後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

秋です、俳句を楽しんで見ませんか?・・・入門会のご案内

2011年09月26日 | インポート

BYOOL という社会人倶楽部のマネージャーのhanaさんから以下のような俳句の入門会のご案内がありました。優雅なご婦人のhanaさんが世話人ですので会の雰囲気も良いことと思います。

この秋に俳句の作り方を身につけたいとお思いの方々のご参加を期待しているそうです。どうぞ奮ってお出掛けになさるようにお願い申し上げます。

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俳句にチャレンジ! ~3ヶ月で俳句がわかる~
移りゆく季節の中で、日々の生活の中で、ふと俳句を口ずさめたら、
自分をなぐさめることにも通じます。
仲間同士で和気あいあいと句を発表し合い、共有できる時間を大切に
していきます。

俳句を作るのは初めての方でも、わかりやすくご指導致しますので、
ぜひチャレンジなさってください!

●第1回(10月25日) 17音のリズムになじむ
●第2回(11月22日) 季語に思いを託す
●第3回(12月20日) 身のまわりのものを詠む、そして旅を詠む

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日 時: 毎月第4火曜日(12月第3) 10:30-12:00
      (10/25, 11/22, 12/20)

場 所: Cafe & Gallery 『Roomer ルーマー』(世田谷区祖師谷、詳しくはhttp://roomer.jp/Aboutus/index.html に御座います)

受講料: 3,500円/回

講 師: 津高里永子
     NHK学園俳句講座専任講師。俳句結社「小熊座」同人。
     俳人協会、現代俳句協会会員。都留文化大学で兼任講師として
     ピアノも教えている。句集に『地球の日』、共著に『観賞・女流俳句の世界』
     (角川書店)、『はじめての俳句』(NHK学園の教材)など。

備 考: 途中の月からの参加も可能です。(終り)

離婚が増える原因・・・お互いを選ぶ能力が無いことに気がついていない!

2011年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

離婚は当たり前の事になる傾向が蔓延しています。子供へ悲しい思いを与える事まで考えると出来る事なら離婚を回避するのが最善です。

離婚の増える原因は女性の経済力の向上が大きな理由と言われています。離婚を罪悪視する風潮が無くなった事も大きな原因の一つです。少し上手く行かないと簡単に別れるという考え方が広がっているのも原因です。

しかし、大きな原因は結婚を恋愛の延長と考えてしまう事です。

恋愛中とは相手のいろいろな側面が見えなくなっている状態なのです。そんな混乱状態で、お互いに自分に適切な相手を選ぼうとします。

しかし若い男女には一緒になった後の40年、50年の間に2人の生活がどのように変わるのか考えもしません。適切な相手としての条件が想像もつないのです。

話は飛びますが、1962年に初めてアメリカの大学へ留学したとき自分には選ぶ能力が無いことが分かって愕然とした経験がありました。難しい話ではありません。あちらのレストランに入った時、ウェイトレスがメニューを持って来て、「料理を選んで注文すれば、すぐに持って来ます」と微笑んでくれました。大版のメニューを見たら料理のリストが沢山印刷してあります。文字ばかりです。料理の写真なんか付いていません。これでは注文出来ません。面倒なのでハンバーグと言います、するとすかさず10種類以上のハンバーグのリストを指さしてどれにしますか?と聞きます。実は分からいからどれでも良いよと言ってしまいました。途端に彼女の顔が険悪になります。怖くなって一番上のハンバーグにします。すると少し機嫌が良くなって、それではソースの味はどれにするかと聞き返します。ソースの種類は5種類で味が違うので選べと言うのです。面倒になり2番目にします。するとハンjンバーグの焼き具合はどうするかと聞きます。任せるよと言ったらまた険悪な表情になります。こんなやりとりですっかり疲れ果て料理の味なんかすっかり忘れました。

しかしアメリカという社会は恐ろしい社会です。全ての物事は自分の判断で決定し、決定の失敗は自分で責任を取らされる社会なのです。それを拒否すると間扱いをされます。私はそれ以来全ての物事に直面しそうになる度に、まず考えます。「その事に関する多くの選択肢の中から一つだけ自分にとって最適のものを選ぶ能力を私は持っているか、否か」を。選び出す訓練を受けているか否かを考えます。自分にその能力が無ければその選択問題を回避します。つまり逃げるのです。アメリカ文化の始末の悪い事には選択肢が多ければ幸せと思う傾向がある事実です。険呑にも日本も最近はそうなっています。

