ここにモンタギューさんの在米25年間の差別がつきまとう生活の様子をご紹介致します。
私の差別に関する掲載記事へ対して公開コメントとして頂いたのを2つ繋げて編集したものです。差別を克服するのは自分の心の持ち方です。この結論に到達したいきさつが明快に分かります。皆様のご参考になれば幸せです。なお彼女は、「モンタギューたより」http://cyamazaki-heineman.blogspot.com/ というブログを書いていらっしゃいます。興味深い記事がありますので、あわせてご覧下さい。
========モンタギューさんからの公開コメント=========
最近は一切の差別をあまり気にしないような心境になりました。
こうした心境になったのも、在米25年の足跡がありました。最初、80年代にフロリダへ語学留学したおりのホストファミリーが黒人家庭でした。日本人から「ブラックイングリッシュを習いに来たのじゃないんだから、やめろ」と言われた事もあました。
私を受け入れてくれた人は黒人のシングルマザーでした。高級な住宅街に住み、職業は学校の校長先生でした。黒人のホストは差別されているのを当然と受け止めていました。
白人達との近所付き合いはなく、ラテン系からも差別されてました。英語の分からなかった私には、それが階級差別なのか、個人へのやっかみなのか、肌の色が原因なのか分かりませんでした。自分への風当たりが強いのも己の英語のアクセントのせいだとも思ったものでした。
ハイネマンという家名の夫の家族に認められてもらえたと感じたのもほんの数年前です。未だに英語でからかわれ、子どもや夫からはママは冗談が通じないといわれます。自分の境遇を笑い飛ばせないで、すぐに怒ったり、いらだちを感じます。
相手の胸に飛び込んで逆に嫌みたっぷりにからかってやるぐらいの気持ちになれたらどんなに良いだろうと思ったこともありました。
でも今、一番人の目が気になるのは、在米の日本人と付き合う時です。日本語で話し、同年代の人と時代を共有した事を話すのは楽しいものです。でも気を遣ってしまいます。
しかし最近は一切の差別をあまり気にしないような心境になりました。
私の努力というより周りがそんな私を認めだしたからだと思うようになりました。
ですから差別は、本人の気持ち次第という事も往々にあるようです。
ところで私のアメリカ人の夫のことを少し紹介します。夫はホスピスも以前していました。日本のホスピスの仕事は具体的にどんなものか知りませんが、アメリカでは本人に心の準備や穏やかになってもらうことを職務としていました。(詳しくは拙ブログで)
それで、義母、義姉、叔母、叔父とここ数年で亡くしたとき、周りにすごく感謝されました。正に本人のみならず、周りの心の準備にもなったからです。
仏教を学んでいる彼から、輪廻を信じないキリスト教の親戚は、七七日忌の意味を聞かされて、残った人々も平穏な気持ちになって行きました。感謝
=========終り================
今朝、このブログで、貴方は日本人でしょうか?(1)桜花の愛し方のいろいろ という記事を掲載しました。いつもコメントを頂く yuyuさんという方から痛快なコメントを頂きましたのでご紹介いたします。実は私も昔はこのように思っていたのです。懐かしさと嬉しさが交錯する複雑な気持ちが致します。
なおyuyuさんは郡山のお生まれで、人間国宝レベルの陶芸芸術家です。長い間愛知県にお住まいになっています。
========yuyu さんからのコメント==========
私はへそ曲がりかもしれません。当地で最寄の桜は淡墨桜です。但し,行ってきた人から聞くことは、桜をみるより 人を見てきたという事です。
渋滞はそれはひどいものだったそうです。それを聞くところはすべて敬遠します。
日本人は他人に影響されるのです。人が行くと行きたがる。嗜好が同じだから、集中するのです。それも自分本来の好みではなくて、人から受けた影響なのです。
極言すれば、人と同じことはしたくないのが私の正直な心です。
久々に上京して思うことは、どうしてこんなに群がるのだろうかと言うことです。
通勤ラッシュなどに遭いますと、私の歩みは、後ろから蹴飛ばされそうになります。
人間の本当の姿ではない気が致します。一極集中がさせる混雑です。
そして,最後に「昔の東京は良かったがなあ!」なのです。程よい時代の東京を知っているからです。
徹夜して,場所取りして、桜は「だし」で、酒を飲み交わす。それが楽しい人達の多いことも知っていますが、それは私と別の日本人達だと思っています。投稿 yuyu | 2010/04/20 10:44
=========終り================
実は私も結婚前は上記のような考え方を持っていました。しかし結婚した相手が原(げん)日本人のような人間で桜が大好きです。そのお付き合いと夫婦円満の為に毎年桜の名所を5、6ケ所も回る生活をして来ました。その訓練のお陰で自分も桜の美しさが深く理解できるようになったのです。
原日本人はルース・ベネディクト女史の「菊と刀」に活写されているように本来の日本人を意味します。家内と私の考え方の相違を深く考えて行くと「純粋な日本人」と「西洋の影響を受け、混じった文化を持つ人」の対比が明らかになります。
この対比は、「貴方は日本人でしょうか?」という主題をもった随筆シリーズでおいおい書いていきたいと思います。(終り)