後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

書評を書評すると、

2008年07月17日 | 本と雑誌

読売新聞の日曜版には書評が出る。先週の日曜版では11,12,13ページが書評欄であった。毎週読んでいて何時も苦々しく感じることが2つある。

(1)取り上げる本は学術書のような本や哲学、思想、歴史などの堅い内容の本が多すぎる。本屋の店頭で良く売れている本は無視されすぎている。

例えば、7月13日に取り上げている本の名のみを記すと、「アンのゆりかご」「C・S・ルイス評伝」「キリスト教修道制の成立」「マドンナ 永遠の偶像」「玉ねぎの皮をむきながら」「武装親衛隊とジェノサイト」「中国 危うい超大国」「吉野作造と中国」などとなる。題名を見ただけで堅い内容の本であると想像がつく。

「マドンナ 永遠の偶像」はポップス界のスターの暴露本のような題目だが、むしろスター・マドナをイコン(マリア聖画)に比べつつ彼女の宗教性、特にカトリック信仰とのかかわりを分析した宗教的心理分析書のような内容である。

「中国 危うい超大国」は如何にも中国の脆さを種々の視点から指摘した読み物風の内容を暗示する題目だ。しかし、そうでは無い。著者はクリントン政権時代の対中国政策担当の国務次官補としてアメリカの外交政策を作っていた。従って内容は國際政治力学からの中国分析で、日本人が書いた中国の弱点を並べた読み物とは異なる。

あまり売れていない本でも重要な本はある。問題はどのような理由で重要であるか?この問いに評者が明解に答えていない。従って何故その本を選んだのかが理解出来ない。そして難解な堅い内容の本だけが並んでいる。難解な本を並べれば読者が恐れ入って敬服するとでも思っているのか?あるいは読売新聞の社会的な地位が上昇するとでも思っているのであろうか?全く寒々しい文化風景である。

(2)書評の文章が分かり難い。

何故この本を選んだか?内容の独創的な部分は何処か?この本の優れているところは何処か?弱点は何処か?従来この分野の本と比較し、どのように新しい視点や考え方を提案しているか? と順序良く整理した書評にして貰いたい。明解な構成の書評が少なすぎる。

難解な言葉が多すぎる。自分の知識・学力を自慢しているような書評が多く、取り上げている本の内容を簡潔に紹介していない。従って書評を読んでも内容が想像出来ない。

例えば社会学者の佐藤卓己氏の文章、・・・・こうした社会的文脈をもつ自伝は、「文学」の枠組みを超えている。・・・・

皆様、意味がご理解できますか?誰も自伝を文学だなどと主張していないのに文学などという言葉を持ちださないで下さい。

ここは・・・・著者がナチス親衛隊にいたころの気持ちを書いた自伝なのでその頃のドイツの社会的な雰囲気が描いてあります。・・・・と書き直せば意味が分かりやすくなりますね。

書評を担当しているのは、社会学者、國際政治学者、英文学者、西洋歴史学者などです。学者が新聞に書く場合には、一般人が理解できるように書くべきです。書けないとしたら学者がその本を本当には理解していない証拠です。

これに比べると、学者でない橋本五郎さんが書いた、「吉野作造と中国」の書評は明解です。

学者の書く書評よりブログ文化圏の言語のほうが分かりやすいとしたら大変なことではないか? 人々がより分かりやすい言葉を好むのは自然なことです。困った問題です。 皆様のご意見は如何でしょうか?     (終わり)


皆様にもお考え頂きたい意見をご紹介します

2008年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

若者のブログも良いです、と言う小生の記事へ対して、下のような貴重なコメントを頂きました。皆様にも深くお考え頂きたいと思い、ブログトップページでご紹介します。   =================================