レストランでの料理の選ぶ能力は簡単に身につきました。数回訓練すれば大体身につきます。

ところが結婚相手を選ぶ能力は若い者にはあまりありません。分かり易く言えば殆どありません。それは50年、同じ家内と一緒に暮らした実体験からの結論です。一緒に長い間暮らしてみて初めて発見する良い性格、悪い性格、家庭をマネージする能力、家事を手際よく済ませる技術、子供達を優しく、しかし厳しく育てる能力、近所付き合いや他人との円満な関係を維持する能力、そして知的な側面も輝いていることなどなど沢山の要素が複雑に関係しているのです。

そのような数多くの要素を、「恋愛中で動転している若者」に冷静に判定し、結婚相手を選ぶ能力などある筈が無いと私は思っています。

年齢のいった大人たちの見合い話をいくつか同時に進めるほうが比較出来るので無難なのです。それが厭なら、「結婚は神の奇蹟」と信じて、相手を選ばず承諾する人と結婚してまうのも良いと思います。

戦争中、写真結婚をして外地にいる男の所へ単身でお嫁に行った人々を思い返しています。案外それが良い結果を生むのかも知れないのです。

クダクダ書いたので、お疲れのことと存じます。そこで彩の国の入間公園の写真をご覧になってお休みください。

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離婚を禁止しているカトリックの古さと現代的意義について

2011年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

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中近東や欧米に広がっているイスラム教、ユダヤ教、キリスト教などの一神教では人々の生活を具体的に教える「戒律」が厳しく存在したいます。イスラム教の女性は全身を服やベールで覆い、顔は夫や家族以外に絶対に見せません。家の外にも出ないので日常の買い物は男性の仕事です。それほど厳しく戒律を守っている国々もあります。それに比べ日本は男女平等で女性も何でも出来ます。外で活躍する女性も多いのです。

しかし時々、イスラム圏の女性の方が幸多い人生を送っているのではないかと考え込むことが時々あります。時々そんな考えをしながら佛教やキリスト教のことを考えています。

例えばカトリックでは離婚や同性婚は禁止しています。しかし欧米のカトリック諸国でさえ離婚や同性婚が流行し、それは逆らえない現代の潮流になっています。

国家の法律で離婚や同性婚を認め、その仕方まで法律で決めている国が多くなってきました。

それなのに何故、ローマ法王は離婚や同性婚を禁止するのでしょうか?進歩的な人物がローマ法王になればこの戒律は削除されるのでしょうか?

答えは明快に、「否」です。離婚や同性婚はキリスト教の創造の原理に反するのです。もし進歩的な人がローマ法王になってそれを許すとしたならば、その前に彼自身の手で旧約聖書の創世記の1-2章と新約聖書のマタイ福音書の19章の1-12節とマルコ福音書の10章1-12節をキリスト教聖書から削除しなければいけません。

人間であるローマ法王が神に遣わされたイエス様の教えを勝手に変える事は許されない事です。そのように考えるのがカトリックの流儀なのです。カトリックは古い教えをそのまま信じているので旧教と呼ばれます。それに対してプロテスタン教会は聖書を一切変更しないで重要視する部分と軽く考える部分に分け、世の中の潮流に合わせて強調する考えを変化させてゆきます。ですから新教と呼ばれています。

時代の流れで世の中も変わり、人々の考え方も変わります。宗教は人それぞれです。どちらかが好きになれば信じれば良いのです。どちらもバカバカしいから信じないというのも個人の自由です。ですから私がカトリック信者だからといって離婚はすべきでないと主張したくはありません。

人生の複雑さや悲しみを知れば知る程、完全な結婚の難しさを毎日体験的に理解しています。欧米で離婚率が増大しているのも分かるような気もします。しかし離婚の禁止という教義は正しいような気分にもなります。

それが正しいとか厳守すべきだと強弁するつもりは全然ありません。ただ時々この教義を思い出して一人つぶやいています。

「離婚するくらいなら結婚をもっと慎重にした方が良いのでは?」「夫婦喧嘩をしても離婚だけは避けよう!」とか。

このように古い、古い教えでも現代的な意味があります。その建設的な効果は永遠にあると私は信じています。しかしその一方で離婚した方が幸せになれるケースもあることも理解しています。信仰と現実の間に揺れる儚い自分の一生もそろそろ終わりに近づいているのです。困ったものですね。

それはそれとして、今日も皆様の安寧をお祈り申し上げます。藤山杜人

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ジャンアンツが敗け込むと朝日新聞の拡張員が家に来ます・・・そして読売は止めなさいと勧誘します

2011年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

門のインターホンで、「読売新聞です!」と誰かが叫んでいます。ジャイアンツファンで読売の販売店のおじさんと意気投合している家内がすぐに出て行きます。するとそこには朝日新聞の拡張をしているおじいさんが居たそうです。

