今日は正午からSHさんの告別式が所沢市営斎場でありました。2ケ月だけの入院で突然旅立ちました。末期のガンだったそうです。享年78才。
優しさは一番重要な人徳と信じています。そのやさしさに溢れるSTさんでした。
もう45年も前の事です。私は本郷にある大学から大岡山の大学へ転勤になりました。若い頃に、まったく知らない大学へ転勤になったのです。怖かったです。緊張していました。こわごわ、そしておそるおそる大岡山を訪ねて行きました。その初めて行ったとき穏和な微笑みで迎えてくれたのがSHさんでした。その上、新しい職場に戸惑っていた私を勇気づけ、全ての面倒を見てくれたのです。いつもユーモアある小話をしながら私の相談に乗ってくれました。
夜には自由が丘や渋谷へよく連れて行ってくれて、一緒にビールを飲んでくれました。私は彼の為に何もしないのに、彼は好意と誠意を私へ送ってくれるのです。無償の好意です。何故か優しい兄を持ったような感じでした。5年間いつも同じように穏やかに接してくれました。
当時、STさんは大岡山の大学で助手をしながら金属の物理研究をしていました。その成果が実り、やがて工学博士の称号をとりました。そして国立の長岡高等工業専門学校の教授として迎えられたのです。
大岡山では彼と私は向かい合わせのデスクでした。仕事に疲れて一緒にお茶を飲みながら雑談します。ユーモア感覚があり、少しの間の雑談でも笑いが出て、疲れが飛んで行くのです。
長岡の高等工業専門学校へ去ってからも時々一緒に飲みました。長岡の学校へ招待してくれた事もあります。近所の温泉で一夕、飲んだことも楽しい思い出でした。本当の人格者でした。
長岡の学校でも学生の世話を本当に親身になってしていました。学生が可愛いのです。長岡の学校には定年まで20年務めたのです。
浜松に庭のある一戸建ての家を新築して住んでいましたが何年か前に東京の東久留米市の親の介護のために引っ越してきました。電話で、そのうち一緒に飲みましょうと話しあったのが最後になってしまいました。友達がいの無い私が、怠けて東久留米まで行かなかった事が悔やまれます。残念です。
今日、初めてお会いした奥様が、「藤山さんのブログを楽しみにして、よく読んでいましたよ」とおっしゃって下さいました。その事を知らなかったです。知らなかった自分が無性に悲しいのです。彼は最後まで私に好意を持っていてくれたのです。でも私は何もしなかったのです。
今日の告別式では昔、大岡山の研究室でSHさんが親切に世話をしていた当時の学生さんが何人か来ていました。私もよく一緒に飲んだ学生さん達だったのです。SHさんが眠っている棺の前で話をしました。SHさんが誰にでも優しくて、清らかな人格だった事を懐かしみながら話をしました。SHさんはニコニコ笑いながら聞いてくれているようです。そして49日の間はこの世にとどまり、奥様や2人のお嬢様や親類の方々の回りを飛んでいてくれる筈です。昔の学生さんの周りも飛んでくれます。このブログも読んでくれるかも知れません。
棺を送り出す前に、参列者が美しい花々をSHさんの体の周りにいれます。何度も入れます。私も真っ白い菊の花を入れた後、白い百合の花も入れました。沢山の花々に埋もれてSHさんは静かに別れて行きました。彼の生前の優しさへ感謝しながら、鎮魂の祈りを何度も致しました。
今日は蓮の花の写真で彼の冥福を祈ります。