奇妙な癖と言うべきか、趣味と言うべきか分かりませんが、私の趣味は墓地を徘徊することです。流石に夜は気味悪いのでしませんが、家内が出かけた時にはよく行きます。家内は墓地は怖いと言って、好きではありません。
今日は午前中から家内は文学の講読会へ行ったので、早速お寺の裏の墓地を散歩して来ました。時間に余裕があるので、五日市街道の立川市に入ったところにあるお寺まで車で行ってきました。
大抵のお寺には駐車場があり、お墓の参拝者は自由に出入り出来るように門がいつも開いています。まず下の写真のような本堂の前に行ってご本尊様へ合掌します。
・その裏には墓地が広がっています。墓地への入り口には下の写真のようにお地蔵さんが並んで墓地を守っています。
・お地蔵さんの前で、今日はこの墓地に眠る全ての人々の冥福をお祈りします。入っても良いですかとお聞きします。返事が無いときは入って良いということと信じています。
・墓地の中を散策します。日清戦争や日露戦争、そして太平洋戦争亡くなった人々のお墓は特に大きく作ってあります。遺族の悲しみが偲ばれます。
・見上げると墓地の端には大抵ケヤキの大木が聳えているものです。
・墓地の外側はこのように広い畑になっていて、その向こうに奥多摩の山並みが見えます。
何故、私は墓地が好きになったのでしょうか?
理由をよく考えると2つあるようです。
墓地は静かです。生前に騒々しく活躍した人も、静かな人生を送った人もみんな等しく静かに眠っているのです。幼くして亡くなった人も、中年の働き盛りに亡くなった人も、老人になり天寿をまっとうした人もみんな、みんな等しく一緒に眠っているのです。そのような様子を見ると深い安堵感に包まれます。心が安らぎます。私は仏教徒ではありませんがお釈迦様の慈悲の心が感じられるのです。
もう一つの理由は個人的な理由です。私の父方の祖父が兵庫県の田舎のお寺の住職だったのです。毎年、夏になると家族と一緒にそのお寺に数日間泊まります。祖父や祖母は、年に一回しか会えない私と2人の弟を可愛がります。
全ての人が檀家になっている下のの小川へサワガニを取りに行きます。村人が親切にしてくれます。住職さんの孫達ですから大切にしてくれます。
そのは幼い私共の桃源郷だったのです。それは昭和15年、16年、17年、18年、19年の夏の日の楽しい思い出です。
近所のお寺に行くたびに、幼かった頃の楽しい思い出が湧き上がってくるのです。
昔、祖父が住職をしていたお寺は取り壊されて跡形も無くなってしまいました。高天秀嶽大和尚がその祖父の戒名です。
墓地を徘徊する趣味には、自分でもよく分からない理由が他にもまだありそうです。しかし上に書いた2つの理由は自分で納得しています。
ところで、あなたは 奇妙なご趣味をお持ちではありませんでしょうか?お知らせ頂ければ嬉しく思います。(終わり)