「読売の販売店から米やビール券貰ってる?朝日へ変えてくれれば米とビール上げるよ」と言います。家内がすかさず返事しています。

「私はジャイアンツファンなので朝日は取りません」

「夏だけ替えて朝日新聞の甲子園の高校野球大会を見れば良いと思うよ」

なにせ家が狭いので玄関でのやりとりが良く聞こえるのです。彼がまずい事を言って家内を怒らせてはこちらまでトバッチリをこうむります。

「私は4代にわたるジャイアンツファンですから読売です。朝日は昔、プロ野球の八百長問題で間違った記事を散々書いたから嫌いです」というタンカが出ないかとヒヤヒヤしていました。ところが今日は機嫌が良かったらしく、礼儀正しく、

「私は高校野球はあまり好きではありません。とにかく読売を朝日に変えることはありませんから、どうぞお引き取り下さい」と言います。

「それにしても帰りの電車賃くらいこの爺に稼がせくれよ」「ごめんなさいね」と

家内は取り合わずニッコリ送りだした様子です。

そして驚嘆したことにはそれから暫くして読売の販売店のおじさんがピンポンとやって来ました。朝日が変な勧誘をしているという通報があったようです。

家内は先程の朝日販売店のおじいさんの事を話して、最近のジャイアンツの負けを嘆き合って彼は帰って行きました。これで一件落着です。

しかし、それにしても次元の低い話ではありませんか?

朝日新聞の内容と読売の内容をいろいろな分野の紙面の記事の優劣を話し合いません。販売店から出す景品と野球の事だけで勧誘しているのです。

私は新聞の政治面、国際関係面、文化・科学面、社会面、三面記事、連載小説、連載漫画などを広く見ています。精読はしていませんが見ています。

公平に言えば朝日の方はどの面の記事も上質です。記事の出来栄えから言えば朝日に軍杯を上げています。しかし朝日はきらいです。共産党に肩入れし過ぎます。革新派へ靡いています。保守的な政治家の努力を評価しません。その一流の臭さが厭なのです。

詰まらない駄文を書いてしまいました。失礼します。


秋の旅へのお誘い(9)まったくバカバカしい観光スポットのご紹介

2011年09月25日 | 旅行記

観光スポットをいろいろ考えてお客を呼び込むのが流行しています。中には何故それが観光スポットになるのか全く理解に苦しむところもあります。

理解出来ない理由は自分が魅力あると思う対象と、多くの人々の好みと異なるだけの事です。要するに「好み」の問題なので仕方が無い問題ですね。

9月12日に行った団体旅行では、「関門海峡横断歩道」という観光スポットが売り物の一つになっていました。それを見た家内が興奮して行きたいと言います。

海底に作った歩道専用の通路をひたすら歩くだけのイベントです。私には全然興味がありません。勘弁してもらってバスに乗ったまま向こう岸で待っていることにして旅に出ました。

門司側の海底歩道へ下りるエレべーターの前にバスが着き、皆が降ります。家内が熱心に一緒に歩こうとクドクド言います。長さは800mだけの平坦な道と言うのです。それなら歩けると思い、付き合うことにしました。エレベーターで数十m下りるとホールがあり歩道が延びています。そこをただ歩くだけです。周りを見ると奥さん達が喜々として歩いています。ご主人達はしかめっ面をしながら黙々とついて行きます。

換気の為に地上の暑い空気を取り込んでいるので、中はすごく蒸し暑いのです。

聞くと学校の休みの日は小学生が沢山遊びに来るそうです。エレベーターに乗ったりトンネルを走ったりするのが面白いらしいのです。

半分を過ぎた頃、不可解にも家内がランニングを始めました。走って福岡県と山口県の県境を渡った記録を作りかったのかも知れません。そしてとても面白そうにしています。壁を指して「ガラスになっていてフグが泳いでるのが見えた!」などとふざけています。

おおっぴらに使ってはいけない「女子供は・・・」という言葉がありますが、それを思い出しながら我慢して歩き通しました。

しかし建設した役所の名誉のために付け加えると、この歩道は近隣の住民の生活道路として重要な役割を果たしています。自転車や小型バイクが乗れるように細長いエレベーターが設置してあり、近所の老人が自転車と共に乗りこんで来ました。トンネル内はバイクも自転車も押して歩く規測になっているそうです。毎日ウオーキングやランニングをしている人も多いとのことです。

関門海峡には、従来の鉄道トンネル、新幹線トンネル、国道トンネル、その下の歩道専用トンネル、高速道路トンネルと5本の交通路があります。

その歩道トンネルが一大観光スポットなのですから世の中は不思議ですね。でも本気で興味を持つ方も多いと思いますので以下にその写真を示します。

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病院に出たり入ったり・・・悠々と活動をする漆山治さんの病気と付き合い方

