後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ある女の一生

2012年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログの記事にいつも、コメントを下さるサッチ~さんという女性の方がいらっしゃします。

コメントは短い文章ですが、情感豊かで、何故かしみじみさせられます。どのような人生を過ごせばこのようなコメントが書けるのでしょうか?何となく興味が湧いてきます。

そこで数多くの過去のコメントを繋ぎ合わせて、その方の人生を偲ぶよすがにしたいと思いました。子供の頃から少女時代、青春と、長い結婚生活、そして終の棲家を鎌倉に決めるまでがボンヤリ分かるように繋いでみました。

私はこのような読者を持ったことを誇りに思います。嬉しいです。感謝します。

このブログは何時も同じような花々の話や樹木の話です。興味本位の面白い記事はありません。静かな記事だけです。それにもかかわらず読み続けて下さる方々が居るのです。

読んでコメントを下さる方々へ感謝します。

勿論、コメントを下さらない方々にも、素晴らしい方が沢山居ると信じています。

私は全ての読者を心から誇りに思っています。その一例を下に示します。

======サッチ~さんという女の一生========

子供の頃に住んで居た家の追憶

子供の頃、庭に大きな鈴かけの木が二本あって、台風の時にはユサユサと大揺れし、翌日は落ちた実を拾うのが楽しみでした。

今日は温帯性低気圧に変わった台風の風が吹き荒れ、雲の早い流れに心が揺さぶられるように感じる一日でした。

こちらのページ記事を拝見すると、懐かしい鈴のような実が落ちていてビックリしました。

仙台のお話に続いてこのお話を読んで、私も深い寂しさと懐かしさの入り混じった気持ちを感じました。

遊び場は明治神宮外苑と青山墓地

小さい頃は生家のすぐそばの外苑で良く遊びました。

白松となんじゃもんじゃの大木と広い芝生の中に現れる絵画館の中には明治天皇にまつわる大きな軍隊の絵画が主に飾られていますが、木々の間から海を臨み見るような小さな風景画が一枚だけあり、小さい頃の私のお気に入りでした。

その絵が10年ほど前に大沢たかお主演の「解夏」という映画の伏線となって登場し、切ない内容と相まって胸が締め付けられました。

小さい頃の夏には絵画館前は窪地に水を張って無料プールになり、セミの声と子供達の歓声が溢れる最高の遊び場でした。

外苑の緑の中を寂しさと懐かしさを抱きしめてゆっくりと散歩してみたい気持ちになりました。

そして、墓地の散歩が好きという記事を拝見させていただいておりますと、私も子供のころからお墓で遊ぶのが大好きなので、つい笑ってしまいました。

お墓に刻まれた年号を見たりしながら、その方の生きていらしたころを想像すると同じ時代を共有しているようにワクワクしてきてとても楽しいのです。

実家の墓地は青山なので、亡くなられているとはいえ明治の大君のお墓がたくさんあり、だれにも気兼ねせずに気軽にお邪魔できるのですから嬉しくなってしまいます。

外国でも墓地には寄り道したくなります。

生前を忍ばせる言葉や彫刻が美しく飾られていることもあり日本とはまた違った趣です。

どちらでも皆様静かにお休みになっておられますが、帰り道は振り返らずに来た道と違った道を通るようにしております。

今は亡き父母から教わった怖くてちょっとドキドキするお墓の楽しみ方の一つです。

(その母は私の心のよりどころでした。それなのに中学生のころに亡くしました。母はマリア様のように身も心も美しく博愛の人であったのです。母の洗礼名はマリアです。)

今度どこかで見知らぬお墓に立ち寄る時には藤山様にならいまして「お邪魔してもよろしいですか?」と心の中で尋ねてみようと思います。

少女の頃、イエズス会のイグナチオ教会へ14年間通う

イグナチオ教会は、少女時代に学校の関係で14年間通った教会です。

聖書を勉強することは、西欧の思想を深く知る上でも、一般的な古典としてとらえても、教養を深める学びの場として適切であるかと思います。

中高年にとっては、人生を省みる良い機会になりそうです。

いつも深い示唆をいただき感謝しております。

・・・そして白鳥の記事を見て、BeatlesLet it beの歌詞を思い出しました。

ありがとうございました。

父が熱心な仏教徒、母がクリスチャンの私の心の中のわだかまりが溶けるような内容でした。ありがとうございました。

大学の思い出とドイツの思い出

Fulbright Fellowships とは、その名のとおりの留学体験ですね・・・

私が大学生のころの教授にはフルブライトの経験者が何人かいらっしゃいました。

経済成長期に豊に育って気持ちが弱い私達学生よりも、青年のような真っ直ぐな方が多かったような気がします。

話は変わりますが、子供の頃、ドイツに行きました。

藤山さんも行っていた頃の1971年に私もドイツに行ったことがあります・・・

まだ子供の頃ですが夏休みに1ヶ月間学校主催のヨーロッパ旅行に行かせてもらったのです。

憧れのファッションの都パリも、大好きなビートルズのロンドンも行ったのですが、一番美しいと感動し食事もおいしかったのは地味なはずのドイツでした。

今でもあのころのままの懐かしい風景ですね!

