大学時代のクラス会があった。卒業後50周年の会。隣に座ったG君に近況報告の順番が来た。立ち上がった彼が言う、「この会に出るのも今回限りとなります」と。そして持病の進行を淡々と話す。間もなく旅立とうとしている友人の挨拶である。ジメジメしていない淡々とした内容である。
次の朝、洒落たハンチング帽を被り、明るいグレイのジャケットを粋に着こなしたG君と、ちょっとした旅へ出る。遠方から来たM君を小田原駅へ送るのも兼ねて、小生の車で奥湯本の宿を出る。別れを惜しんでの旅である。
G君の思い出の場所を巡る小さな旅。
G君は高校卒業まで小田原には住んで居た。
始めに湯本の早雲寺の裏へ行く。大学受験の勉強をした庫裏の間の回りを散歩する。後北条氏五代の墓所から見下ろすと、よく手入れされた小堀遠州ふうの裏庭がある。それへ面した庫裏の白い壁が見える。55年前の寒い冬の2ケ月間籠もったという。春が来て、仙台の大学の入学試験に合格した。母親が先代の住職の大黒さんと女学校の同級生だったので早雲寺へ来ただけですと言う。
次に行ったのは小田原の三の丸小学校と二宮尊徳神社。車で30分程の所。
戦争中、小田原に住んでいたある宮様の子供が彼の小学校へ入学することになった。建物を新たに立て直す。校長以下教師全員を東京高等師範学校の卒業生と入れ替えた。だから現在も三の丸小学校は全国有数の立派な校舎を持つと言う。
なるほど、着いてみると、和風の荘重な雰囲気のある鉄筋コンクリートの大きな校舎群が見える。高度成長のころ市役所が建てた校舎である。以前の木造、和風の校舎の趣を残していると彼は懐かしそうに眺めている。
目の前には小田原城の箱根口があり、豊かなハスの葉が堀を埋め尽くす。かつて城跡で遊んだG君は小学校や城の話を楽しそうにする。昔は小学校から海が見え、砂浜へ出て、よく遊んだという。
二の丸跡に、二宮尊徳神社がある。一般に知られていない尊徳さんの農村活性化の逸話を聞く。G君は尊徳さんを心底尊敬している。
昼食には間があったので真鶴半島の突端の常緑樹の大木の林へ行く。車で行けば30分の近さ。G君が育った地はなんと自然が豊かな土地なのだろう。
昼食は小田原へ戻って、青物町にあるウナギ屋の蒲焼。ウナギは色々食したが青物町のウナギは身が厚く、ふっくらと煮含めたように焼き上げてある。味は甘みを控えた昔風のサッパリ味。しかしウナギの脂がのっていて味に奥行きが出ている。こんなすばらしい「うな重」が非常に低価格である。
小田原高校を卒業するまで此処に住んでいたG君が、クラス会の折々に小田原の自慢をさりげなく話していた。蒲焼を食しながら、その事を思い出し、成る程と納得する。
小田原城の堀を埋め尽くすハスは夏になると一面の白い花を咲かすと言う。
駐車場の案内人は制帽の下に見事な白髪を覗かせている。ハスの花の説明してくれる。「是非、夏にまた来てください」と。
堀の周りは城跡の豊かな樹木が緑の炎を上げているよう。風に揺れている。
この駐車場の老案内人も、G君も、そして小生もそのうちこの世を去る。
でも、この堀のハスの白い花々と、取り囲む緑の樹木は十年一日のように訪れる人を憩わせるだろう。上に掲げた写真のように。
毎年5月になるとこの小田原への小さな旅を思い出す。あれから丸3年になるが、G君は元気である。旅立つのを延期したらしい。(終わり)