この本は2011年5月20日に出版された「講談社現代新書」です。中央公論新社の「新書大賞2012」を受賞した349ページの本です。例によって読書好き家内が買って、面白いからと言って渡してくれた本です。
読んでみて、さっぱり面白くありません。
社会学者が「キリスト教がヨーロッパ社会を作った」という荒っぽい仮定を立てます。よく聞く凡庸な仮定です。
だから日本人はキリスト教のことをもっと詳しく知らなければいけませんと言います。
大澤さんが「まえがき」で書いています。キリスト教のことを「わかっていない度合い」でランキングをつければ日本がトップになると主張しています。
そしてキリスト教の歴史的な変化を、ああでもない、こうでもないと詳しく教えてくれます。一言で言えば、「キリスト教の変化の過程を社会学的に詳細に説明した本」なのです。
要するに従来から沢山ある「教養としてのキリスト教」の社会学版なのです。
私、個人は最近このブログで紹介した山浦さんのケセン語訳「イエスの言葉」の方を圧倒的に面白く感じました。この本には山浦さんの独創的な発想が沢山書いてあります。
大澤さんと橋爪さんの本には何処が自分達の独創的な説なのか、何処が西洋の学者の説なのか明快に書いていません。その反対に西洋の国々の社会の変遷の歴史とキリスト教の教義や教会組織の変化を詳細に対話形式で描いています。その点では大変優れた本です。
この類の本を読んで面白く感じる人と退屈に感じる人を分けると以下のようになります。
(1)キリスト教の教義と教会組織が国々と時代によってどのように変化してきたか詳細に知りたい人にとっては面白く読める本です。
対話形式で書いてあり、分かり易く、論旨は明快です。とくにギリシャ正教、ロシア正教、(そして日本正教)にかんする記述はキリスト教徒の私にとっても大変有り難い説明でした。
この本を読んで感動する人は知識を広げることに生きがいを感じる人々です。(家内がその例ですが)。
(2)退屈に感じる人は著者の新しい、独創的な考えが沢山書いてあると想像して読み進めて行く人々です。知識は最低限にしてもらいたい人々です。
「まえがき」で大澤さんが日本人はキリスト教のことを一番分かっていないと断言しています。しかし「分かっていない」という言葉の意味を定義していません。
知識として理解しているなら日本人はアジアで一番です。洗礼を受けた人の数は最低です。知識として分かるということを「洗礼者の数」と混同しているのです。
大澤さんと橋爪さんは、何故日本人はキリスト教をよく知っているのに洗礼を受けないのかという問題を無視しています。この問題を社会学的に書いてくださればもっと面白い本になったのです。
金儲けがしたい。戦争をして多民族を征服したい。この欲望は根源的な動機です。その色々なあらわれ方によって政治体制や社会体制が出来上がって行くのが自然です。宗教の影響も少しはあります。それを過大評価してプロテスタント的信仰をが「資本主義」の基盤になっていると強調しています。それでは共産主義の中国で、何故驚異的な経済成長が続いているのでしょうか?その事実は無視しています。
プロテスタント的信仰が「資本主義」の基盤になっているという理論は真実の半分も説明していません。しかしその論理の組み方が面白いのです。学問的に面白いのです。独創的だから多くの学者もその説を引用するのです。
さてこの本が何故、中央公論新社の「新書大賞2012」を受賞したのでしょうか?審査員の過半数が多くの知識が書いてある本は良い本と信じているからです。そしてその詳細を極める知識を整理し、体系的に分かりやすく書いてある本は良い本だと信じています。独創的な見解や説明が書いていなくても知識の多い方が偉いのです。日本の学問の風景を映し出しているのです。大学受験で知識の暗記を重視するのと同じ文化なのです。それで幸せを感じる人々は絶賛する本です。
その観点からみると優れた本です。内容の濃い本です。しかし私は尊敬できない本です。
それはそれとして、今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
なにか込み入った内容の書評でしたので、頭を休めて頂くために先日撮ってきた佐島港ののどかな風景をお送りいたします。