若者のブログを読みもしないで、極端なことを言って申し訳ないが、常日頃思うこと故、貴殿の若者ブログへの思いと反するかも知れぬが、敢えて発信する次第です。
 そもそも年上でも目上でも、敬意を表さず、友達感覚で話し、ブログ上で会話する、またそれを時代の流れと容認するところに、今の時代の大きな歪が生まれ、そこから起こって来る(関連づけるのは一方的かも知れぬが)考えられぬ様な事件の数々、起こってから、ああでもないこうでもないと言っても遅いのであって、そうしたことを起こす社会環境を立て直すことが必要なのではと思うものです。原因を除かず、結果のみへの対処のみでは、根本対策にはならぬわけです。14歳の少年がバス・ジャックを起こす時代をどう理解すればよいのか、その様な少年を育ててしまった社会環境があるのでは。
 ”親しき仲にも礼儀あり”の精神は何時の世にあっても必要なのでは、尤もこうした事を馬鹿にする、今の若者(勿論全てではないのですが)世代をうみだしたのも、我々世代に責任があるのかも。これも戦後とられた、日本に対する米国の政策の思う壺であったのかも。(少し穿ち過ぎかも) 投稿 zebra1192 | 2008/07/17 10:42 =================

是非、皆様からのコメントをお願い申し上げます。      (終わり) 

早速、鬼家(オニイエ)雅雄さんと乾燥芋のおにいちゃん から考え深いコメントが届きました。コメント欄を是非お読み下さい。お二人へ感謝申し上げます。

      挿絵のつもりで林の道沿いに咲く紫陽花の花の写真を掲載します。

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素晴らしい歌声をお届けします。

2008年07月17日 | うんちく・小ネタ
ブログには自分で作詞・作曲した歌のCDを宣伝しているのもあります。
でもこのEicaさんのブログにはそれが感じられません。純粋に聴いてくださいという感じの編集です。中央の動画だけでなく、左のサイドバーの試聴のところにも数曲あります。アメリカ、ハワイにお住いですが、その歌声を皆様も直接聴けるのです。インターネット技術のお陰です。下記は小生とEicaさんの遣り取りです。
===小生からEica さんへ================
動画のゆっくりしたテンポの深い歌声に思わず聞きほれました。
素晴らしいお声と歌唱力に感動しました。
小生のブログで、ご紹介させて頂きたいと思っています。
記事掲載にあたって、ご出身地、何故ハワイなのか?もう少し個人的な情報を1、2、お教え下さいますと、少し興味深い紹介記事が書けます。よろしく御願い申し上げます。
おやすみなさい。 藤山杜人より、、、
=======Eica さんからの返事==============
藤山さんへ

はじめまして。曲へのコメントどうもありがとうございます。
藤山さんのブログで私の曲をご紹介して頂けるなんて、本当に嬉しく思います。

それで、ご質問への回答ですが、この私のブログの左側にあります、カテゴリー( categories)の欄にプロフィールがあります。そこの音楽歴を見て頂ければ、ある程度分かって頂けるとは
思うのですが、何故、ここハワイかと申しますと **
私は、愛知県出身で、1991年に渡米、結婚、子育てなどを経て、11年間は北カリフォルニアで過ごし、2003年、このハワイ島に移って参りました。今、やっと自分を表現できる音楽に没頭できる時間ができ、今年から勢力的に活動をしてきたいと思っています。
こんな感じでいかがでしょうか?宜しくお願いします。  アロハ~
================================

URL はhttp://blog.livedoor.jp/eicanouta/ です。Eica さんの歌をゆっくりお楽しみ下さい。    (終わり)


ちびた さんのブログをご紹介します

2008年07月17日 | 国際・政治

自分のブログを多くの人々に読んで貰いたい。それで、「みんなの足跡」というネットワークへ登録した。すると、このブログを訪問してくれた人々の足跡が残る。その足跡をクリックすると訪問してくれた人のブログを読むことが出来る。

訪問してくれた多くの若々しい人のブログを読んでいるうちに感動したことがいくつかある。

1)日常生活を大切に、前向きに、一生懸命に生きている人が多い、

2)ブログの記事へ対して多数の人々が短い、気の利いた、そして建設的なコメント   を投稿している。気軽にコメントを送っている。

今回、ご紹介する、ちびた さんのブログも瑞々しい感性で毎日見聞きしたことを写真や文章で説明しています。例えば、近所の畑のヒマワリの花が突風で倒れたときの写真と記事は、いきいきとして、残念と思う気持ちがよく出ています。それに対して32人の若い人々のコメントが、ガッカリしている、ちびた さんを心優しく慰めています。詳しくは、このURLへ、どうぞ!

