ、これが「平和攻勢」なのだと一瞬にして悟りました。驚きもしました。
日本の共産党系の人々がソ連の「平和攻勢」を輸入して、広めていたと考えるのは不自然な仮定ではありません。「原発反対運動」が不毛な理由の一つは以上のような理由があったからと思っています。皆様はどのようにお思いでしょうか?
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と、「平和攻勢」とは関係の無い真の平和をお祈り申し上げます。藤山杜人