2011年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

数日来、ひどい風邪をひき、胃腸にヴィルスが棲みついて下痢と腹痛に七転八倒しました。昨日のブログでこの苦しい病気のことを報告しました。
絶食を2日間続け、今朝やっとコーヒーを一杯飲めるくらい回復してきました。
その昨日の文章へ対して、漆山治さんから次のようなコメントを頂きました。
・・・・・私も来週から10日ほど入院します。血管の老化がひどく、あちこちにバイパス手術をやって頑張っています。お大事にしてください。・・・・・
この方は
BYOOLという社会人ネットワークシステムの中で知り合った方です。私のこのブログ記事へ何度も寸評を送って下さいます。BYOOLの日記欄へのコメントなので皆様はご覧できません。いつもユーモアがあり、しかも鋭いコメントです。

この漆山さんはいろいろな重い病気をお持ちのようで、大病院の外科病棟をあたかもご自分の別荘のようによく行っています。手術は痛くて辛い筈ですが、気軽な様子です。鼻歌でも聞こえて来るような調子です。ユーモア溢れるコメントをくれます。
人生を達観しているのです。病気が怖くないのです。
病気との付き合を学びました。真似をしている心算です。

ネットの上でお付き合いを続けていると、次第にご経歴などが分かりました。1933年生まれの慶應の一貫学校教育を受けて育った折り目正しい方です。慶應大学卒業後は三共製薬という大会社に勤めました。定年後に文筆家へ華麗な転身をはたし、数冊の本を出版し、各地の講演会で講師として活躍されています。3冊の本は、「コメ作り社会のヒト作り革命」(日本経済新聞出版社)、「コメ作り社会とビジネス社会」(日本経済新聞出版社)、「活性酸素はこうして防ぐ」(小学館)のなどなどです。検索すると入手方があります。

この漆山さんにもう一つ感動している事があります。普通、本を出版している偉い人はブログやツイッターなどのネット世界を無視している人が多いものです。しかし漆山さんはその方面も精力的に書きこんでいます。

経済的な意見発表がおおいのですが、現代世界の文明として非常に優れた内容です。今後、世界の先進国には高度成長は無い。そのような耐乏型の文化へと変貌して行くという予測は我々日本人も受け入れなければいけない警告と思います。

漆山治さんのホームページ(http://urushiyama.jp/u/ )にもそのようなご意見が掲載されています。

他にも政治、経済、社会に関する広範な話題を取り上げ漆山さん独自の視点から考察した時評が沢山掲載されています。

このようなご立派な方へも病気は遠慮なく襲って来るのです。その病気と仲良くしながら病気を超越する精神の強さに感動です。

下に彼の著書のほんの一部の写真をしめします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康をお祈り申し上げます。藤山杜人

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これから咲きそろう秋の花・・・国営昭和記念公園「はなだより」

2011年09月24日 | インポート

国営昭和記念公園は「はなだより」専門のページを公開しています。

http://www.showakinenpark.go.jp/hana/index.htm です。驚くほど多種多様な花々が咲く時期とともに一覧表になっています。そして公式HPには秋の花々の写真もあります。

私もこの風邪が治ったら出掛けて見ようと思います。昭和公園はJR中央線で立川駅で青梅線に乗り換えて一つめの西立川駅でおりると駅前に公園入り口があります。東京駅から1時間10分です。一度、是非お出掛け下さい。国立公園だけあって設計が雄大で子供用の公園から老人向けの場所やバーベキュー広場もあります。低価格な貸自転車も多数あり。自転車専用コースもあります。我々の税金で贅沢に作った公園ですから遠慮なしにお使い下さい。車の場合は広大過ぎるような駐車場もあり一日800円です。立川のアメリカ空軍飛行場跡に作ったので広い所です。設計思想にも感心します。下に公式HPから秋のコスモス畑の写真をご紹介いたします。

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戦艦・三笠と帆船日本丸客船・と氷川丸は作られた時代の文化を示している!