http://chibita.blog.tsuge.jp/

しかし、老人が若い人のブログを読む場合に準備しておく事がいくつかあります。

1)書いてある言葉や、言葉使いが若者の話し言葉そのままであること。

書き言葉と話し言葉が完全に同じになっている。驚かないで下さい。

2)ブログを書く人も、読む人も、完全に平等で、親しい友人として会話している。したがって敬語や丁寧語は一切使わない。老人文化では初対面の人には敬語を使いますが、ブログ文化にはそれが有りません。

3)ブログで使う人名は「ちびた」とか「ゆき」とか平仮名、2文字、3文字が多い。その軽々さを、老人は軽蔑しがちです。しかし内容を根気よく読んでみると意義深いブログであることが多いのです。ブログ文化圏では外国語を読むつもりで根気が必要です。

以上3つの心の準備をして、ちびたさんのブログを是非ご覧下さい。(終わり)


恐ろしい写真をお送りします

2008年07月16日 | 写真

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お酒の写真を撮って、ご紹介すれば、酒好きの方々に喜ばれると思いました。でも、あまりにも大量の酒類の山の写真を見て、空恐ろしくなってきました。こんなにも多量の酒を人々は夜毎に飲んでいる様子を想像して。

見たくない方々の為に小さなサムネイル写真にしました。ご覧になりたい方は、ご自分のお好きな酒をお探し下さい。日本酒、焼酎類、スコッチウイスキー類、ワイン、そしてビール箱の山積みの順になっています。値札も見える写真です。買って、飲んで、味を空想して、お楽しみ頂ければ嬉しいです。

筆者の好きなものはジョニーウオーカーの赤ラベル、それにさっぱりしたカテーサーク、少々余裕のある時はジョニ黒となります。

年老いてスコッチも強すぎて、最近はビールばかり。でもスコッチの味を思い出して楽しんでいます。(終わり)

撮影日時:7月16日午後2時頃、撮影場所:小金井市と小平市の境近辺のある業務用スーパーにて(一般客も歓迎)


私の東京ステーション

2008年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

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あれは昭和17年の夏だった。東京駅、中央通路に白いタイル貼りの円形水槽がある。数十匹の小魚が群れをなして円周に沿って一斉に泳いでいる。連戦連勝で日本中が湧いていた頃。仙台の大学で働いていた父が、夏になると兵庫県の田舎へ帰省する。あの小魚の群れは鰯だったのか、ハヤなどの淡水魚だったのか知らないが、6歳の幼児の網膜に焼きついて一生忘れ得ない。

翌年、昭和18年夏、魚の群泳を楽しみにして東京駅中央通路へ行く。無い。魚が居ない。空の白いタイルの水槽があるだけ。のちに考えると戦争が負け始めたのか、魚の水槽どころではなくなって来たのだろう。

そして何年も時が流れる。少し気持ちが少し落ち着いた。そんな時分に内田百閒の「百鬼園随筆集」や摩阿陀会に関する話を読んだ。百閒さんが好きになってしまう。鋭い人間描写を彼一流のユーモアをまじえて書いている。短い文章でも、味わい深い随筆になっている。つい吸い込まれるような作品が多い。

彼の書いたものには何時も東京ステーションホテルのダイニングが出て来る。

作品が好きになれば、関係する場所へも行ってみたくなる。1970年ころから東京ステーションホテルのダイニングへ時々行った。重厚な赤レンガの建物で、内装はヨーロッパ風のシックイ壁。昔風の黒い鉄の窓枠の外には、一番線の電車から新幹線の列車までよく見え、旅情をかきたてる。

