「ゴシップ的日本語論」(丸谷才一)より一節を紹介します。この中で、丸谷氏は鳥居民氏の著書を引用されながら、昭和天皇の言語能力について書かれています。
「昭和史は、昭和天皇の言語能力といふところから攻めてゆけば、かなりよくわかつてくる。そのことをどうしてしないのか。一国の基本のところにあるものは言語問題なんです。
たいていの国の元首とか総理大臣は、信頼する将官や政治家、学者を招いて食事を共にする習慣があるものである。つまり、社交をすることによって情報を得たり教訓を得たりする。文明国ならば、たいていの国の元首はみんなやつてゐることです。
ところが昭和天皇の場合、すくなくとも戦前がさういふ習慣はまつたくなかつた。他人との親密なコミュニケイションといふ経験は一度もなかつた。これはまあ、無理もないといへば無理もないのでして、天皇家にはかういふふうに首相とか参謀総長とかに親しく語りかけて詳しく論じ合ふやうな伝統はまつたくないわけですね。
天皇の言語生活の伝統はどういふものであつたかといふと、宣命といふ和文体の勅語を口で言ふ。口で言つたかどうかもだいたい怪しいのであつて、これはみんな女房たちが書いたのぢゃないかといふ説もあるくらゐです。それから和歌を詠む。この二つが天皇の言語生活であつた。
とすれば昭和天皇は、あの家柄において突如として政治向きの言語生活を要求された非常にかはいさうな方であった。
昭和天皇が皇太子であつた時代の教育がいかに貧弱なものであり、欠陥の多いものであつたかといふことからいささか思ひ出されることがあります。昭和二十年八月十五日の例の玉音放送ですね。あの声の出し方が変だつたでせう。あれは昭和史の本には誰もが書いてゐていろんな形容が使つてあります…、なぜあんな異様な声の出し方をするのかといふことは、わたしは好意的に、この人はマイクを使つたことがないからだなあといふやうなことを考えてをりました。日本人は誰でもマイクを使つたことはないのだから、かういふふうになるのかなあなんて思つた。かなり好意的でしたねえ(笑)。
そしてすぐ戦後のころ日本中を巡幸なすつた。そのときに、何を言はれても天皇は、『ア、ソウ』としか答へなかつた。なかでも有名なのは、九州にいらしたときに、『あれが阿蘇山でございます』と県知事が言つたとき、『ア、ソウ』と言つたといふ話がある(笑)。」
丸谷氏に言わせれば、昭和天皇の孤立した生き方とコミュニケイションの不足による言語能力の低さのせいで、情報が手に入らなかった上に、政府と軍との意見が分かれたときに、口を出すことを回避する方になってしまった。そこに、日本の敗因(敗因のなかには戦争を起こしたことも含まれるが)の重大な一つとして、昭和天皇の言語能力の低さがあげられるとしています。丸谷氏は、これは昭和天皇個人を攻めることはできない、明治憲法をはじめ一国の言語がシステム的におかしかったとしています。
他にも評論家・小林秀雄の文章を何だか分からない明治憲法みたいだとこき下ろしたり、実に痛快な内容になっています。
少し前の作品ですが、携帯電話インターネット大流行の今、ますます軽くなる言語表現を改めて考えてみるのもいいのではないでしょうか。
「昭和史は、昭和天皇の言語能力といふところから攻めてゆけば、かなりよくわかつてくる。そのことをどうしてしないのか。一国の基本のところにあるものは言語問題なんです。
たいていの国の元首とか総理大臣は、信頼する将官や政治家、学者を招いて食事を共にする習慣があるものである。つまり、社交をすることによって情報を得たり教訓を得たりする。文明国ならば、たいていの国の元首はみんなやつてゐることです。
ところが昭和天皇の場合、すくなくとも戦前がさういふ習慣はまつたくなかつた。他人との親密なコミュニケイションといふ経験は一度もなかつた。これはまあ、無理もないといへば無理もないのでして、天皇家にはかういふふうに首相とか参謀総長とかに親しく語りかけて詳しく論じ合ふやうな伝統はまつたくないわけですね。
天皇の言語生活の伝統はどういふものであつたかといふと、宣命といふ和文体の勅語を口で言ふ。口で言つたかどうかもだいたい怪しいのであつて、これはみんな女房たちが書いたのぢゃないかといふ説もあるくらゐです。それから和歌を詠む。この二つが天皇の言語生活であつた。
とすれば昭和天皇は、あの家柄において突如として政治向きの言語生活を要求された非常にかはいさうな方であった。
昭和天皇が皇太子であつた時代の教育がいかに貧弱なものであり、欠陥の多いものであつたかといふことからいささか思ひ出されることがあります。昭和二十年八月十五日の例の玉音放送ですね。あの声の出し方が変だつたでせう。あれは昭和史の本には誰もが書いてゐていろんな形容が使つてあります…、なぜあんな異様な声の出し方をするのかといふことは、わたしは好意的に、この人はマイクを使つたことがないからだなあといふやうなことを考えてをりました。日本人は誰でもマイクを使つたことはないのだから、かういふふうになるのかなあなんて思つた。かなり好意的でしたねえ(笑)。
そしてすぐ戦後のころ日本中を巡幸なすつた。そのときに、何を言はれても天皇は、『ア、ソウ』としか答へなかつた。なかでも有名なのは、九州にいらしたときに、『あれが阿蘇山でございます』と県知事が言つたとき、『ア、ソウ』と言つたといふ話がある(笑)。」
丸谷氏に言わせれば、昭和天皇の孤立した生き方とコミュニケイションの不足による言語能力の低さのせいで、情報が手に入らなかった上に、政府と軍との意見が分かれたときに、口を出すことを回避する方になってしまった。そこに、日本の敗因(敗因のなかには戦争を起こしたことも含まれるが)の重大な一つとして、昭和天皇の言語能力の低さがあげられるとしています。丸谷氏は、これは昭和天皇個人を攻めることはできない、明治憲法をはじめ一国の言語がシステム的におかしかったとしています。
他にも評論家・小林秀雄の文章を何だか分からない明治憲法みたいだとこき下ろしたり、実に痛快な内容になっています。
少し前の作品ですが、携帯電話インターネット大流行の今、ますます軽くなる言語表現を改めて考えてみるのもいいのではないでしょうか。