2011年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

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(上の写真は帆船・日本丸です。2008年4月に撮影しました)

この前の記事で日露戦争の日本海会戦で大勝利を収めた戦艦、三笠のことを書きました。今回のこの文章はそれに続く船舶というものに関する一つの感想です。

1900年英国、ビッカース造船所製の三笠と、1930年英国、ラメージ&ファーガソン社製の帆船日本丸と同じく1930年三菱造船、横浜ドック製の氷川丸の構造と装備を比較するとその当時の欧米の船建造の思想が実に明快に理解できます。

建造されえた時代のその国の文化を反映しているのです。そのところが私にとっては大変興味深く感じられるのです。

欧米では船、特に大型船を建造する場合にその船の使用目的をまず明確に決定します。その後で使用目的を達成するために一番合理的な構造と装備を考えて建造するのです。船の構造は使用目的によって大きな違いがあるのです。

欧米の設計思想の根幹にはこの合目的性が一番重要になっています。日本の伝馬船のように使用目的があいまいなものは少ないようです。

三笠の目的は敵艦より優れた大砲を多数装備し、高速で海上を自由に動けなければならなりません。その断面構造図を見ると、戦闘目的に関係ない装備は一切無いのです。士官室は後部、水兵室は前甲板の下と画然と分離され、規律保持が徹底しています。砲弾庫は船底の一番安全なところにあり、大量の食料は長期作戦のために冷凍庫に保存されているのです。当時、すでに冷凍庫があったのです。

その上、撃沈した敵の戦艦の乗員を救助し、捕虜にする予定で「捕虜収容室」も装備してあるのです。

動力は蒸気機関で直立3気筒レシプロ蒸気機関で2基で合計15000馬力、2軸スクリューで15140トンの船体を18ノットで推進させる力を備えていました。燃料は石炭で、甲板の左右に多くのマンホール状の穴を作り船底に石炭を人力で落とし込みます。出動の前には1500トンの石炭を積んだそうです。積み込むときは乗組員総員で迅速に積み込む訓練を重ねたといいます。

三笠の建造後30年たって1930年に日本丸と氷川丸が出来ました。

日本丸は三笠と同じ英国製で、排水量2279トンです。日本の池貝鉄工所製のジーゼルエンジン600馬力2基を装備しています。この船の使用目的は帆走と大洋航海術の教育でした。したがって大洋航行用の4本マストで、おもに横型帆と少しの縦型帆の合計、29枚の全てを、意図的に人力で操作するように出来ています。甲板から上の全ての装置は、舵も含めて電気モーターや油圧動力は一切使わないのです。

小さなジーゼル発電機は艇内の灯火と航海灯と無線電信機のみの為に使われたのです。航海の90%は帆走し、ジーゼル燃料を節約したのです。

この船は航海術の教育目的なので、武器は一切積んでいません。食料と清水だけを乗員数と航海日数に従って積載していたのです。

この船の断面構造図を見ると平和的な構造になっています。それは戦艦「三笠」が戦争目的の殺伐とした構造になっていることと比較すると歴然とします。

戦艦・三笠の構造は、現在の日本人から見ると、非常に残酷な構造になっています。捕虜収容室など本気で作ってあるのは敵艦を沈めて、生存者を拾い上げようとしているのです。敵艦の情報を取るためです。

さらに1930年製で排水量11622トンの氷川丸は客船であり、客室とダイニングルーム、社交室などが主な部分を占めています。

5500馬力の大型ジーゼルエンジンを2基装備して、太平洋を時速18.2ノットで駆け抜けのです。

ただ当時の文化風習に従って一等客室と三等客室の差が非常に大きいものでした。1等は個室で三等は上下2段ベットの狭い8人部屋で船底近くにあるのです。三等客の食堂は粗末です。三等船客は一等客室部分へは立ち入り禁止です。三等船客にとって、航海中は暗い毎日であったに違いありません。

最近の豪華客船のニッポン丸や飛鳥の船内とは雲泥の違いです。

三笠と帆船日本丸と氷川丸の構造・装備の違いを比較して欧米の船の建造の思想を考えてみました。

そしてそれを敷衍すれば飛行機や自動車の設計思想にも同じようなことが見られるのです。

ヨーロッパ文化と日本の文化を比較して深く理解するためには、船や飛行機や車のような乗り物の設計の仕方や装備を考えるのが良いと私は思っています。

皆さまのご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)

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昭和5年進水の豪華客船、氷川丸は横浜、山下公園岸壁で公開されています。2008年5月に撮影しました。


ついに病気になってしまいました・・・老人の無理はいけません!

2011年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

老人になればいろいろな病気になります。覚悟はしていますが苦しいです。

3日前の夜から下痢が始まり、止まりません。無性に眠くて、すぐに寝床にもぐります。一時間おきに下痢です。飲み過ぎと、気温が急に下がったにも関わらず薄着のまま扇風機をかけて眠ったので風邪をひいたのが原因のようです。