ドイツで買ったシュタイフのぬいぐるみを抱いて日本に帰りました。今でも大切にしています。

結婚生活のある情景

栃木県庁の目の前の屋根のある部分のベンチに、いつもいつもホームレスがいました。

どういう表現が正しいのかわからないのですが、荷物も少なくダンボールなどを使って横になっている姿は、それまで見たことがありませんでした。そして彼は常にそこにいたのです。

私は毎日のように犬の散歩で彼の前を通り過ぎました。

秋が深まる頃、私は夫に「こんなところで冬を過ごしたら死んでしまうよ!なんとかならないの?」と相談しましたが、彼は「好きでやっているんだから放っておけ!夜はどこかに移動して寝ているんだよ。自己責任なんだから。」と相手にしてはいけないと言いました。

県知事も通る県庁の前です。

誰かが手を差し伸べるだろうと私も何もしませんでした。

ある極寒の冬の日、そこを通りすがると彼の姿はなく、ベンチには人が寝転がれないように3分割するような手すりがつけられていました。

彼は保護されたと思いたいけれども、おそらくは凍死したのでしょう。

「愛の反対は無関心」マザーテレサの言葉が胸に刺さります。
===夫の転勤でいろいろな土地に住む========

ウツギ可愛いですね~

深紅から純白までありますよね^^

何回も挿し芽で増やしましたが、転勤で移動するたびに残してきました。

自然に混じるのか絞りのようになったりもしますね・・・

思い出の各地の庭で何色の花が咲いているのでしょうか・・・

今の時期に雑木林を歩くと、エゴノキの香りに誘われてでしょうか、古い記憶が蘇ります。

終の棲家

12月に東京の住居をたたみ海の近くに引っ越ししました。

実家を売り払い子供のころの思い出と別れる寂しさを経験しましたが、越してきてみれば幼いころに母と桜貝を拾い集めた由比ガ浜まで車で10分かからない場所です。

子供のころの幸せな記憶に救われることは本当に多いですね。

同じように子供のころの辛い思い出から立ち直るのも容易なことではありませんが

=====終り==========007

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矛盾した考え方があなたを幸せにする(3)親子の不仲を解決出来ます

2012年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

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親子関係は良いのもです。愛情で結ばれ、いつも暖かい感情が流れています。しかし親子の関係ほど深刻で危険なものがありません。時々、父親と息子の間に深い溝が出来、憎しみ合うことがあります。母親と娘の間も例外ではありません。

親はとかく自分の価値観や生き方を子供に押しつける傾向があります。特に英才教育と称して幼少の頃から音楽やバレーや絵画の訓練を強制します。

子供を喜ばせようとしてピクニックへ連れ出します。山へ登ります。キャンプもします。

しかしそういう事を、子供が脅迫に感じることがあります。子供の不幸の原因になるのです。

バレーや音楽の国際コンクールで一位になった若い人が親のお陰だと感謝の言葉を言います。それは親のお陰よりも「才能」のお陰なのです。才能が無いのに苦しい訓練をさせらている子供の数は想像できないほど多いのが普通なのです。

子供の為にと思ってキャンプをしたり、海外旅行へ連れて行ったりします。大抵の子供は喜びますが、なかには心の底では、そういう生活を嫌がっている子も居ます。

親は子供の一生の幸せを考えて子供の職業に意見を言い過ぎます。

親子の間の断絶や、不仲の原因は親にある事が多いので。それを無視して親不幸な子供を親が説教するから余計断絶が深くなるのです。

親子の間の断絶や、不仲を解決する方法は簡単ではありません。

よく世の中の識者が、親と子供の双方にもっともらしい忠告をしています。新聞の「身の上相談」の欄には親子関係に悩む人の相談が後を絶ちません。

親子はお互いに優しい言葉を言いましょう。季節、季節には心のこもった贈り物をしましょう。たまには一緒に食事をしましょう。孫が居るなら、その孫を時々親の所へ連れて行きましょう。などなどと忠告しています。

しかし私はまったく矛盾した考えを持っています。それはまず親子の縁を切ることです。現在の戸籍法では縁を切ると言っても何の違いもありません。そこで子供は親と離れた場所へ引っ越して、親とは全く違う職業につきます。そして親子の付き合いを全く止めてしまうのです。

要するに親子が他人のようになるのです。それを10年間続けます。いや20年でも30年でも続けます。自分が70歳になったら親子の関係を修復すると決心だけします。

すると親は、「子供が生きているだけで自分は幸せだ」と思います。

子供は、「そうかあの厭な親は私の為になると思っていろいろ強制したのだな」と思います。

そうです。お互いにこのように思い始めるのです。まず10年の絶交は必要です。いや20年、30年かかるかもしれません。

そして人間は大体70歳になると親を許す気持ちになります。子供を許す気持ちになります。こうして「老境が光り輝く季節」になるのです。

親子の関係は修復しようと努力してはいけません。絶交をすいることです。

しかし上に書いたことを信じないで下さい。こんな発想方法もあると時々思い出してくれれば、あなたの親子関係が穏やかになります。

あなたの親子関係は円満で温かい関係でしょうか?もしそうなら神に感謝です。

今日も皆様のご健康と平和のためにお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿絵は石塚園芸の品種改良したサクラソウとシクラメンの花です。

なお石塚園芸については、新種のサクラソウの花を作っている園芸店をご紹介しますという記事をご覧ください。

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