後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

福島原発事故後でも日本人の39%は原発を支持です

2011年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

朝日新聞や毎日新聞の世論調査では原発容認派が反対派より多いと報道されています。

一方、世論調査で有名なギャラップの調査では反対派の方が多いのです。しかし原発を支持している日本人は39%も居るのです。これでは原発は日本から無くなりません。このような事態を良く考えて、今後の原発の安全対策を強化する事が重要だと思います。多くの日本人が原発を支持している事実は非常に重要な意味を持っていると思います。下にギャラップの日本人の世論調査の結果をしめします。出典は、http://tomtittot.asablo.jp/blog/2011/04/21/5819452 です。

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原発反対のデモや集会は報道されない・・・マスコミの報道自主規制か?

2011年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

原発反対の人々がネット上には沢山居るのに、デモや集会が無いのはどうしてでしょうか?

不思議に思って「原発反対デモ」をキーワードにして検索して見ました。東京の渋谷、銀座、高円寺で1000人規模のデモがあったという情報が出ています。

それから青森の六ヶ所村や浜岡でもデモや集会があったようです。

ところがマスコミは報道しません。デモをしても、すぐに原発廃止にならないからニュースバリューが無いとマスコミは判断したのでしょうか?

何故か不思議な気分になります。

以下にネット上にあった情報を転載して置きます。

  原子力発電所の運転中止を呼び掛ける市民集会やデモが2011410日、全国各地で行われた。(http://www.j-cast.com/2011/04/11092726.html

   東京芝公園では中部電力浜岡原発の運転停止を求める市民集会が開かれた。約2500人が集まり、東海地震が起きると震源地域の真上にある浜岡原発は福島の二の舞いかそれ以上の事態になる、などと訴えた。集会後は東京電力本店前や中部電力東京支社などをデモ行進した。

   青森市内では核燃料サイクルなどの原子力施設に反対する全国集会が開かれ、約60人がデモ行進。山梨県では市民団体「虹の天使」が甲府市内で浜岡原発の停止を求め、約100人がデモ行進した。


福島原発事故の後でも全国原発所在市町村協議会は原発建設を推進

2011年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

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北海道の積丹半島の過疎地に泊原子力発電所があります。加圧水型原子力発電施設が3基あって約200万kwの電力を供給しています。上の写真が泊原子力発電所です。

福島原発の事故の後でも泊村は原発の継続稼働を望んでいます。そして北海道電力へ対して津波対策の強化を要請しました。

一方、全国の原発のある市町村の連合会が菅首相を訪問し、原発の建設計画を既定方針通り推進して下さいと要求したのです。菅首相が表明していた原発増設見直し方針は時期尚早であり、原発廃止はあり得ず、国はぶれないエネルギー対策をして欲しいと要請したのです。

北海道の泊村の原発推進の要請は一例に過ぎません。全国の原発のある全ての市町村では原発を歓迎しているのです。

一方、日本の産業界は原発による安価な電力を必要としています。

このような事情では原発は日本から無くなりません。菅首相は世論へ配慮して原発の建設計画を一時延期しますが、またそのうち建設が始まると考えるのが一番確かな事ではないでしょうか? さて皆様はどのようにお考えでしょうか?


原発は絶対に安全だと信じていた私の愚かさ!

2011年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の福島原発の大事故で私は自分があまりにも愚かであった事に衝撃を受けています。動転しています。落ち着きを失って感情的になってしまいました。

まず第一の私の愚かさは仙台平野以南には絶対に津波が来ないと信じ込んでいた事です。津波は三陸海岸だけに来ると思いこんでいました。吉村昭の「三陸津波」という本を読んで何故か三陸地方特有の自然現象だと思い込んでしまったのです。

大津波が宮城、福島、茨城、千葉という南の方の太平洋岸を全て襲った後になってみると自分の愚かさに衝撃を受けます。

地震は何処の海底でも起きます。海底で地殻変動が起きれば津波が起きます。ですから日本列島の全ての海岸で津波が起きるのは当然です。それが理解できました。まさしく後知恵です。

そして自分が絶対安全と信じていた原発が水素爆発をして炉心の核燃料の一部が空中へ放散されたのです。

津波が原発を襲えば、制御棒が緊急スクラムし、高速で挿入され核反応が止まるから安全だと信じていました。ところが核燃料の自然崩壊熱が莫大で、冷却を続行しなければいけない事は知りませんでした。愚かでした。

冷却が止まった炉心から水素が漏れて、原子炉の建屋に充満し、水素爆発をするとは知りませんでした。愚かでした。

それよりもショックを受けた事は、「完全密閉」をうたい文句にしていた炉心圧力容器から水素ガスが多量に漏れ、さらに強靭な特殊鋼製の原子炉格納容器からもその多量の水素が漏れ出した事です。そして建屋に充満して爆発したのです。

原発施設は三重の密閉壁に囲まれているから絶対に放射能を持った物質は外へ出ないと教わって来ました。それを信じていた私は愚かでした。

しかし私は2年前に原発推進に反対の立場へ変更しました。その事実は2年前にこのブログで公表しています。

原発の安全性は信じていたのに反対する事にしたのです。理由は簡単です。原発の安全を信じないで、原発の存在そのものへ底知れない恐怖感を持ってる人々が居る事に気がついたからです。恐怖におののいている人々が多数住んでいる国は幸福な国ではないと確信したからです。

しかし原発を怖がっていた人々のほうが正しかったのです。福島原発の事故はその正しさを証明したのです。

福島原発の事故の後で、私はやっと自分が安全だと信じていた事が大変な間違いだったと知ったのです。こういうのも後知恵と言います。

私の職業は高温域の実験科学者でした。すべての材料は高温になると軟化し、変形し、最後には熔解する事を知っていました。ですから炉心圧力容器の完全密閉などという「うたい文句」は信じるべきではなかったのです。愚かでした。

自分がいかに愚かだったかを書き続けていたらキリが無いので、ここで一旦止めて置きます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人