寝てていても胃腸が周期的にキリキリ痛み、目が覚めて、七転八倒します。身の置きどころがないのです。

昨日はヨットへ行ったので、治ったような気分になって、夕食にお粥を食べました。それがいけなかったらしく、昨夜は一時間おきに下痢をし、お腹が酷く痛みました。

そこで今朝から2、3日完全に絶食する決心をしました。幸い脂肪が身に沢山ついていて、絶食にはなれています。ダイエットの為の絶食をしていますので平気です。

とにかく、これから3日位かけて完全に直そうと思っています。

それにしても健康は大事ですね。

皆様のご健康をお祈り申し上げます。藤山杜人

下の写真は昨日の霞ヶ浦の風景です。高いマストを上げた和船は横型の白い帆を目いっぱい上げて白魚を網で獲る漁船です。しばらく沖で風を待っていましたが吹いて来ないので、諦めて帰る様子です。

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オハイオ州立大学の同窓会と日本の同窓会の比較

2011年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

60歳を過ぎると引退する人も多く、同窓会が頻繁になります。時々、出席を強要される場合もあり困ったこともありました。しかし所詮、昔話の会合なのでもっと気楽に、自由参加の雰囲気で開催して貰いたいと思うのは私だけでしょうか?  ・・・・・○アメリカの同窓会の気楽さ・・・・・

学歴によって差別しないアメリカ社会では、どの学校を卒業したかは重要ではありません。多くの学校では開校記念日などを「ホームカミング・デイ」と称して、老若男女の同窓生が学校へ気楽に帰って来ます。卒業した時代ごとや、学生クラブごとの昼食会をした後、校内を散歩し個人個人が学生時代を懐かしむのです。

フットボールで有名なオハイオ州立大学の各学科の同窓会は、フットボールの試合の日に開かれます。従って、毎年、開催日が違います。学科ごとの昼食会に出席し、格安の入場券を買います。昼食後は大きなスタジアムへ行き、母校のチームを応援するのです。勿論遠方の一は出席しません。好きな人だけが気楽に何年かおきに出るようです。

オハイオ州立大学の金属工学科では、慈悲深いマフィヤの親分のように見える老学科主任だけが昼食会へ出席します。他の教授連は出ません。アメリカ社会の同窓会は自由な雰囲気がみなぎり、個人の楽しみを重視し、日本のように強固な同窓会としての組織が無いところが多いようです。

日本の高校や大学では卒業生を自動的に同窓会組織へ入会させ、毎年会費を徴収しようとします。また、体育系の部活動の遠征費などへの寄付を呼びかけて来ます。どこで入手するのか、同窓生名簿を使って投資や商品購入の勧誘の電話まで来ます。

アメリカの同窓会を体験し、日本と比較すると、学校制度の役割の違いも理解できるようです。本来、どこの学校に入学するかは個人の自由で、同窓会組織に入会するか否かも個人の自由なのです。

・・・・・○アメリカの大学の同窓会の日本支部・・・・・

戦後65年以上になると、日本の高校を卒業してアメリカの大学へ入学、卒業する人の数も多くなります。従って、有名アメリカ大学にはたいてい同窓会の日本支部が組織化されています。ある有名大学はその日本支部を利用して大企業から研究費や寄付金を集めているのさえあります。

事の善悪は問いませんが、何かアメリカ文化のよさを歪曲しているようで困ったものです。

オハイオ州立大学の同窓会にも日本支部があります。卒業生で大企業の社長になった人がなんとなく交代で会長になり、毎年一回、夕食会の開催を連絡してくるのです。参加者は受付で夕食代を支払って入り、アメリカ流に三々五々飲み始めます。偉い人の退屈な長い挨拶や話が無いのが良い雰囲気を作ります。

オハイオ・コロンバスの昔話を楽しむ会です。多く出る話題は英語に苦労した話、学生時代の貧乏生活の話などです。最後に参加者の健康を祝し乾杯をして終わります。下の写真の出典は、Ohio State University の Home Page より。

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全ての国宝「源氏物語絵巻」が一度に見られる展示会!・・・上野の藝大で

2011年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

国宝の源氏物語絵巻は名古屋の徳川美術館と東京の五島美術館にあります。

源氏物語は1000年前に紫式部のよって書かれました。その絵巻はそれから300年位後になって描かれたのです。

絵巻には美しい場面が描かれ、詞書(ことばがき)が綴られた雅びな巻き物です。残っている物は56面しかありません。

古びた絵巻をそのまま忠実に藝大生が2枚ずつ模写した作品が展示してあります。その現状模写がまた良いのです。鮮やかなな色を使っていません。シミもハクラクもそのままに写してあります。  特に徳川美術館から実物を4点借り出して並べて展示してありますので、56面の丁寧な模写の有様がよくわかります。絵もさることながら、詞書の料紙の精巧な美しさと、

文字の見事さにおどろかされました。学生・卒業生・指導教官の7年に亘る努力に頭が下がります。     

9月25日の日曜日の午後4:30時までです。お急ぎ下さい。

場所は上野の東京藝術大学大学美術館です。源氏物語のお好きな方はお見逃しないように祈っています。

但し、展示してあるガラスケースの周りには中高年のご婦人がたがビッシリと並んでいます。その列に従ってゆっくりと見る決心をしてから、お出掛け下さい。

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あなたが初めて買った車は?・・・私の場合をご紹介いたします

2011年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

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年をとって老年になると若い頃、初めて買った車が妙に懐かしく思い出されます。

あなたは初めての車が懐かしいでしょうか?どのような車をお買いになってでしょうか?