ステーションホテルの正面入り口の階段を上がった所にウイスキーも出すコーヒー店がり、そこにもよく通った。仕事で人と会うときはよく使った店である。昼間はコーヒー、夕方になるとウイスキーの水割りと、どちらにしても便利な場所であった。

また何年かたった。丸の内中央改札口を出て右手にステーション・ギャラャリーが出来た。時々、絵画の企画展をするようになった。あれは20世紀が終わり、21世紀が始まった頃だったような気がする。

「戦没画学生の遺作展」があった。ポスターには母のような女性が描いてある。出征する前に精魂込めて描いた絵だ。企画展では数十枚の油絵が展示してある。戦争で死んだ画学生の作品。家族の人物像が多い。征く前に寸暇を惜しんで描いている。時間が無くなり、未完成のものもある。

パンフレットに遺作画を常時展示している、「無言舘」のことが紹介してある。泊がけで訪ねて行った。

無言舘は、長野県上田市、別所温泉近くの山中にある。車で、山の中を探しあぐねた末に辿り着いた。

鎮魂という言葉を連想させる、修道院のようなコンクリート製の建物がある。

戦没画学生の作品を常設展示している。館長が遺族を訪問し、一枚一枚集めた絵画である。

フォトアルバム「山林の中の小屋」の中に、無言館で買った絵葉書が出ている。本文末尾に再掲載しておいた。戦没画学生の絵の企画展のポスターに使われた絵である。

昨日、東京ステーションホテルやステーションギャラリーの写真を撮りに行った。

思わず、「ああ!来るのが遅すぎた!!」と声を出す。大改修中でホテルもギャラリーも完全閉鎖で、窓にはカーテンも無く、殺風景な様子。しばらくして、気を取り直し、工事中の無粋な塀が映らないようにして、東京駅の写真を数枚撮ってきた。

私の東京ステーションはセピア色の写真になってしまった。(終わり)

付記:フォトアルバム「山林の中の小屋」の写真を下に出しておきました。

12月末の小屋のデスク、クリスマスカードを数枚外国へ送る


技術者達の狭い視野

2008年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

横浜駅ビルのあるレストランで大学のクラス会がありました。30人のクラスで、東京近辺在住の10名位が4ケ月毎に昼食会をしています。ある国立大学の工学部を卒業して、重厚長大の会社で一生技術者として働いてきた人々です。全員、1958年卒業と同時に八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管、三菱重工、石川島重工、日本製鋼所、などへ入社しました。定年後、暇になって絵を描いたり、水泳へ通ったり、読書をしたりしています。外国へ蝶々の採集へ行っている人もいます。

この会合で皆が実感を込めて反省の弁を述べていました。

「自分たちは狭い視野でのみ技術のことを考えてきた!」、

「つき合う人が同じ会社の技術者だけで、雑談でも技術のことしか話さなかった」、

「世間には色々な人が居て、考え方が皆違うということが最近になってようやく理解できた」、

「日本の歴史のことはほとんど何も知らなかった」

そして、このブログを毎日欠かさず読んでくれる人が居て、言っていました。

「ブログを広く読んでいると、実に種々の考え方や、生活の仕方があるものだと分かります」

小生も全く同意見で、ブログを始めてみて、世間の広さ、多種多様な生き方があることに感動しています。

技術者は視野が狭く、自分の専門の技術にしか興味を持ちません。現在もあまり変わりは無いようです。ブログには現れない珍しい人間達なので、ご紹介してみました。面白くない話とは思いましたが。(終わり)


湖の男の隠れ家の夏季休業

2008年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

006_2 この写真は「男の隠れ家」から外の社会を覗いたところです。

なにやら忙しそうに行き来する人々が見えます。何時もこうしてコーヒーを淹れるのです。でも昨日は猛暑。キャビンがサウナのようです。コーヒーどころではありません。

男の隠れ家を秋風の吹き始める季節まで夏季休業することにしました。

007_2 休業まえの最後のクルージングへ出ました。

このような風景もしばしお別れです。

032_2 甲板、屋根などに洗剤をかけてデッキブラシで洗い流しました。

キャビン内部も整理整頓し、雑巾がけもしました。

これは前部の寝室の夜具をかたづけた後の様子です。

004_2 メイン・キャビンも整理し、流しやコンロも拭き掃除をしました。

それにしても70歳までは夏こそセイリングの季節と足繁く通いました。 昨年、71歳からは夏季休業をすることにしました。何事も年相応に無理をせず楽しむことが重要です。

