後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

公園を散歩しながら考えた・・・何故、日本にはクリスチャンが少ないか?

2012年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

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今日は曇りながら気温が10度にも上がり、温かいので清瀬市の金山緑地公園を散歩してきました。

歩きながら考えるともなく考えていました。日本人ほど教養としてキリスト教をよく勉強している国民はいないと思います。キリスト教の歴史から宗教改革の事など詳しく知っています。いろいろな宗派の違いも知っています。特にマルチン・ルターの宗教改革などについては学校で習います。旧教の堕落や免罪符の売買についても習います。そして日本中に実に数多くのミッション・スクールがあり、キリスト教のことを更に詳しく習います。ミッションスクールでは礼拝やミサへ生徒を参加させます。

しかし卒業するまでに洗礼を受ける生徒はあまりいないそうです。

何故、ミッションスクールへ通学していながら洗礼を受けないのでしょうか?洗礼を受けないのが悪いと非難しているのではなく、不思議に思っているだけです。

散歩しながら理由を2つ思いつきました。

一番大きな理由は、日本人は慎み深く、遠慮深いからと思います。自分は人間として立派でないからとても洗礼を受ける資格が無いと思うのです。そして先生が洗礼を勧めても遠慮してしまうのです。この性向は日本人の美徳です。神の前に立てば、自分はそんなに立派でない人間だと考えるのです。その考えは慎み深い考え方です。

神様はガッカリなどしません。そのように考える人々を大切にしてくれます。愛してくれます。

もう一つの理由は洗礼を受けると万事について窮屈な人生を送らなければいけないと思うからです。誰でも窮屈な人生より、自由な人生が好きなのです。窮屈な人生は不幸です。

キリスト教の洗礼を受けると先祖代々のお墓もお参りに行けない。親類の集まる法事にも出席出来ない。神社の境内では遊んではいけない。などと狭量なことを考える日本人がいるようです。

それでは無理して洗礼など受ける気になれません。

しかし先祖代々の墓を大切にし、親類同士の付き合いを大切にすることは日本人の美徳なのです。美徳は大いに発展させるべきです。そうしても神様は怒りません。神様の抱擁力は無限大なのです。

私の祖父は曹洞宗のお寺の住職でした。孫の私もそのお寺の本堂で祖父と一緒にお経を唱えました。それは幼い頃の楽しい思い出です。

中年になってカトリックの洗礼を受けました。しかし従来通り、お墓参りもしますし、仏式のお葬式にも参列します。人間としての義理を大切にするのが日本人の美徳なのです。

このブログは、神父様もキリスト教の信者も読んでくれています。しかし私のお寺との付き合いを止めなさいと注意を受けたことは一回もありません。

洗礼を受けると人間はますます自由になります。魂の自由を感じることが出来るのです。この世のいろいろな事への執着から少しだけ自由になれます。少しだけですが、その違いは驚くほど大きいものです。

清瀬市の金山緑地公園を散歩しながらこんなとりめもない事を考えていました。私の考えは間違っているかも知れません。

下にもう少し写真をお送りいたします。それにしても今年は春が遅いですね。

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現代の縄文人、八幡暁の世界・・・カヤックでの太平洋の旅

2012年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、掲載した、八丈島へ丸木舟で渡った縄文時代の人々という記事で八丈島から御蔵島、そして三宅島、鎌倉へとカヤックで渡った八幡暁さんをご紹介しました。

八丈島に縄文人が渡って行って数多くの石器や縄文土器を遺しています。その縄文人は何処から八丈島へ行ったのでしょうか?

丸木舟で本州から八丈島へ渡れるものでしょうか?疑問に思っていました。その私の疑問を解消してくれたのが八幡暁さんのカヤックによる単独航海でした。

その後、彼のホームページを見ました。なんと西太平洋をカヤックで縦断する旅を何年間も続けています。危険な冒険の独り旅です。

何故、彼はそんな危険な冒険に挑戦しているのでしょうか?

そこでメールを送り、GPSや衛星電話を使っているか聞いてみました。海図や天気図を使っているか聞いてみました。

彼の答えで何故太平洋の一人旅をしているか分かりました。

縄文時代に存在していない道具はなるべく使わないで外洋を渡ることにしているようです。遠方の天気は波と潮流を見て判断します。近くの天気は空の雲の動きで判断します。1日の航海距離は50kmくらいと無理はしません。島々に上陸し、素潜りで魚貝をとって自給生活を続けます。縄文時代にはアクアラングなど無かったのです。

彼は西太平洋の島々へ古代の人間がどのようにして渡って行ったか自分で証明したかったようです。古代の人間の知恵と体力を再現したかったようです。

しかし彼の冒険は学問的な研究ではありません。まなじりを決した悲壮な冒険旅行でもありません。楽しい海旅なのです。泊った場所の人々との愉快な交流を重ねています。各地で歓迎もされています。

怖いのは日本の海上保安庁の巡視艇です。遭難すると巡視艇が救援しなければなりません。そこで巡視艇は彼を指導するのです。衛星電話を使い、GPSの位置確認の結果を報告しなさいと強制するのです。日本の領海をでると縄文時代のように自由な海が広がっているのです。誰も衛星電話を使いなさいと強制しません。

しかし台風で荒れ狂う海の怖さは凄いものです。名も無い島で何日も台風が過ぎるのを待ちます。荒れる海の恐さは体験した人でなければ分からないのです。たまたま私はヨットで荒れる海を体験した事があるので、その恐怖が少し分かります。

そんな時は写真なんか撮る余裕なんかありません。八幡さんのHPに荒れた海の写真が殆ど無いのはそのせいと思います。

以下に南太平洋での楽しそうな写真をお送りします。是非、皆様も八幡暁さんの

~偉大なる海人達を訪ねて 一万キロの人力航海~

http://www.churanesia.jp/gsp/ をご覧下さい。縄文時代の人々が海を渡るときの様子が想像出来ます。古代の旅のロマンです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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上の図で赤線がすでに航海した部分で、緑がこれから航海する予定のところです。

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