詰まらない私の思い出話です。お読み頂くほどの内容はございません。

私の初めての車はアメリカで買った中古車の1956年型ダッジ・コルネットでした。1961年春の事でした。

中古車は当たり外れが多いのものですが、現地の人を信用して判断を任せて買いました。それが良い思い出になりました。

新婚の妻は色合いを最重要視しますので、クリーム色と水色のツートンカラーの車を中古車を店から借り出しました。そうして近所の修理専門の職人の裏庭へ持ち込み意見を聞きました。

噛みタバコをいつも口に入れている老人のピートが、自宅で個人経営の修理屋をしているのです。

仰向けになり車の下へもぐり込み、あちこちをハンマーで叩きながら丁寧に見てくれます。そして「この車は買って良いよ」と結論を一言だけ言いました。謝礼を支払おうとしても受け取らないのです。その後色々小さな故障が起きる度にピートに直して貰ったものです。

最初に買った車なので嬉しく、暇さえあればオハイオ州のあちこちへドライブしました。

ある時、オハイオ キャバーンという大鍾乳洞を見に行きました。ところが帰りの田舎道で突然エンジンが止ってしまいました。周りには人家が無く、一面のトウモロコシ畑です。家内が心細そうにしていますが、どうしようもありません。

30分程途方にくれて居た時、一台の車が通りがかります。止まってくれた車には子供連れの若い家族が乗っています。

夫がこちらの車のボンネットを開け、「ディステュリビューターが壊れている。町まで引っ張って行って上げるよ」と言ってくれました。

30kmくらい離れた小さな町の修理屋ですぐに直りました。

牽引してくれた人にもお礼のお金を上げようとしたが受け取りません。無事、帰宅後に妻が先方の子供の喜びそうな玩具とお菓子を送ったのを覚えています。

ダッジ・コルネットにまつわる思い出は沢山ありますが、この話が一番忘れられません。

その最初の車は中古のせいで小さな故障をよくしたものです。しかし大型乗用車なので乗り心地は抜群です。帰国後、現在までに14台の車に乗りましたが、ダッジ・コルネットほど乗り心地の良い車に乗ったことがありません。アメリカが華やかだった頃の文字通りの「アメ車」でした。懐かしい車でした。

下の写真の小さな車は1962年の帰国後、初めて日本で買ったマツダ・クーペです。アメリカの大型車に比較すると落差が大きすぎて同じ車とは思えません。

しかし楽しい車でした。富士五湖や山梨の芦安温泉や夜叉神峠まで走らせても故障しません。ただ空冷エンジンが焼けるので時々道傍に止めて後部のエンジンルームの蓋を開けて冷ましたものでした。こんな小さな軽自動車(360cc)でも4人乗りだったのです。日本の経済が高度成長する前の懐かしい時代のことでした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。

藤山杜人


戦没画学生の興梠 武さんの「編物をする婦人」

2011年09月22日 | インポート

東京美術学校卒。昭和20年8月8日ルソン島、ルソド山にて戦死。享年28歳。

この絵は一番下の妹の絵。絵を描いて出征し、妹は間もなく病気で死にます。その報告を戦場で受け取った興梠 武さんは半狂乱になったそうです。

間もなく天国で二人は会って、静かに見つめあって暮らしていると信じています。ご冥福をお祈りいたします。

絵と文章の内容の出典は以下の通りですNHKきんきメディアプラン発行、「無言館 遺された絵画」2005年版、46ぺージです。

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東京駅をとりまく時代の流れ・・・その思い出

2011年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

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あれは昭和17年の夏の事だったと思います。東京駅、中央通路に白いタイル貼りの円形水槽がありました。百匹くらいの小魚が群れをなして円周に沿って一斉に泳いでいるのです。

連戦連勝で日本中が湧いていた頃です。

仙台の大学で働いていた父が、夏になると兵庫県の田舎へ帰省していました。その途中見た東京駅の通路にあった水槽が忘れられません。泳いでいた小魚の群れは鰯だったのか、ハヤなどの淡水魚だったのか分かりませんが、6歳の幼児の網膜に焼きついて一生離れません。75歳の現在でも鮮明に思い出しています。