撮影日時:7月14日、撮影場所:茨城県土浦港にて(終わり)


霧の中、沖へ出て行くタグボート

2008年07月14日 | 写真

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重々しいタグボートが霧の中を沖へ出て行きます。沖の湖底から掘り出した砂利を満載した大型運搬船を引っ張るために出て行くのです。霧のお陰で北欧の海を行くタグボートのような風景なので思わず写真を撮りました。(終わり)

撮影日時:7月14日午前11時頃、  撮影場所:茨城県土浦港、港口にて


暑いので、寒い写真をどうぞ!

2008年07月14日 | 写真

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今日は今年の前期最後のヨットに行きました。あとは秋風が立つころまでヨットは休業です。

炎熱のなか甲板、屋根、を洗剤とデッキブラシで洗って来ました。キャビンの中も雑巾がけをしました。汗が滝のように流れました。

あまり暑いので、帰宅後、寒いときの写真を見つめていたら涼しくなってきました。

手前の牧草地には40cmも雪が積もり、その向こうには厳寒の高空に甲斐駒がそびえています。

暑い、暑いと感じている方々は、この写真を視て、寒さをご想像になり、涼しくなって下さい。如何でしょうか?涼しくなりませんか? (終わり)

撮影日時:2008年2月,撮影場所:山梨県北杜市武川町真原の牧草地


ヨットのプロとアマの見分け方

2008年07月14日 | うんちく・小ネタ

何にでもプロとアマがあり、その間には大きな距離があります。ヨットを趣味にしているとそんな感想をもちます。

1962年にヨットで太平洋を単独横断した堀江健一さんは、その後、単独無寄港世界一周を2回もしています。ずうっと後になりますが、女性の今給黎教子(いまきいれ きょうこ)さんも単独無寄港世界一周をしています。

自分が少しだけヨットを帆走してみると堀江さんや今給黎さんの勇気と根気良さに感動します。荒れる海原を無寄港で何ヶ月もセイリングするのです。陸の見えない、孤独な日々が何日も続くのです。堀江さんや今給黎さんは天才です。論外です。

今回は、その他の多くのヨット乗りのプロとアマの見分け方を書いてみます。

(1)アマは、平日は働いていて、週末の昼間だけヨットに乗る人。

(2)プロは、普通の会社勤めをせず、何日も夜を徹して長距離のセイリングする人。(ヨットハーバーなどで働いていて修理、回航、雇われ船長、中古ヨットの評価などなどを仕事にする人も多い)

夜のセイリングは怖いです。陸が完全に見えなくなる海上も怖い。そんな経験を一度だけして、昼間だけのヨットマンになってしまった。

臆病な人は昼間だけで十分。このレベルのヨット乗りをアマとしましょう。

するとプロとアマの間にセミプロの一群がいます。普通の会社勤めをしている。しかし、年間に何回か長期休暇を取り、数日の外洋帆走を楽しむ人々をセミプロと言います。

小生の隣りにヨットを置いている Y氏はセミプロです。霞が浦を縦断し、利根川を下り、九州まで帆走しています。いつもニコニコ柔和な笑顔を絶やしませんが、その勇気と根気に感心します。下の写真は如何にもアマのような帆走ぶりなので掲載しました。前帆が風を掴んでいませんね。(終わり) 

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キリスト教の礼拝・ミサへご案内します

2008年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム

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我々は時々お寺へ行きます。お葬式や法事です。神社にも行きます。元日や、七五三のお祝いの時に。神式の結婚式へも出ます。

仏教や神道のことは、なんとなく理解しています。しかしキリスト教のことを理解している人は案外少ないと思います。本をいろいろ読んでも理解しにくいものです。

そこで今日は簡単に理解する方法をご紹介します。

それは日曜日の礼拝へ出席することです。。

教会の礼拝では、信者でなくても歓迎されます。見学のために気軽に入り、後ろの席から観察するのです。

キリスト信者になりませんか?などと話しかける人は居ません。面倒くさい会話は一切ありません。見て帰ってくるだけです。信教の自由をおかすような人々は居ません。

一番上の大きな写真はミサの最中の様子です。カトリックでは礼拝のことをミサと言います。プロテスタントでは礼拝、祈祷会、集会などと言います。

見学に行くためには、礼拝のある時間を調べます。下、左端の写真のように、教会の外にある看板に必ず書いてあります。

ミサを見学するときは、その右の写真のような受付の人の前で軽く会釈して、渡してくれる紙を、黙って、受け取り、入ります。

初めて来ました、などと言うと色々説明してくれる恐れがあります。一切無言が無難です。入り口はスウーッと入り、見学に良い席につきます。特に礼拝の次第は表示してませんが、唄う賛美歌の番号は、次の写真のように祭壇の左上に書いてあります。

あとは皆と合わせて、立ったり、座ったりして見学します。賛美歌は鼻歌で楽しみましょう。(形だけでも行動を合わせておくと、奇異の目で見られません)

ミサの間に献金を入れる籠や袋が回ってきますが、教会は入場無料が原則なので何もいれずに、隣の人へパスします。

礼拝の内容を大まかに書きますと。賛美歌に始まり、 1、旧約聖書、新約聖書の朗読、2、牧師か神父の説教、3、信仰宣言、4、お祈り、5、終わりの賛美歌です。

ところがカトリックではもう一つ重要な儀式が入ります。キリストの肉体を意味する聖餅を神父が一人一人へ渡す儀式です。下列、右端の写真の行列は聖餅を受け取る人々です。見学に行った場合はこの儀式はパスして、ただ座って見ています。

ミサは長くても1時間で終了します。

聖餅は水で練った小麦粉を小さな煎餅のように焼いたものです。

この儀式はかなり神秘的雰囲気で、プロテスタントの礼拝には無いものです。この聖餅の意義はいつかまたご説明します。

最後に、スウェーデンのストックホルム市での1972年の経験を書きます。それはプロテスタントとカトリックとスウェーデン国教の信者、誰でも出席できる礼拝のことです。

観光客のための礼拝のようで、キリスト信者なら宗派に関係なく参加出来ます。聖餅を配る部分ではカトリック信者だけが祭壇の側へ行きます。出席者の3割位だけでしたが。

このように宗派に拘らない考えこそ、イエス様が一番喜んでくれるに違いないと感動しました。 35年も前の思い出ですが。(終わり)

写真撮影:カトリック小金井教会,撮影日時:7「月13日午前10から11時


ありふれた名前ですが、野川をご紹介します

2008年07月13日 | 写真

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何処にでもありそうな名前の川ですが、ここでご紹介する野川は東京の西郊を流れ多摩川へ注ぐ小さな川です。武蔵国分寺裏の泉やお鷹の道に沿ったいくつかの泉、そして日立製作所中央研究所の森の中の泉などの清い水を集め、国分寺市、小金井市、調布市、世田谷区を通って多摩川へ注いでいます。

上の写真は武蔵野公園の中の野川の風景です。両岸には、幼児が水遊び出来るように、階段がついています。近所の保育院や幼稚園の幼児が遠足に行きます。子供連の家族や老人にも人気があります。

シベリアへ帰るのを止めた鴨類が一年中住み着いています。以前は下水が混じっていましたが、下水道の完備で清流になりました。JR中央線、武蔵小金井駅から下り坂をおりて、1.8kmです。是非一度ハイキングにお出で下さい。(終わり)