翌年、昭和18年夏、魚の群泳を楽しみにして東京駅中央通路へ行くと、無いのです。魚が一匹も居なく、空の白いタイルの水槽があるだけです。後で考えると戦争が負け始めたので、魚の水槽どころではなくなって来たのでしょう。

そして何年も時が流れました。中年になって少し落ち着いた時分に内田百閒の「百鬼園随筆集」や摩阿陀会に関する話を読みました。

百閒さんの作品では鋭い人間描写を彼一流のユーモアをまじえて書かれています。短い文章でも、味わい深い随筆になっているので、つい吸い込まれるような作品が多いのです。

彼の書いたものには何時も東京ステーションホテルのダイニングが出て来ます。

作品が好きになりました。関係する場所へも行ってみたくなり、1970年ころから東京ステーションホテルのダイニングへ時々行くようになりました。重厚な赤レンガの建物で、内装はヨーロッパ風のシックイ壁。昔風の黒い鉄の窓枠の外には、一番線の電車から新幹線の列車までよく見え、旅情をかきたてられるのです。

ステーションホテルの正面入り口の階段を上がった所にウイスキーも出すコーヒー店がり、そこにもよく通ったものです。仕事で人と会うときはよく使った店でした。昼間はコーヒー、夕方になるとウイスキーの水割りと、便利な場所でした。

また何年かたった頃、丸の内中央改札口を出て右手にステーション・ギャラャリーが出来ました。時々、絵画の企画展をしていました。あれは20世紀が終わり、21世紀が始まった頃だったような気がします。

「戦没画学生の遺作展」があったのです。ポスターには美しい女性の横顔の肖像があります。出征する前に精魂込めて描いた絵。企画展では数十枚の油絵が展示してありました。戦争で死んだ画学生の作品。家族の人物像が多い。征く前に寸暇を惜しんで描いている。時間が無くなり、未完成のものもある。

パンフレットに遺作画を常時展示している、「無言舘」のことが紹介してあります。泊がけで訪ねて行きました。

無言舘は、長野県上田市、別所温泉近くの山中にあるのです。車で、山の中を探しあぐねた末にやっと辿り着きました。

鎮魂という言葉を連想させる、修道院のようなコンクリート製の建物です。

館長が遺族を訪問し、一枚一枚集めた戦没画学生の作品を常設展示しているのです。

フォトアルバム「山林の中の小屋」の中に、無言館で買った絵葉書が出ています。本文末尾に再掲載しておきます。戦没画学生の絵の企画展のポスターに使われた絵です。

3年前に東京ステーションホテルやステーションギャラリーの写真を撮りに行きました。

思わず、「ああ!来るのが遅すぎた!!」と声を出してしまいました。大改修中でホテルもギャラリーも完全閉鎖で、窓にはカーテンも無く、殺風景な様子です。しばらくして、気を取り直し、工事中の無粋な塀が映らないようにして、東京駅の写真を数枚撮ってきた写真を上に数枚示します。

私の東京ステーションはセピア色の写真になって思い出だけになってしまったのです。

それにしても時代の流れの速さに驚いています。

綺麗に改修された東京駅はもう私の思い出の中の駅舎ではなくなりました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人

付記:フォトアルバム「山林の中の小屋」の写真を下に出しておきました。そして、その絵画は次の記事でご紹介してあります。

12月末の小屋のデスク、クリスマスカードを数枚外国へ送る


あなたは彼岸花と曼珠沙華とどちらがお好きでしょうか?

2011年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

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この花にはいろいろな名前がついています。この世の花でないような趣があります。

そこで私は上の写真のように墓場に控え目に咲いているのを彼岸花と呼ぶことにしています。お墓に埋めてある人々の霊を慰めているのだと信じているからです。

その一方下の写真のように絢爛と咲きそろっている場合には曼珠沙華と呼ぶことにしています。金色や鮮やかな色で描かれた大きな曼荼羅を連想するからです。

それにしても同じ花でも群生しているか孤独に咲いているかによってこんなにも印象が違うのですね。特に曼珠沙華の場合は違いが極端です。

皆様はどのようにお考えでしょうか?

・・・・・・寸話を付け加えます・・・・・・・

埼玉県の日高市に彼岸花の群生で有名な巾着田という公園があります。2週間以前に写真を撮りに行きましたが全然咲いていません。虚しく帰ってきて家人に笑いわれました。「巾着田」と検索してみましたら毎日の開花状況の写真が出ていました。下の写真は昨日の開花状況の写真です。もう行くのは止めました。まばらに咲いている彼岸花は好きですが群生している曼珠沙華はご勘弁願いたいと思ったからです。

・・・・・・ちなみに曼珠沙華とは天上の花という意味だそうです・・・・・・・

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