撮影日時:7月12日午前10時頃、撮影場所:小金井市南部、都立武蔵野公園内


使ってはいけない日本語

2008年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

日本人は日本語を使う。当然と言えば当然だが、使う人々の言葉へ対する考え方はいろいろ。大別すると三つになります。

1)言葉には思い出や連想がまとわり着いているので他人に悪いことを思い出させる言葉は使わない。

2)言葉は独立して悪魔になってしまった言葉があるので、その言葉を自分も他人も使うことへ反対する。

3)西欧合理主義から考えると言葉はそれ自体、神にも悪魔にもなれない。人間の使う単なる道具に過ぎない。それに連想や思い出をまとわり着かせるのは言葉の便利な機能を阻害させるのでしてはいけないことだ。

皆様はどの分類に入りますでしょうか? 1)と2)の境界はあいまいな場合が多く、3)の立場ほど判然とはしませんね。

日本語では、1)や2)に考えられる言葉は成るべく使わないようにするのが良いと思います。他人の心を傷つけるかも知れないからです。

例を挙げます。原子力、愛国心、靖国、大東亜共栄圏、満州、支那、陸軍、海軍、軍艦、戦闘機、などなど第二次世界大戦の間に盛んに使われた言葉は使ってはいけない言葉です。それが証拠に我が国の自衛隊では海軍や陸軍という言葉は禁句です。新聞でも満州、支那、陸軍、海軍、軍艦、戦闘機、などはあまり使われません。

しかしアメリカ人は、海上自衛隊はNavey、陸上自衛隊はArmyといいます。言葉の機能が欧米とは違う日本文化を理解出来ないからでしょう。

愛国心や原子力発電を取り上げたので、こんな感想を書いてみました。(終わり)


竹西寛子「五十鈴川の鴨」、そして原子力発電(続き)

2008年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

福井県敦賀市の郊外に「文殊」という原子炉がある。新型の原子力発電炉である。

10年以上前に液体ナトリューム漏れを起こし、少しの放射性物質が工場の外へ排出された。死傷者は居なかった。高温工業ではよくある軽微な事故である。

当時、原子力関係の仕事をしていたので事故現場を3度ほど見学した。後で見る限り工場施設の損傷も小さい。大騒ぎするのがおかしい。

しかし、新聞が原子力発電に対して大反対キャンペーンを繰り広げる。革新系の市会議員や県会議員がここぞとばかり大反対闘争を始める。人々の感情を煽り、選挙の時の票を集めようとする。反対論は科学抜きの感情論ばかりである。それ以来、文殊は10年以上も運転再開の政治的決定を待っている。何千億円という巨額の税金を浪費しながら。

「ああ、この国では科学は発展しない!!」と暗澹たる気持ちになったものである。

竹西寛子の「五十鈴川の鴨」を読み、久しぶりに文殊の事故を思い出した。そして小説に出てくる岸部には原子力発電に反対する権利がある。と、思う。何故かは知らぬが、そんな思いになる。しかし岸部は寡黙を守って死んで行った。原爆症の再発で。

そこで文殊の大騒ぎの原因を再度考えなおして見ることにした。

すると岸部の寡黙な一生とは異なった情景が見えてくる。

自然崇拝、原始宗教の国、日本では言葉も神や悪魔になり人々を支配する。古くからある「言霊」信仰である。村はずれにある巨木が神になり人々の幸を守るように。

原子という言葉は広島・長崎の原爆投下によって悪魔になった。原子力発電所はこの悪魔の砦。住み着いて将来人々を悲惨な目に会わせる。この信仰を持つ人々は原子力発電に反対する。人々の信仰は尊重しなければいけない。たとえ科学抜きであっても。

一方、技術者は原子力発電のコストの低さから普及させようとする。保守系の政治家は大電力会社の意見で動く。何故賛成するのか?そして何故反対するのかを考えないで。

英語のAtom は神でも悪魔でもない。単なる言葉という、人間の使う道具に過ぎない。

しかし原子力は原爆と同じ悪魔の人格を持っている。そうあからさまには言わないが、人々の心の奥ではそう信じている。それを非難しても仕方の無いことだ。それも日本文化の一部として受け入れるのが良い。皆様はどのようにお考えでしょうか? (終わり)